幼き者の歎きの唄 ※題字をクリックすると本文が出ます 鈴虫の啼く夜 この男にしては随分まともなことを言う、と思ったものだ。 吉田郡山城にて四国中国国主二人の接見が叶ったのは、夏も暮れの時であった。夜陰に紛れて鈴虫が鳴いている。開け放った襖の内へ転がり込んでくるようなその音だけは、やたら美しかった。元親がぐいと酒を煽る。 元親の常々からの申し出を断り続けてきたのは、元就らしからぬ私的な理由からであった。つまりは単にこの男に会いたくなかったのである。 が、そうそう我侭も通じない状況になりつつあった、ゆえの会合であった。かねてより軒猿や間者を使い探らせていた京にある信長の動向が、俄かに不穏なものとなったのである。中国・四国諸共制圧せんと、有力家臣らに大軍を整えさせているという。一旦行動を決めてしまえば、そこからは矢弾の如き進撃を見せるのが織田信長の常であるから、毛利も早速対抗策を講ずると同時に兵を集めていた。 そこへ、元親の再三の要求である。苛々と部下を指揮する元就の脳裏にようやく同盟の文字が浮んだ。 会合を持とうという念願の元就からの手紙を受けた元親のそれからの行動は素早かった。さっそく船を出し、三日後には元就の待つ城へ入った。あまりの迅速さにも元就は目を剥いたが、それよりも周囲を圧巻したのは絢爛豪華な進物の数々であった。元親の言う所の「兵器」を小型化したものがいくつも献上されたのだが、その細工は巧緻を極め、最早芸術として見る他はなかった。 公的な挨拶を済ませた元親は、その場では本題を出さず、ただ粛々自分に対する厚遇への礼を述べた。元就はこの男を嫌ったが、京の動きを察し、これ以上無闇に敵を作るまいとして元親を破格の待遇で迎えたのだった。 しかしやはりそれは虚偽だったのだ、と元就は思わずにいられない。 その夜、二人きりで話し合うことを望んだ元親は、これまでの殊勝な態度はどこへ行ったのか、不遜な態度で元就の前に座ると開口一番、 「癪だが同盟を組んでやる」 と言い放った。元就は何も言わず眉を顰めた。 「織田の動きはわかってんだろう。……俺はなんだかんだとあそこと縁続きで 同盟も組んだが、下手に出りゃあ付け上がりやがる。これ以上あの男を好きにさせておく手はねえ。そうだろ」 なんと端的な言い分であろうか。が、これ以上わかりやすいものもない。元就とてそうでなければ元親と会おうなどとは微塵も思わなかったのだ。利益の合致、が一番の理由であった。 元就は相変わらず眉を顰めたまま、端正な口を開いた。 「それであの進物か。我にそなたの強みを売り込もうと?」 「てめえはまだ火力を信じきってねえみたいだからな。国を傾けてでも、兵器は手に入れる価値がある。……知らないようならいいことを教えてやるぜ。信長はな、まだどこの大名も鉄砲を眺めて『こんなものがあるのか』と珍しがっていた頃、既に百丁以上を買い漁って満足しなかった」 語る元親の右目はあるいは信長を賞賛するようでもあった。その目が元就は気に入らない。酌された酒を一口で飲み干すと、口元を歪ませた。 「ならば信長につけばよかろう、長曾我部元親。縁があるのなら尚のこと、なぜ我に助力を乞う」 「乞う?違うね。俺は協力しようと言ってるんだ。海を隔てた国同士だ、お互い対等でなけりゃ信長に対抗なんぞできやしねえ。どうだ毛利元就、乗るか反るか」 低くきっぱりと言い放った元親に、元就は返事を返さない。この男を使ってみてもいい、と思う反面、それに反駁する気持ちもいくらか強い。これまでずっと元親会話の主導権を握られているのも、些細なことながら元就の癪に障っていた。 それよりも、なぜこの男の顔を見ているとこうも苛立つのか、そのわけを知りたい。 「……以前からこのことを考えていたのか」 くどいと思われるほどの書状は、すでに幾数溜まったか知れぬ。この男の見た目からは想像もつかないほど繊細で豊富な語彙によって彩られた手紙を眺め眺めして、結局「会いたい」という要求一つに論点が絞られるところを見、元就は一体どう返事をしたものか頭を悩ましたものだ。 それがただひたすら同盟のためのみであったのかと、元就は聞いているのである。 元親はあっけなく頷いた。頭の後ろがちり、と燃える音がはっきりと聞こえた気がした。 「同盟を組むのが、一番手っ取り早いと思ったからな。俺にはあんたのやり方が気に食わないが、それでも目的が同じなら協力し合えるはずだ。……だからあんたも俺と会おうとしたんじゃないのか、……元就」 (……同盟……) 元就は我知らず拳を強く握りこんでいた。そうでなければ今にも元親に飛び掛り、蹴倒してやるくらいのことをしかねなかったのである。しかしなぜそんな気持ちになるのか、論理的に説明する法を元就は持たなかった。ゆえに一層、爪が皮膚に食い込み突き破りそうになるほど、固く力を込める他なかった。 深緑の下の愚者 成す、成さぬ、という二択論的な問題ではなかった。成さねばならぬ同盟であった。 毛利・長曾我部両水軍の結合があれば、そう易々と信長に攻め滅ぼされることはないはずである。ゆえに元就は目頭に自然力が入るのを知りつつ、 「成そう…」 と、小さく呟き、元親はしかとそれを聞いた。気の抜けぬ感じをもって、しかし表面的にはゆるく頷いた元親は、元就の答えにさもあろうとも思う反面、よく飲んでくれたという安堵を、交錯しつつ感じていた。 元親は迅速だった行動に反して、しばらく郡山城に滞在すると言い、元就もこれを認めた。元親の護衛には部下数百人がい付いてい、近臣の他には城下に取り急ぎ宿を取らせた。 部下の前で、元就は毅然としていた。この同盟を元就がどれほど苦々しく思っているかなど微塵も察知させず、迫り来る信長軍団に対し、いかにこの同盟締結が力強いものであるか、それをしかと伝えたのだ。 それをともすれば揶揄するように、元親は笑った。 「随分口上がうまいじゃねえか」 正式な同盟締結の誓書を作り終わり、元就は正装から小袖に着替え一息ついて書見をしようと、六韜の一巻を取り出して来、座り込んだばかりであった。だというのに、元親はずけずけと元就の部屋まで入り込んできた。久し振りに蝉しぐれがけたたましい昼下がりである。 元就は苛立ちを隠さず、舌打ちまでして六韜をぞんざいに書見台へ放った。 「国主たるものが、うまくならずしてどうする。……それより、だれが入室を許可した」 「禁止もしていねえようだったが?この程度で見張りを罰したりすんなよ」 微妙だ。堂々と場内を歩き回る同盟者を下手に咎め立てることを、見張りの部下は出来かねたのであろう。この男が身勝手な人間であることを、元就は失念していた。今と同じようなことを放置しておけば、元就の沽券に関わってくる。禁ずるか。が、一度許したこと…。 「……フン、貴様程度がどこにいようが、誰も構わぬ……」 「ほお、そう来たか。寛大になったもんだなあ」 人前での態度が、この二人は百八十度違うと言ってよい。でなければ、この二人が同盟者であるなど、だれが信じようか。 元就は自覚があった。己の顔も、言葉も、行動も、人に見せるためのものは、すべて作るものだと。が、元親も同じような方法をもって人と接するのが、心底意外であった。 「裏表のない…」 これが、元就の認知する元親であり、嫌う男であった。 (欺瞞に満ち溢れている……) と、元就は再び強く思った。 「何用だ」 「用ってんじゃねえさ。少し話をしねえか」 「そなたと話すことなぞないわ」 「毛利元就、国主としてのあんたは、同盟者に対してそういう態度を認めるんだな?」 思いのほか冷たい眼差しを向けられ、元就は喉が詰まった。認めるか否か、と問われれば、まさか認めると答えるわけにはいかない。が、それは元親とて同じではなかったか。元就は歯の奥を強く噛んだ。 「貴様に言われる筋合いは無い…!互いの利益のみを考えた同盟であろう、それをわかってこそ貴様は『癪だ』と我に言ったのではないか。それを差し置いて、我を責めるか」 立ったままでいた元親は、まくしたてる元就から視線をはずし、長い睫に縁取られた瞼を落とすと、元就へ、元就の髪へ、手を伸ばした。不意の接近に元就は心臓が跳ね上がる思いをし、知らずその手を振り払った。しかし、 「動くな」 と、静かに言われ、身体が竦み、その通りにしてしまった。 元親は耳の少し上から指に髪を絡ませ、線をなぞるように下へ指を移動させた。離された指には、雨粒ほどの小さな深緑の葉があった。元就は目を丸くして、まじまじとそれを見つめた。 「なぜ、」 「大方庭を通った時にでもついたんだろう。小袖と同じ色だな」 元親は葉をツイと元就の肩まで寄せて、色を見比べた。確かに紛れるほど近しい色である。 「悪かった。さっきの言葉は、確かに反則だった。俺も大概不器用ってことなのかもなァ」 言って、元就の肩をポンと叩き、軽く笑った。元就は、思っていた。 しくじった、と。 或夏の日の鬼 元就は夏が嫌いであった。 日輪を信仰すれど、暑さばかりはどうにも忌々しい。しかし、元就は突然の来訪者を、その気分の悪ささえのぞけば、まったくの無感情でもって迎えたものだった。謁見の間で、家臣どもが両脇に座し、その真ん中に堂々と座り込んでいるのが奇抜な男だった。 「あんたが毛利元就か」 「貴様、四国の長曾我部元親と名乗ったそうだな。……まことか」 惜しげのない笑顔というのだろうか。ぱっと咲いた花のような色を一瞬浮かべたと思ったら、それはまた一瞬のうちに猛禽類の獰猛な笑みに変わり、それが好意的なものだとわかるのに、さほど時間はかからなかった。長曾我部元親という男は、そういう男だった。悪意も好意も、隠さぬ男だった。 「嘘だとしたら、笑えねえな。証拠はねえ。あんたが自分で判断しな」 元就は、外の強い日差しのせいで暗い影の落ちた元親と名乗る男の顔をツと眺め、上から下まで、その様子をつぶさに観察した。 輝くような白銀の髪、左目を覆う眼帯、異国風の着物、どれを取ってみても、このような男が天下に二人はいまいと思った。そしてその姿は、噂に聞く「西海の鬼」、長曾我部元親と見て間違いなかった。物言いからしても、疑うところはあるまい。その堂々と座り放つ貫禄は、生半に身につくものではない。 「我になんの用だ、長曾我部元親」 「毛利元就、あんたに一度会いたかった」 「何ゆえだ。十分な装備を整えた船でやってきて、戦でもしようというのか」 ふっと笑いを浮かべると、今度は子供のようであった。子供が、自分の気に入りの玩具を褒められて、得意になっているような幼い笑顔であった。 「面会を断るのなら、そのつもりで来た。まあ、いずれは戦うことになるかもしれねえが、それは今じゃない」 「……妙な物言いをする。もう一度言う、なんの、用だ」 「二度は言わせるな。俺は、興味のある人間はこの目で見ておきたい。あんたは、その手始めだ」 手始め、と随分不躾な言い方をされ、不快を感じたのは嘘ではない。だがそれ以上に、元就はこの男の奇妙を思った。仮にも元親は戦国大名であり、四国という大国をその一手に収め、その統治に明け暮れているはずであった。それが、まるで遊興の如く毛利を訪れるとは、一体どうしたことであろう。 (……文字通り、で、あるはずがない……) 何か裏がある。元就はそう信じて疑わなかった。まだ不敵な笑みを口元にたずさえたまま、元親は元就がなにか言うのを待っているようだった。 「……四国は相当に攻めやすい国と見えるな」 「試してみるか?その大義名分が作れるもんならな」 蝉が低く唸る。屋内でも酷い熱気に、元就は首筋に汗がたらりと流れるのを感じた。元親は続ける。 「あんたの噂は四国にも届いてる。その戦ぶりもな。……部下を囮に使うんだってな」 両脇に控える家臣達に、動揺の色が走ったのが手に取るようにわかる。さっと、音もなく波が砂を攫うような気味の悪さであった。 確かに先だっての戦、元就は策を講じ、そのために、一部隊を犠牲にした。戦はそのおかげで快勝であったが、囮となった部隊の者は、誰一人として戻ってはこなかった。 側近達は、これを暗黙のうちに納得している。が、それ以外のものたちは、 「いつ、自分が……」 という恐怖を、植え付けさせられていると言ってよい。 その残忍なまでのやり方が、四国にも届いていたのだという。だからそれを確かめにやって来たのであれば、元就は一笑する他なかった。くだらぬ。 「だとしたらなんだ。よもや窘めにきたのか。貴様も四国を束ねるものならば、軍略が如何なるものか、少しはわかっていよう」 「わからねえな」 反駁は鋭かった。 「俺は謀や調略なんてのは好かねえ。好かねえがその必要性は知ってる。だがお前のやり方は、知略でもなんでもねえ。ただ人を踏みにじり、弄んでるだけだ。戦は一人でやるもんじゃねえ、中国を束ねるものなら、わかるだろう」 家臣達の間に、先ほどとは違ったざわめきが起こった。元親の言い分は、喧嘩を売っているとしか思えないからである。元就が侮辱と取ればすぐにでも戦になる、危険な言葉であった。 元就もこれに腹を立てなかったわけはない。が、ここは戦場ではなく、毛利の屋敷内であり、元親は敵ではなかった。今、元就が、四国を相手にする理由はなかった。 「最後に問う。……貴様、なにをしに、安芸へやってきた」 元就の声音が震えていること、胸の内が怒りの炎に燃え滾っていることは、元親にもはっきり見て取れた。ぎらりと睨みあった双方の緊迫を先にくずしたのは、元親の方であった。その左目があまりに柔和なもので、逆に元就はたじろいだ。 「……一体、どんな人間だろうと思ったんだ。生憎俺は部下を犠牲になどできないんでね。てっきり血も涙も無いツラなんだろうと思ってたぜ。それが、どうだ。あんた、自分で思っているほど、機械には、徹しきれていないじゃねえか」 「……帰れっ!二度とその顔、我に見せるなっ!」 それが数年前、元就がはじめて元親と対面した時のことである。 元親は夏を具象したような男であった。 元就は夏が嫌いであった。 |