雑記ログ集その4 雑多  ※題字をクリックすると本文が出ます

松永さんに歩み寄る慶次妄想松慶

 夏の、暑い日。長くて重厚な屋根が、濃い影を落としている。じりじりと締め付けるように腕を汗が伝うのを、慶次はなすがまま、ぼんやり空を眺めて寝そべっていた。
 そこなるは、大和は信貴山城である。城主は、客人とも人質ともつかない慶次が寝そべる一室へ、挨拶もなくずかずかと入り込んだ。慶次も驚く様子は無い。どうやら望んでその場にいるようである。
「…どうしたよ、松永さん」
 と、久秀の前では常であるが、普段町を歩く慶次を知る者なら、それこそ「どうしたのだ」と問いたくなる低く掠れた声で、慶次は言った。久秀はどんと慶次の目の前に徳利を置いて。
「滅多に手に入らないものだ」
 と、酒飲みに誘った。慶次はのそりと起き上がり、じめじめと湿気が纏わりつくので、そこに酒が入ることを想像したものらしい。
「この、暑いのに」
「暑いから。…と、思ったがね。ようく冷えている」
 そ、と慶次は徳利に触れてみた。確かに今しがた山奥の川から吊るし上げてきたかのように心地よい冷たさ。そして、ついその冷たさに引き込まれたらしく、そのままぺたりと頬を徳利に寄せた。
「きもちいー…」
「よしたまえ、温くなる」
「じゃあ、一献」
 じわじわとした空気の中とは言え一献では終わらぬ。特に慶次は酒が強いので、喉に通る酒が胃まで落ちる感覚を存分に味わい尽くし、肴も無しに飲み続け、首あたりにようやく酔いがまわってきたかと思うともう徳利はもう残り少なくなっていた。
 うまい、と思う。
「卿にな、」
 久秀は切り出した。
「女を、抱かせようと思ってね」
 慶次ははっとして久秀を見た。いつの間にか襖から滑り出てきたものか、女が一人二人、全部で三人、蛇のごとく久秀にしな垂れかかった。背中で、するすると音がするのでそちらを振り返れば御簾が垂らされる。日が分散され、室には行く筋もの光と多くの影がさっと入り、昼間とはわかるが、暗かった。
「あんたは、悪趣味だ」
 喉の奥で笑う久秀はそれを褒め言葉としか受け取らないらしい。
 慶次は内心動揺していたのかもしれぬ。つるりと頬を伝う汗は暑さとはまた別種のものだった。
「どれがいい」
 久秀はくるりと女どもを見渡す。器量はさすがに優れている。
「抱かない。そんな気分じゃない。…好きで無い女なんざ、抱けない」
 予想通りの反応だったと見える。
「はは、ははは。そうだろうな、卿はなるほど、期待に反しない思考をする男だ。では、抱かなくてもいい。こやつらのされるがままに、ただ、そこで寝ているといい」
「なにがしたい」
 侮蔑しながらも、慶次なりに、久秀がどんな意味を求めているのか知りたいようで、その滑稽な姿に久秀はまた笑った。慶次も、この城に留まった時からずっと、自分の滑稽さには気付いている。気付いていながら好き勝手に寝そべっていたから、久秀が言うのは、そのままさっきの通り、また寝そべればよい、ということに他ならない。
「卿こそ、なにがしたい。これぐらいの興には、付き合いたまえ。…好きではない女?なるほど、動物の本能と言えような。好きになればこそ、抱くものだ。が、人間のおかしなところは、だ」
 久秀節がはじまったものと見て、慶次は黙っている。そして薄々、目の前の悪趣味な男が、何を言わんとしているのか、わかりはじめた。
「未来永劫抱けぬ女にすら、夢想することだ。私もそれくらいのいい女は、一人二人知っている。死んだがね。が、ふとすると、その女が私の腰に縋っているのを夢に見る。…さて無意味だ。私は卿に、その無意味さを、打破させてやろうと言っているのだ」
「余計なお世話だよ」
 一蹴したが、久秀が顎をくいと動かすと、一人の女が慶次の方へ這って来る。するりと首に絡んだ腕からはむっとした臭気が立ち込めた。自然の汗と、白粉とが混ざった、たまらない匂い。
 だっぷりと湿った蛭のような唇が、慶次の口元を吸う。
 それを俄かに振り払って。
「松永さん」
「なんだね」
「こんな痴態を演じるよりは、俺は、あんたが忘れられない女の話を聞きたい」
 言うが早いか、慶次の顔に、お猪口に残っていた酒がぶちまけられた。前髪からぽたぽた落ちる酒を眺めながら、ああ、松永さんは怒っている、と思った。真実そうだとして、慶次が感じていた小気味のよさは、どこから来るものか。
「寝ろ」
 と言って慶次が寝るわけもない。久秀はその場から動きもしない。かわりに女がまたするすると寄って来る。それは久秀が命じたものかと思えば。
「主らは、どけっ。そこで見ていろ。……いい、酒がようようまわってきたよ」
 戸惑いながらも、女どもは衣擦れの音をさせつつ、一所に固まって、言われた通りひたりと二人へ目を据えている。
 どちらにせよ悪趣味だと思いながら、上に跨ってくる久秀を、慶次もただじっと眺め、ごろりと寝そべった。

松慶短文哲学

「私のような人間は、」
 久秀がぽつりと言うと、慶次は答えるようにぴくりと反応した。
 褥の外で、ぴちょんと水音がする。雨がやや弱まったらしい。湿った布と、身体と、ややもとすれば空気までが、慶次には少しだけ煩わしい。そして、この人は一体いつどくのだろうと、そればかりを考える。
「な、慶次」
 もったいぶって言う。促されるのを待っているらしい。慶次は、小さく「…なんだよ」と呟いた。うっそり笑う久秀はまた、なにか彼独特の考えでも言おうとしているものであろうと思われた。果たして、
「君のような人間には、都合がいいのだろうな」
 と、一見解せぬことを言う。
「……あ?」
 首をもぞと動かすと、広がった肩と頬の間に久秀の顔が落ちた。あつくるしいな、と声にもならぬ声で囁くと、同じように、今更そんなことを言うな、と返ってくる。
「私のような、己を悪と自覚し…また、悪と思われるものが、君には都合がいい。その方が、悩まなくて済む。君が多くの人間に感じるであろう矛盾を、私には感じない」
 あ、と思った。
 なぜ慶次が久秀の心がわからないのか、ちらりと、わかった気がしたのである。
「……でも、」
「なんだね」
 かわりに、慶次自身が自分に感じる矛盾が、解せぬ。どうした、慶次と耳元でくすぐる声はひどく優しい。そしてまた、慶次の矛盾を見抜き、すれすれの所で弄ぶかのような久秀は、残酷である。
「……ああ、……慶次。君も、自分自身を騙す程度には、悪人だよ……」
 笑って、幾度目か知れぬ。
 久秀は慶次に触れる。

キッズ・リターン風サスダテパロ卒業式の日編

 握り返された手の骨ばった感じも、その冷たさも、自分の体温がゆっくり相手に染み込んで溶け合っていくような、そんな感じも、全部覚えている。そしてそれを明確に言葉にすればなんと言うのか、よくわかっている。わかっていて佐助は、ただじっと思考を停止して、てのひらの感触を追う。

「佐助、今日帰りお前んち寄っていーか?」
 卒業式がつつがなく終了した。佐助ら二年生は一旦教室に戻り、卒業生へ個人的な挨拶へ行くもの、すぐに家に帰るもの、丸々空いた午後を遊ぶもの、塾へ行くもの、三々五々散った。さて自分はどうしようかととりあえず鞄を背負ったところを、政宗に呼び止められたのだ。別段予定が無いのは、政宗も同じらしい。
 ざわつく教室のロッカーにもたれると、政宗も倣って、鞄をひょいと足元に置いた。
「別にいーけど。真田の旦那はこの後部活だってさ、ていうか、先輩たちといろいろあるってさ」
「……I see. どうりでさっさと行っちまうと思った…なあ」
「ん?」
「泣いてたな」
「誰が」
「幸村」
「あー。……なんつーかな、旦那って割と感じやすいっていうか…雰囲気に飲まれやすいっていうか…そーゆ人じゃん?ま、三年生と別れるのが寂しいってのが一番だろうけどさ。仕方ないでしょ」
「あいつ、次期部長なんだろ」
「そう。だから引継ぎとかやんでしょ?実質夏あたりから部長業務やってたけどね」
「……俺も部活くらいやっておきゃよかったかもな」
「なにを今更あ〜。『めんどい!』の一言で片付けてたあんたが」
「間違いねえ。お前もな」
 適当なところで教室を出た。
 政宗が佐助の自転車の後ろに乗って帰るのは、もうお決まりである。既に三月とはいえ、吹き荒ぶ風はまだ真冬同然のものだった。
 海の方面へ出る。夏は爽やかさを運んでくる堤防沿いは、今はただただ学生に厳しい試練を与えている。自転車であるだけに、余計風の煽りを受けてなかなか進むのが困難だし、ひどいと目も開けていられない。
 後ろに乗る政宗も、佐助の背中に守られているとはいえ相当に風を受ける。佐助の腰に回る腕にも、つい無意識に力が入っていた。なるべく風を防ぐために、顔も俯けて佐助の背に頭を預けるような形でいる。これが、ここ最近の下校時の光景であった。
 自然の摂理であると思えば仕方がないのだが、この状態に、佐助一人は気が気でなかった。要するに後ろの人に強く抱きつかれているのだ。
(それがなんだ?……なんだってんだ!)
 とは思うのだが、どうにもこうにも、寒いは寒いのになぜかどこか熱いと感じる自分がいるのは事実なのだから、それも仕方がない。
 いつもなら別れ道で降ろして事は済むのだが、今日は自宅まで乗せていかなければならない。あまりの寒さに二人とも口を聞かなかっただけに、その道のりの長いことといったらなかった。

「さむいさむい」
 と、顎をがくがくさせ、足踏みしながら、政宗は佐助が自宅の倉庫へ自転車を仕舞うのを待っていた。ついでに手を擦り合わせて息を吹きかけている。佐助はそれを眺めつつ自転車を停めると、ゴソとポケットを漁り、鍵を取り出した。ちょいちょいと手を振って、政宗を呼ぶ。
「今日、親父が夜勤で多分まだ下で寝てるから。裏から入るよ」
「おお。珍しいな、お前んちに人がいんの」
 と言って、佐助が先立って歩くのについて行った。倉庫の奥から続いている勝手口があるのだ。
 政宗が佐助の自宅にやってくるのは、初めてではない。幸村と一緒に遊んだ分を含めたら、もう両手では足りないくらいは訪れている。そう広いわけでもないのだが、二人して、佐助の家がどうも居心地いいらしかった。
 もっとも最初政宗を家に上げたのは、丁度一年前の今の時期だった…などと、ふと思い返していたら、
「丁度一年前くらいだな」
 と、ずばり思考を読んだかのような言葉が後ろから聞こえて佐助は思わず息を飲んだ。
「エスパー?」
「あ?なんだ俺と同じ事考えてんじゃねェよ」
「ええ、そういう怒り方する…?ちなみに何が」
 少しばかり急な(というのは豪邸に住む政宗の言だが)階段を上る。薄暗い踊り場で、政宗はおもむろに佐助の手を取った。
「こーやってお前が俺を引っ張って来たのが」
 思わず足を止めた。忘れるはずはない。今思い返すと文字通り熱に浮かされていたとしか思えないが、確かに佐助は政宗の手を握り、引っ張るようにして家へ連れて来たのだ。もちろん佐助も同じことを思い出していたのだが、おそらく自分と政宗では、その意味合いが大分違うのだろうと思う。
 手を握ったまま政宗は感慨深そうに言う。
「あんときゃびびったしさすがに恥ずかしかったなァ?一体どういうつもりかと思えば、ミカン食わされた上に飯作らされたしな」
「やー……そんなこともあったっけねェ……あの、さっさと忘れてくんない」
 半ば振り払うようにして(もったいないと思ったが)(思った自分に、「大丈夫か?」なんて思ったが)手を解くと、トントンとまた階段を上がった。おいとかなんとか言われたが無視だ。階段を上がってすぐ右手が佐助の部屋である。今年になってようやく部屋に導入されたガスファンヒーターのスイッチを入れると、政宗を通し、自分はまた廊下へ出た。
「あったかい飲み物持ってくるよ。あ、そこの漫画読んでていーよ。ワンピの新刊まだ読んでないって言ってたでしょ。ベッドの上にあるから」
「ん」
 扉をバタンと閉じると、佐助は思いっきり息を吐き出した。

 佐助特製ココア(市販)から立つ湯気がほっと心を落ち着かせる。政宗は佐助に言われた通り、ベッドを背もたれにして漫画を黙々と読んでいる。時折、思い出したようにココアを手に取って大事そうに飲んだ。一口飲むと、たまらないといった感じで息を吐いた。
 同じようなことを佐助もしつつ、手持ち無沙汰なのでテレビを付けた。微妙な時間帯なので、主に奥様かお年寄り向けの番組しか放送していない。とりあえず再放送の懐かしのアニメにしてチャンネルを放り出した。
 ココアと一緒に持ってきたポテトチップスを摘む。佐助も政宗と並んでベッドにもたれ、うーんと腕を上に伸ばした。ヒーターで大分部屋も暖まり、どうもいい具合にまどろんでしまいそうな空気である。
 目を閉じた。パラリパラリと、政宗がページを捲る音、テレビからのチープな効果音だけが佐助の耳を刺激し、徐々に意識は沈み込んでいった。
 目を開けると、丁度アニメのエンディングが流れていた。然程時間が経っていたわけではないらしいが、心地よい眠りに落ちてしまったせいで、頭はぼんやりしていた。視界全体が曇りがかったようである。ふと隣を見やると、どうやら政宗も釣られて眠ってしまったらしい。漫画が傍にぽんと置いてある。
ベッドの縁を枕がわりにしているせいで、ずいぶん寝づらそうではあったが、政宗はすやすやと小さな寝息を立てている。起こしてやろうかどうか迷って、しばらくその安らかな横顔を眺めた。
(無防備にしちゃって、まァ……)
 ふいと横顔から目を反らして、まだココアが少しだけ残っているカップを手に取った。もう冷えてしまったココアを一口啜り、ついでに鼻を啜ると、両膝をそろえて立て、そこに顔を埋めた。思考は淀む。
 自分が政宗と二人きりになるたび、どんな思いで隣にいたか、政宗はまさか知りはしないだろう。だからこそ政宗の不意打ちの行動が恨めしいのだが、
(……知っててああいうことするんだったら、性悪だよねえ……)
 とも思う。政宗は鋭いのだ。
 さっき自分の手に触れた政宗の手の感触を思い出す。骨ばっていて冷たい、一年前と変わらない感触。いつも自分の腰に回る腕、ふざけて佐助にじゃれつく手、同じように幸村にも触れる手、そして最後に思い浮かぶのは、ある夏の日に見た笑い顔だった。身体の奥がじくりと痛むような感覚が煩わしい。
「……伊達、……政宗」
 どれだけ付き合いが長くなっても、名前では呼んでやるものか、と常々思っている。政宗が屈託なく佐助と呼ぶたびに、密かに心に決意することだった。慎ましやかで頼りないが、それが佐助なりの砦である。
(あんた、知らねえだろ……俺が、どんな目で)
 ゆっくりと気付かれないように、政宗の顔を覗き込んだ。声は囁きよりももっと小さい、ほとんど口の中で消えてしまうようなものだった。
(あんたを、みてるか)
 手を、肩に乗せた。そのままするりと首をなぞり、頬を撫ぜた。
 その瞬間である。
「……なにしてんだ、佐助」
「うひょおおおお!!!??びびびびっくりしっ…ごごごごごごめっ!!」
 慌てて手を離したが、それ手を逆に政宗に掴まれ、佐助は二重の意味でびっくりした。またじくりとどこか痛んでいる。
「……なあ、お前」
「な、」
「案外、触れたがりか?」
 ふれたがり、という言葉の意味が簡単には理解できなかったらしい。佐助は目を丸くして政宗を穴の開くほど見つめた。
「なにそれ」
「なにって、そのまんまの意味だろ。甘えたがりって言ったほうがいいか?あー、…それは甘えん坊か。触りてえなら触らせてらせてやるよ、ほら」
 と、とんでもない台詞を吐いて政宗は両手を佐助に向かって広げたかと思うと、そのまますっぽり佐助を抱きしめて、背中に腕をまわしてしまった。政宗の肩に顔を埋める形になった佐助は、たまったものではない。が、もがいてみても政宗はどうやら離す気が無いらしく、そうなると佐助としても離れるのは惜しくなった。触らせてくれるというのなら思う存分触ってやろうかという危険な思想まで生まれた。が、そこは踏みとどまる。
「あのー……もし俺にそっちの気があったとしてよ?あんた、今ここで襲われてもおかしくないとか思わない?」
「おかしくはねェな。なんだ、お前俺を襲うのか?やってみろやってみろ、返り討ちにしてやるから」
「なにそれ怖い!!」
 政宗は笑う。一体どちらの身体がより熱を持っているのか、やたら熱い。
 一体自分はいつまでこんなことを冗談にできるのか、佐助は全く自信がなかった。

歩み寄る松慶妄想の続き※18禁

 最初に口付けるのは、礼儀なのだとか、久秀が言っていたのを覚えている。しかしこの時は、ただ乱暴で、それでいて、執拗な触れ方だった。苦しさで声が漏れる。
「…ッ、まつなが、さ、……」
「黙れ」
 どうして口付けないのかと、訊ねる前に考えてみると、慶次の口には今命令されて二人が重なり合うのをただじっと見ている女の一人の紅が、べっとり付いているからだ、と思い至った。乱暴なわりには、幼稚なことではあるまいかと、慶次は気付いた事実にひっそり笑った。
 それが気に障ったらしい。解けるのも構わずぐいと髪を引っつかまれ、そのまま床にじりじりと押し付けられた。
「いっ…」
 思わず首を捩ったが、かえって痛みが増すばかりで、その隙をついた久秀は反った首を下から舐めあげた。背筋がぞわりと凍る。
「ッく、」
「…君は」
 久秀は低く呟いた。まだ慶次が、傍で恐れるようにして座る女共の存在を意識せずにはいられないというのに、久秀はまるで頓着しない。慶次の着物の裾を割って、手を差し入れた。息が詰まる。慶次の余裕のなさが、他人に見られていることによって引き起こされているのなら、久秀はそこにつけ込んで来るだろうと思われた。慶次も半ばそれを恐れた。
 が、久秀が口にしたのは別のことで、
「最近、不可解だな」
 と、言う。
 その言葉自体が不可解だったのは、慶次の方だ。
「な、に…?あ、……ッ、ん、」
「楽しいかね?」
 耳に直接息を吹き込むように、
「私を、怒らせて」
「あッ、……う、……ッ、松永さ、ん、よ、せっ…」
「質問に答えなさい」
 いつもより早急だった。ぬるりと自分の後ろが音を立てるたび、どうしても、女の視線が気になった。男であることをかえって自覚させられ、その羞恥に、久秀の問うところなど、わからない。
 それを久秀は知ってか知らずか、指の平を動かしては、慶次が反応する箇所を見つけ、執拗にそこばかりを責めた。答えさせたいのか、別の意図でもあるのか。
「……幼い」
「ひ、あ……そ、こっ……あ、あッ」
「見られて興奮する程度に、幼い」
「あん、た……おかしい…っ……あ、ッ」
「その幼い、君が……なにを企む?……慶次、」
「う、あ…っ…も、いく…ッ」
 慶次が吐き出すと、久秀は指を抜き、自身も達するために動くのかと思えば、目を細めて慶次を眺め見るだけだった。まだ息の整わない慶次は、ぼんやりした視界で久秀を見返した。
「慶次」
「……な、に……」
 手が伸びてくる。親指の腹で、唇をぐいと横に引っ張られた。紅が久秀の指に移り、それを畳に擦り付けると、同じ手で慶次の頤を掴み、口付けた。
「ん、」
 しばらくして、離れる。
 その瞬間、小さく、なにがしたい、と問われた。
 かと思うと、捨てるように、身体を突かれ、久秀はそのまま着崩れを直しもせず、部屋を出て行ってしまった。残された女共は戸惑った様子だったが、ひそひそ小声で話し合っていたかと思うと、慶次をちらりと横目で見て、入ってきたときと同じようにするする出て行った。
 慶次は倦怠感に包まれる体を起こし、形だけ着物を整えて着直した。誰かに頼んで、湯を入れてもらおうと考えていた。それくらいの自由が、この城ではきいた。
 ゆっくり立ち上がる。久秀が最後までしなかったのは、恐らく、久秀自身が酷く機嫌を損ねていたからだろうと思う。そのような状態での性交を、久秀は嫌う。
 嬲るための行為であった。
「なにが、したい、……か」
 慶次は笑っていた。別段、悪い種類の笑みではない。
「言ったじゃないか、ちゃんと」
 慶次もふらりと部屋を出た。
(それをあんたは、怒ったんだ)
 まだもう少し、ここに居座ろうと、慶次はそう考えていた。

長野旅行後の弁丸と佐助妄想

「旦那、旦那あー…もー、どこさー、旦那ー」
 ガサガサと腰まである草を掻き分けながら、佐助は時折右手に開けている山脈――丁度真田の本城が見える――に目をやっては、はあ、と溜息を吐いた。今朝方あそこから歩いて砥石へ向かい、弁丸と二人山菜を摘んでうろうろしていたまではいい。
 木の根に蹲ってぜんまいやらわらびやらを採取していると、突然、弁丸がはっと顔をあげたかと思うと、佐助、そこで待っておれ!とだけ言い残して一目散に山の奥へと姿を消してしまった。
 追うべきか、追わざるべきか、佐助が逡巡してしまったのは、まだどれだけこの小さい主のことを信頼したらよいのか、わからないからだった。命令と取るならば、それを無視して弁丸の機嫌を損ねるのも悪い。が、かと言って馬鹿正直に放っておいて見失うのはもっと悪い。
 佐助はまだ若くとも、名のある師のもとで修行を積み、実力を認められて弁丸の傍付きの忍びとなった。足には自信があるし、山中であれば人の気配はまだ読みやすい。
 それが慢心だったのか。すぐに追いかけたつもりだったのに、弁丸は、どこにもいない。
 まさかこんな瑣末な出来事で真田家の次男を儚くするようなことがあれば、自分の首はない。佐助は鍛え抜かれてはいるがまだ骨の細さの目立つ腕をするりと撫ぜた。責任がどっと肩に押し寄せてきた。
 より一層声を張り上げて、
「旦那あー!もう帰りますよー!おーい!どこだー!!」
 最後の方は若干やけっぱちである。責任を思うのと同時に、なぜ自分があんな小さな子ども、なにも知らない子どものために苦心して山を歩かねばならないのか、そんな不満がちらりと胸を燻ったらしい。
 この辺りは下に村々が広がっているし、見通しも良い。いざとなれば、景色だけを頼りに戻ることもできるが――と、考えていた時である。左耳に、ズン、と、何かが倒れるような音が聞こえた。少し遠い。
(あっちは熊が出る!)
 すでに春めいて、腹をすかした熊がいつ出没するかもわからない。佐助はさっと背筋が凍って、音のする方へ遮二無二駆け出した。嫌な想像で頭が一杯になる。
「あの、馬鹿旦那っ…」
 葉を踏む。ぱっと飛び上がり、随分山の奥まで来た――と思うと、見覚えのある赤い胴着が視界に入った。思ったより少し右だ。果たして弁丸である。
「あ、旦那!」
「む」
 弁丸はくいと小さな顔を上げて、佐助を認めた。その頬が鼻が、どろっとしたもので汚れている。またぞっとして、佐助は転がるようにして弁丸に駆け寄った。
「怪我は!?」
「怪我?」
「血じゃないの、これ!どうしたってえの、野党?熊?」
「おお、それだ」
「どれ!」
「熊じゃ。熊がおったので…」
 臭気が俄かに漂ってくる。佐助は鼻をスンと動かした。眉を顰める。どうも、人の血の匂いではない。となると熊のものであろうか…?
「……え、……え?」
「ただ、重くて敵わぬ」
「なにがよ」
「何度も言わせるな。熊じゃ」
 ほれ、と弁丸は後ろを指差した。目を向けると、なにか黒っぽい塊があるにはある。しかしそれが熊だと容易に信じられようか。それが熊だとしたら、倒れて、死んでいる、ということになるのである。弁丸の顔と言わず胸と言わずべっとり付いた血がその熊のものと考えるならば――佐助は、くらりと眩暈がした。
「佐助?」
 首を傾げて佐助の顔を覗き込む弁丸の肩にぽんと手を置いて、一先ず立ち上がった。そしてどこかへ行ってしまわないように赤子のような手を握りこみ、黒い塊へと近づく。
 紛うことなき熊、しかも稀なほど巨大な、大熊である。
 弁丸はその腰に刀を一振り下げている。その大きさに見合うような切り傷刺し傷が、熊の身体のいたる所に付いている。辺りに血も飛び散って、熊は疲れ果てて事切れたものであろう。
 佐助は小さな主を見下ろした。重くて敵わぬとは、この大熊を持ち帰ろうとしたのか。
 呆然とする他無い。
「……おれ、旦那の将来が、怖い……」
 ぽつりと呟くと。
「佐助は心配性だの」
 あっけらかんと返って来た。ついで、
「熊は、鍋にしたら食えるか?」
 と言う。
 佐助は力なく首を左右に振った。