雑記ログ集その7 さすだてのみ

佐助の腕を獲る政宗妄想

 いつからと言えば、庭先でうろちょろしていた忍を鬱陶しく思い、丁度手元にあった火縄でその肩を撃ち抜いてやってからだったのだろう。どさりと木から落ちた忍は、まるで死にかけた鹿のようにその場をのた打ち回り、顔まで血で汚し、政宗をこれ以上無いほど憎々しげな表情で睨んでいた。
 それからだった。
 冬になるので戦を止めたところで忍の仕事が減るわけでは無いらしい。なぜここにいると聞けば、いつも答えは「お仕事帰りのついで」だった。よく大気が冷えている。政宗は意味のない舌打ちをして部屋に籠った。当然のように忍が後ろにいる。
「律儀なモンだなあ、おい」
「なにが」
「真田にはなんて言ってるんだ」
「武田で伊達と和議を結ぶ動きがあるから、俺の口八丁手八丁でそういう方向に伊達当主を動かそうと頑張ってる、とか」
「ほーお、そりゃ知らなかったぜ、悪いな春になったら武田は潰すつもりだ」
「つれないの、やめてよね」
 向かい合って会話しているわけではない。政宗は敷かれた布団の上にごろりと寝そべって腕枕をしているし、佐助はその脇で背中を向けたまま何か食べたりしている。ぽりぽりという音が聞こえるから木の実か何かの類なのだろう、想像したところで興味も無いので振り向きもしなかった。
「アンタ俺のことが好きなんだろ」
「ぜんぜん」
 仰向けになって天井を見上げた。視界の右端に橙色の髪の毛がちらちらする。軽く襲ってきた眠気にすうと息を吸い込み瞼を落としても、佐助の気配は一向消える様子が無かった。
「好きでも無い奴と意味のない会話ってのはできねェんだよ、人は」
「ふうん。じゃ、あんた、普通じゃないんだね」
「………へえ」
 佐助は、鎖骨を抉るようにして肩を突き抜けた銃弾に倒れて以来、腕上がらなくなったのだという。それは忍として何を意味しているのか、政宗にはよくわからなかった。この忍が本当に甲斐に帰っているのか、仕事をしているのかどうかなど、確かめる術は無い。
 もし一つの仮定が事実であるとしても、政宗が意図して行った部分など無いと言ってよかった。面倒だから撃ち落とした、それだけのことで、その後どうなるかは、考えてもみなかった。忍一人が殺された、傷つけられたところで国に影響は及ばない。忍とはそういうものだった。
 政宗は薄ら笑うと、布団を引き上げて意識を投げ出した。会話を放った。
「寝ちゃうの」
 暫くすると、佐助が振り返ったらしい、そうして訊ねた。答える気は無い。
「ダンナ」
 佐助の声はやたら耳に柔らかい。眠るのに邪魔にならない。心地いいとすら思っていたのかもしれなかった。佐助はもう一言二言、何か言っていた。だがその頃にはもう政宗はなにか夢を見ていた。朝になると大概佐助はどこかへ行ってしまっている、けれど眠るまでこうして話していることがここ最近の常だった。
 もしかすると、自分が眠るのを見計らって、これは憎しみの、呪いの言葉を吐いているのかもしれない。
 そんなことをいつも、考えていた。

アニメ一話に触発されたさすだて

 確か六度目までは数えていた。それから先は余り記憶にない。数えるのをやめた。無意味だと思った。自分が数えるのは、無意味だと思った。そう思うと、驚くくらいこだわり無く、対することができた。できていたように、佐助は思っていた。どうせまた自分が止める羽目になる。何度も何度も、どちらかがどちらかを殺すまで。少し可笑しな理屈かもしれないと、目を開けたところで考えるのをやめた。
 隻眼が此方を見ている。
「どけ」
「今ウチは北条の軍勢に追われてる。味方さん巻き込んでまで、ってのは本意じゃないんじゃない?」
「北条如き片手でぶっ潰せる。三度は言わねえ、どけ」
「今日はまた何でそんなにぎらぎらしてんの。悪いけど真田の旦那はあんたと違って独断じゃ動けないんだよ」
 飽きた、という顔をしていた。あからさまに、如実に、殺気ごと独眼竜は、聞き飽きたと体全体で語っていた。だが佐助は理屈をぶつけるのをやめることが出来ずに、くだくだと、大きな嫌味ったらしい舌打ちが聞こえて刀を収めるまで、そして主が独眼竜にまたを語り己の任務に駆け出すまで、二人の間に立っていた。
 さあ消えよう、と足を踏み出した瞬間、政宗はそれを止めた。不覚にも心臓が跳ね上がった。狼狽を見せまいと、わざと睨むような眼差しを向けると、政宗も似たような眼をしていた。
「今度邪魔したら殺す」
 今回は幾度目だったろうか。佐助は不意に脳裏を掠めた瑣末な考えを飲み込む様に喉をこくりと揺らし、そして、笑ってみた。いつも浮かべる希薄で、軽くて、そして意味の無い笑みだ。場を取り繕うための、へらりとしたそれが、しかし、今回上手く形を成していたのか、後になってみても佐助はこれっぽっちも自信がない。
「殺してみろよ」
 誰かの口調を真似たような言葉が口をついて出てしまった。しまった、と思った瞬間には、政宗が珍しそうな、多分そんな感情を僅かに含んだ、微妙な表情をしていた。流石にそんなことを言う忍では無いと、認識されるに足るくらいは、政宗も佐助のことを覚えていたらしい。
 妙に腹が立った。六度目までは数えていた自分に腹が立った。馬鹿の一つ覚えのように戦って戦って飽くことの無い二人が、一度、本当に誰にも邪魔されず、戦い尽くしたらどうなるのだろうと、考えるだにから恐ろしくなって身体が前に出るようになっていた自分に腹が立った。
 嗚呼!
 唇を噛んだ。自分は怒っているのだ、と思うと、どうしようもなく胸のあたりがかっかと熱くなった。糞、糞、そんなこと簡単に言いやがって。無闇矢鱈に、拳に力が入った。硬質な手甲が手のひらに食い込む。政宗は何も言わない。隻眼が此方を見ている。まるで子供のようだった。こういうのを何と言っただろうか。佐助は記憶を手繰る。これが奥州筆頭でなどなかったなら。
 佐助の喉から、ひっ、と音がした。空気が擦れる音で、意味など無かった。次いで出た言葉も大層掠れて、しかし低く、佐助が言うにしては、極端な程感情が籠っていた。
「餓鬼」
 政宗がどんな顔をしたのかは、見る前に怖くなって逃げてしまったので、わからない。

よくわかんない現パロさすだて

 何から派生してそんな話題になったのかは正直覚えていない。
 久しぶりに会った幼馴染は、随分と軽薄な笑みを浮かべるようになっていたが、そう言ったら、あんたに言われたくない、と瞬時に返された。斜向かいに住んでいたやたら発育の良いハーフの女に、お前たちは変に似ているな、と言われたのを思い出しながら、取りあえず相手の咥えていた煙草を奪って地面でぐしゃりと潰した。それから適当な店に入って取り留めも無い話をした。だから、正直覚えていない。何でか、お互いを家族にするなら、どの位置がいい、と、そんなことを話していた。電車はもう無くなっている時間だ。
「兄貴がいい」
 と、幼馴染の、橙色の頭をした佐助は言った。俺に奪われた煙草は吸わずに、焼酎ばかりを呑んでいる。俺は日本酒を。安っぽいベニヤ板のカウンターの端っこで、いい歳した男二人が、目を据わらせている、そんな風景だ。
「兄貴ぃ?理由を言え、簡潔に」
「気に入らないから」
「あ?」
「俺様は、あんたが年下なのがまず気に入らない」
 偉そうにされると腹が立ってた。ずっと、等と、わざわざ顔を此方に向けて言われる。ということは、今俺が適当にイスの背もたれに寄り掛かって話を聞いているその体勢も、佐助の言う偉そう、に当たるのかもしれない、だがどうでもよかった。
「で?」
「身内は大事にするから、あんた」
 遠まわしに言っている。あんたは俺のことを全然大事にしてくれなかった、と。周りからは少し年の離れた仲の良い幼馴染と認知されていた俺達の内情はこんなものだったらしい。佐助は俺より六つ年上で、そんな男が、俺に大事にされたかったらしい、と、俺は今初めて知った。至極どうでもいい。
「あとは」
「何だよ」
「お兄ちゃんっていう響きに弱そうだから」
「妹萌えじゃねえよ俺は別に」
「嘘だあ」
「絡むなよ」
「ぜっ、ったい、無碍にできない、お兄ちゃん、って妹か弟に言われたら」
 そんなことは無いと思う。俺はそんなに人が好いわけじゃない。だからこれは佐助の妄想であって、その域を超えずに俺はやっぱりどうでもいいと思った。
「政宗」
「何だよ」
「政宗は」
「あん?」
 ああ、と少し考える素振りをしてみる。別にどうでもいい。もしもの話は俺は好きじゃない。なぜこんな話になったのか、思い返していたが、俺は実は、酒に弱い。何も思い出せなかった。
「はとこ」
「はとこって何」
「遠い親戚」
「どぶに沈んできて」
 久しぶりに会った親戚…じゃない、幼馴染は軽薄な笑みを浮かべていた。多分、それなりのつまらない人生を送ってきたのだろう。なのに、酷く凹んだように、ベニヤ板に突っ伏していた。
 身内とはセックスしない、と俺が言うと、佐助は小さく、うん、と言った。
 俺は斜向かいに住んでいたやたら発育の良いハーフの女が、実は俺の遠い親戚だというのを知っていたので、どんなにいい女だと知っていても、手を出さなかった。
 だけど佐助は、俺があの女に向けていた、血が繋がっているからという、ただそれだけの無償の愛情が、羨ましいらしかった。俺はそんなことどうでもよかった。
「だったら今からホテル行かせて」
「だったらって何だよ」
「お兄ちゃん抱かせて」
 仕方の無えことを言うな、と酒を煽ったら、あんたが言いだした癖に、と怒られた。
 お前今年いくつだっけ、と言うと、さんじゅうに、と泣き出しそうな声が返ってきた。

チェリー伊達妄想

 俺のアパートの隣の部屋に住んでいる伊達さんは、多分年は俺とそう変わらないか少し上くらいだと思うんだけど、すごくすれているというか達観しているというか、それでいて一昔前のヤンキーのノリを持っているというか男前というか、とにかくそんな感じだった。俺の主観だけの話ではなくて、ダチの慶次もああうんそんな感じわかるわかると頷いていたから、そんなに的外れな印象ではないんだと思う。
 夕日が排気ガスでぼやけてとても綺麗だなあなんて思いながら、俺はスーパーでシャンプーとかリンスとかを買った帰り、最近心持ち薄くなったような気がするビニール袋を片手に小学生がたまに車が来るから右に寄ったり左に寄ったり忙しく遊んでいる住宅街を歩いていた。伊達さんと一緒になったのはそんな道すがらで、俺はなんとなくぽかんとしながらこんにちはなんて挨拶をした。
 伊達さんはものすごく眠そうで、いつもは無造作に遊ばせてる毛先が無造作というよりは無茶苦茶に遊ばれていて、目の下に隈なんか作って、そういえば伊達さん昨日は部屋に戻ってないみたいだったなあなんて思い返しながら、その隣を歩いた。伊達さんは若干猫背で、それでも変に凛とした空気だけは変わらなくて、妙にアンバランスでぶっちゃけていうと男の色気がむんむん漂ってた。女ってこんなのに弱いんだろうなと思う。
「お疲れさんです」
 と、だから何となく言ってしまったのは別段特別なことでもないし、きっと慶次ならああうんそうだよねって下世話なくらいこくこく頷くと思うんだけど、伊達さんはゆらりと顔をこちらに向けて、ああん?なんて訝しげな表情をした。ああん?て言われても。
「いや、なんとなくね」
 笑って誤魔化した。きっと伊達さんは、余計な気遣いするんじゃねえとかなんとか、そんなことを思ってたんだようん、ごめんなさいそれこそ下世話なことに口を突っ込んだりして。そんなプレイベートなこといちいち言われたくないですよね、うん。とかいろいろ考えてたはいいんだけど、俺様って結構口が滑りやすいというか、好奇心は猫をなんちゃらというか、怖いもの知らずというか。面倒ごとには手を出したくないんだよねえ、と思いつつも面白いものはちょっと観察してみたくなるっていうか、そういうややこしい精神構造をしてたりするわけで、ポケットに手を突っ込んでけだるげに唸る伊達さんの横顔を盗み見て、ちょっと口の端を吊り上げて笑ってみた。
「あんまり無理しない方がいいよ」
 伊達さんはすっごい無表情で俺の事を見てた。いや、あの、それはちょっと傷つくからやめてほしいんだけど。俺は笑顔がひきつってたと思う。ああでも見返してくるのはすっごい無表情、もうすっごいんだから。見せてあげたい。
「まるで見てきたみたいに言いやがるじゃねえか」
 だってそっちの方がミステリアスでいいじゃない。カマを掛けるとも言うけど。
「いやあ、激しいんだなあ、なんてね」
「Fuck」
 罵倒ですか。無表情な上にそんな英語で罵られても正直どう対処していいのか俺様学校じゃ習わなかったよ。そんなこんな言ってるうちにアパートに着いちゃった。同じ階までのぼって、俺は一つ奥の部屋のドアを開けて、伊達さんも殆ど同じタイミングで部屋に引っ込もうとしてた。
「ねえねえ」
「Ah?」
「やっぱセフレとかっているの、伊達さんって」
 あわよくば紹介して、なんて別に思ってたわけじゃない。いや、だって伊達さんは一回も自分のアパートに女の子を連れ込んだことがない、俺が知る限りじゃ。てことはやっぱり一回限りの、とかそういうのだと思うじゃない。住所なんか教えないとかそういうドライな感じの。
 伊達さんは無表情だった。というよりはぽかんとしてた。いや良く見ると小首を傾げている。なんだその仕草は。口を開いた。
「セフレって何」
 
 後で知った話、伊達さんは相当のゲーマーで、よくダチの元親のところへ泊りこみでゲームをしに行くのだそうだ。なぜ泊まりこむかというと、元親は伊達さん以上のゲーマーでハードもソフトも全部揃ってるからだ。というかこの数日後に伊達さんから元親を紹介されて全部知ったんだけど。
「いかにも経験豊富そうな奴が妖精だと知った時の衝撃はどうよ」
 とこっそり耳打ちされた。
 そんなの知らない。別に萌えてなんかやらないんだからねっ。とか言っておいた。

アニメ六話妄想 ※ネタバレ

 戦場に医者なんて気の利いたものが足りている事など、まず無い。だから、単なる武士よりもその道に通じた戦忍はこんな時引っ張りだこにされる。と言え、徳川と伊達、両軍の兵士を見境なしに手当てさせられる羽目になるとは、この遠征の緒戦等には、想像もつかなかった。
 織田は滅茶苦茶だ。戦に情等持たぬ佐助のような忍ですら、そう思う程に、酷い有様であった。個人的には、武田の騎馬隊がほぼ無傷で済んだ上に徳川を引き入れることに成功し、何だ万万歳かとも呟きたくはなったが、それは心中のみにしておく。情け深く、だからこそ織田以上に無茶な作戦を敢行した、武田の主君たる御方の、自分は手足なのだから、そんな感想は抱かなくて良い。
 借りた寺は幾つか。佐助は生きている兵の中で、一番薬に詳しかった。だから退却の道中、信玄直々に、伊達の当主の手当てを任された。それはいい。それよりも、佐助は驚いていた。だったら伊達の陣営にすぐさま行くところを、強いて追及して。
「撃たれたんで?」
「うむ、奥州は遠き地故、一旦甲斐に寄り休むべしと使いを出した所よ。落馬したとな」
「……それは、どういう……」
「詳しくはわからぬ。幸村も伊達の陣営に連れ立っておる故、参るが良い」
「……御意」
 自慢の足は疲労してはいても衰える事無く、主の後を追ってすぐに伊達軍の殿に迫った。早日も暮れ道は危うく、しかし、遠くにちらりと青揃えの中に不釣り合いな赤が見えた。また一つ飛ぶ。
「おお、佐助か」
「お使いに出されたんで参りました。……で、具合は?」
 幸村は、竜の右目に馬を並べていた。足を緩めている暇は無いらしくまるで今から進撃でもするかのような馬の進め方、だから、悪いらしいとは聞かずともわかった。主の向こう、当の伊達軍筆頭は右目の腕の中でぐったりとしていた。
「織田の鉄砲隊に撃たれた由。佐助も見ておったろう」
「浅井が諸共攻撃を受けたのは。ひでえことするもんだ。その時にってことですか」
 はて、と思う。その後、独眼竜は明智と一線交えていたのではなかったか。川を挟んだ戦場の遠目であれ、それを見間違うほど佐助の眼は悪くない。
「何処を」
「腹だ」
 答えたのは右目だった。その精悍な顔立ちに、苦々しいものが乗っている。主が撃たれたのだから当然だろう。が、佐助は別のことを考えていた。
 そんな状態の主を右目が止めない筈があるだろうか。否、いつかの時のように被害が出る前に彼は止める、撃たれたのならば最早撤退を独断で行うことすら厭うまい。
 気付かせなかったのか。
 先に、今宵休むべき寺が見えた。
「あちらへ」
 先行して促す。ちらりと独眼竜を見た。あれは意識を失っている顔だ。

 外も中も、がやがやと騒がしい。正規の同盟を組んでいるわけではない武田と疲弊した徳川、伊達の兵がごったがえしているのだから仕方も無い。政宗はすぐさま上等の部屋へと運ばれ、幸村は一旦信玄の元へと戻った。右目の応急の血止めが功を奏したらしく、布団に横たわった政宗の顔に生気は無いものの、呼吸は取り戻していた。
 大体、戦場で兵は血を失い過ぎて死ぬ。腰の形が変わる程にきつく巻かれた包帯を解き、鎧も外させた。小十郎は自軍の重臣二人を傍に置き、佐助が命じる事を全て己の手でやった。火急故に詮無き事とは言え、尋ねずにはいられない。
「俺に任せていいの」
「その手が妙な動きをしたらすぐに殺してやる」
「……承知。心配なさんな、助ける」
 血止めの布が大量に要った。間に合わずに後ろの兵も忙しなく使われ、寺の小姓もひっきりなしにお湯を持って駆けずりまわった。
「運がいいよ」
 額当ての代わりに汗止めの布を頭に巻き、甲冑を外した袖も捲ってしまって、火で焼いた針で傷口を縫いつけながら佐助は呟いた。意識が半ば戻りかけているのか、政宗が小さな呻きをあげる度に佐助を睨み付ける小十郎が、眉をぴくりと動かした。
「もし身体に弾が残ってたら、もっと厄介だった。急所も外れてる」
「黙っていろ」
 血臭が酷い。処置が終わると、流石に佐助は震えた息を吐き出した。一国の主の体は重い。小十郎は安堵とまでは行かずとも、小さく佐助に頷いた。本当は礼を言いたいのだろう。他国の忍が殿様の身体に触れた無礼を込めて深々と土下座し、場を辞そうとした。後は右目が見る筈である。
 が、兎に角と脱がせた装束が視界に入る。それは足の先まで血で染まっていた。言うまでもなく全て政宗の血の筈であり、夥しい。あと半々刻でも処置が遅れていたら。
「何でこの人は戦ってたんだ」
 思わず口に出る。小十郎は、不気味なほどに穏やかな主の顔を見下ろしていた。去れとは言われない。佐助の問に含みを感じられなかったからだろう。
「おわかりの筈と、思っていた」
「…?」
「御身の大事さを、以前初めて織田に邂逅した時の恐怖の正体を、政宗様はおわかりになったと思っていた」
 なのに、政宗は誰にも撃たれた事を気付かせなかった。
「政宗様のお身体が、馬から落ち、地に仰向けのまま、微動もせずに。その瞬間まで俺は」
「右目の旦那のせいじゃないと思うけど」
「…………おわかりの筈と、思っていたんだ」
 佐助は政宗を見た。まるで子供のように眠っている。死んだ子供のようだ。
 佐助もその場にいた人間の一人だから、小十郎の言う事はよくわかった。似ているようで、政宗と己の主たる幸村には決して縮むことの無い懸隔があると言う事も、あの時ひしひしと感じた。どちらが良いというのではない。それは立場と背負うものの違いであった。
 だから例えば幸村は、今の政宗のように、痛みを訴えずとも良い。しかし政宗は。
「無茶苦茶だ」
 佐助は政宗から眼を逸らした。見ていられない。
「起きたら言ってやりな」
「……」
「あんたは敵国の下賤の手でその命助けられたんだと、起きたら言ってやれ。俺なんかの手で繋がれるほどその命は軽くない筈だ。屈辱と自分の浅はかさを思い知らせてやれ」
 斬られてもいい言葉だった。だが小十郎は動かず、出て行けと呟き、それでも怒気は籠っていた。逆らう理由は無い。
 廊で、信玄と幸村と擦れ違った。独眼竜の具合を聞かれ、ありのままを答える。失血が酷いと言うと、何か喉を通るものを持ってこさせよと言われた。手配に向かう。
(よくわからない)
 と、思う。
(どうでもいい、が)
 この手指であの傷口を塞いでしまった。
 あれはまだ生きる。なんだかぞっとした。