戦場でのことである。
 政宗は同盟国への援軍の総大将として駆り出され、傍を小十郎が守っていた。負けを呈した戦況を打破してやろう、という気も起こらなかったのは、気後れではなく単なる政治上の問題であった。同盟解除の動きが家中では大きい。
 輝宗が嫡子にわざわざ命じたのは他でもなく、元服した息子に一つでも多くの戦を経験させてやろうという親心であった。これをよくわかっているから、負け戦としても、状況が許すならば何か手柄を、と思わないでもない。小十郎にもそれを漏らした。
「では、挟撃してやりましょう」
 山の裾を迂回して、現在味方を攻撃している敵を後ろから叩いてやる、援軍の常道である。
「こちらの動きを察知されれば、待ち伏せもあろうな。数では劣らねえんだろうが」
「敵を二分できるのならそれで上等。無理に勝ちに行く必要もござりますまい」
 物見の報告では、敵は勝ちの勢いに乗じて大分押し出しているので、不意をつきたい伊達軍は早速移動を開始した。成功すればいくらか首級が上がるだろう。
 先鋒部隊の動きがおかしくなったのは山をまわりきろうとする時であった。すぐさま伝令がやってきて言うのは、どうやら敵方にも援軍があるらしいということで、それが伊達軍を発見して向かっているという。
 政宗は気付かれぬよう小さく舌打ちをしたが、最早援軍同士の戦闘は避けられまいと見て、隊列を組み替えて応じる事にした。旗印を聞けば、六文銭らしい。
「真田昌幸か」
 その手腕は政宗の耳にも届く、敵方の同盟国配下の武将である。恐ろしさと興味が湧いた。
 戦闘が始まっても、すぐに敵が政宗のところに来るわけではない。援軍という体裁を取っている以上、大将の首がもがれるようなことは万に一つもあってはならないのだが、既に陣は遠い。
「状況によっては俺も出る」
 小十郎はしぶしぶ頷いた。
 再び伝令があり、敵方の援軍は約五百と報告した。数の上でなら伊達が勝っている。
「出ずにすみますな」
「……フン、猛将がいたらどうする」
 この言葉が当たったのかどうか、戦闘は昼を過ぎても終りを見せなかった。押しつ押されつを繰り返すうちに兵にも疲れが見えはじめ、乱戦化していた。乗り手のない馬がそこら中を走り回っている。然程広くはない戦場なだけに、余計混乱が大きくなっている。
「この手、もしや忍びか」
「だとすれば準備のいいことですな。馬を使って戦場を乱すとは…。政宗様!」
 わっと叫び声が政宗の真後ろで上がる。政宗に迫った雑兵が小十郎に斬られたのだった。
 敵が近くまで迫っている。太刀を抜いた。
「そう渋い顔すんな。お前にとっちゃまだ子供だとしても、いっぱしに大将首なんだぜ。やすやすとくれてやる真似はしねえよ」
「それは当然でございます。小十郎が案ずるのは別のこと」
「なんだ、言ってみろ」
「政宗様は、刀にのまれやすいご気性にござりますれば」
 見返しても、冷静な眼差しに変化はない。自分で考えろということなのだろう。
 政宗と小十郎は戦火へ身を投じた。馬上から四人、五人、と斬り、押せ、押せ!と叫ぶ。
 大将の覇気に押されて士気が盛り上がり、敵が後退のきざしを見せはじめた。馬が潰れた。一時乱れた戦場は、小十郎の指揮もあってまとまりを取り戻しつつあった。そんな時に政宗が、
 なにかおかしい。
 意味を計りかねた小十郎は、一旦木陰へと避難した。政宗はきょろきょろ辺りに目をやっている。問えば、十間ほど離れた先に転がる死体を指した。味方のものである。
「よく見ろ、手裏剣で首をひと突き。さっきから気持ち悪ぃんだよ、あちこちで妙な気配が動いていやがってな。お前はどうだ、小十郎」
「いえ、一向にそのような気配は…」
 政宗が一体独眼で何を見ているのか、わからなかった。ふとある一点に視線を定めた主に、小十郎もそちらを見た。
 瞬間、危険を感じて咄嗟に政宗を地面に押さえつけた。政宗の頭のあった先を見れば、あの兵に刺さっていたのと同じものが木の幹に生えている。
「なるほど、これは」
 二人はさっとその場を離れ、駆け出した。気配はそのままついてくるらしく、矢継ぎ早にクナイが襲った。
「数は!?」
「今は、一人!どうやら狙われたな。これが真田の手か」
 攻撃を避けて走るうち、平野に出た。主戦場である。死体が夥しい。小勢とはいえ、大きすぎる損害だ。
 息つく間もなく斬りつけてくる雑兵をなぎ倒す小十郎の後ろでひたすら先程の気配を探っていた。そのような命令を受けているのか、見つけた気配は森の中で留まっていた。
 戦況がはっきり味方の有利であるとわかって、政宗は引き返した。小十郎がびっくりして叫んでいる。
「どちらへ参られる!?」
「ここは任せた。俺は、ヤツの正体を――」
「誰のだって?」
 奇妙な風体をした男がいつの間にか迫って、見たこともない大きな円に刃のついた武器を振りかざしていた。一瞬のうちに、森から飛んできたらしい。
 慌てて刀で受ければ、思いのほか軽い。跳ね返った男はそのまま身を翻し逃げる風にも見えたが、予期せぬ方向からまた攻撃を仕掛けてきた。その顔は笑っている。今度は避けて間合いを取り、構えれば、男は一層笑みを深くして、武器をくるくるまわした。
「や、大将サン?悪いけどウチの大将のとこまでは行かせないよ。ここで死んでもらうわ」
「いやに派手じゃねえか」
 小十郎は政宗の右側にいて構えた。男は飄々と喋る。
「バレなきゃ一緒さ」
「どうやら忍びらしいが、随分な口を聞くな。忍術か?それともその笑顔は、狂人の証拠かい」
 地を蹴って一気に間合いを詰め横振りした刀を男は事も無げに避け、代わりに茶色い玉を投げつけてきた。薙ぎ払うともくもくと煙が出て、あっという間にその場を煙が覆った。
 しめた、と思ったのは、既に男の気配をしっかり捕らえていたからである。向こうは目を潰して虚をついたつもりでいる。
「甘い!」
 武器を浴びせかけようとした忍びの背に回って、肩口を斬りつけた。しかし、
(浅い)
 異様を察知した男が身を反転させたからである。肩から血を噴出す男は苦々しげに笑い、クナイを放った。一つが腕を掠めた。
「ご無事か!?」
 この声を聞きつけた男は踵を返し、小十郎へ真っ直ぐ向かった。ぎょっとして追った。
「バカ、さっさと逃げろ!お前の手には、負えない」
 男は小十郎へ飛び掛かった。鋭い一刀を籠手にもらった小十郎はしかし、そのまま押し返して忍びを地面に叩きつけた。ぐう、と唸り声がする。
(やったか)
 と目を見開いたのも束の間で、小十郎の腕を捕らえた男は手にしたクナイで今しがた与えた傷をさらに抉った。あまりの痛みに怯んだ隙をついてあっという間に体勢を反対にしてしまうと、無防備な首を狙ってクナイを振り下ろそうとした。間一髪のところで政宗がクナイと小十郎の間に入ると、男はさっと飛びのいた。
 やがて風に流され、煙が晴れた。
 男の肩からは血がだくだくと流れているが、尚も笑った。
「なるほど?一筋縄ではいかないってわけか」
「わかったらさっさとおうちに帰るんだな。悪いが忍びごときを相手にしてる暇はないんでね」
 この時はじめて男の表情が僅かに歪んだ。
「……ふうん。俺、あんたのこと嫌いだなあ。気づいたらどう?あんたも笑ってるぜ」
 言い捨てた男は、黒い煙に包まれたかと思うと姿を消していた。
 真田が使う戦忍びの数多いことを、政宗は再び戦場を駆けながら認識した。二、三手ずから殺したものもある。大抵は軽装をしていて、身のこなしが普通ではない。とはいえ、最初に出会った男ほどの手練は少ないようだった。
 盛り上がった士気をそのままに兵を押し進めてはきたが、被害が尋常ではない。手勢は最初の半分いればいい方だろう。それより、本隊の具合が気になる。さっきから使わした物見はまだやってこない。もし負けたとあれば、さっさと引き返すほかなかろう。
 腕の手当てを終えた小十郎も、この点については同意見である。
「援軍同士で相殺したとて、無益…」
 特に今回の場合、努めて被害は少なく済ませねばならなかったのである。予想外の援軍があったとしても、政宗の失態と言っていい。そこで、なにか一つ欲しくなったのは当然のことであろう。しかしそれを小十郎は厳しく諫めた。
「最早最初の作戦は総崩れとなっております。となれば、命があるだけでも上等というのに、これ以上益を求めてなんになります」
 これがわからないような政宗ではない。本意ではないにしろ、頷いて、物見を待った。
 お味方、ほぼ壊滅!
 との知らせを聞いて、政宗は苛立ちも笑顔も見せずに撤退を命じた。
 が、その帰り路、伊達軍は真田の伏兵に悩まされた。最初からこの心積もりだったとしか思えない周到さなので、逃げよの一手を打つしかなかった。
(これが一体なんになる…)
 と思うほどの執拗さである。戦忍びの投入数といい、本隊、援軍共に壊滅させようという気なのか。だとしたら真田昌幸という人物について一から見直さなければなるまい。
 そう思っていたところへ、更に愕然とする事実が知らされた。伏兵にさんざんな目に合った先鋒部隊の一人が大将らしき人物を見たとの報告で、それが、昌幸ではないらしいというのだ。
「では一体誰だ!?」
「は、恐らく、真田昌幸が次男、真田幸村かと…」
「真田幸村?なぜわかる」
「自ら名乗り、兵を斬り捨ててござったゆえ」
「伏兵をして、名乗るか。Ha、上等だ。下がって俺の隊列に加われ。死ぬなよ」
 逃げの道、政宗はその幸村を遠目ながら一目で判別した。一人纏っている空気が違う。
 幸村は味方を次々と二槍で突き刺して、返り血を浴びている。大将でありながら、戦場を駆けずり回っていた証拠である。なにか、雷に撃たれたかのごとき衝撃であった。
(なるほど、こいつが…)
 状況を見なかったわけではない。しかし政宗は次の瞬間馬を捨てて腰の六爪を構えると、小十郎にすら否も言わせぬうちに幸村に斬り向かっていた。
 豹変してしまった。
「お主、」
 今までとは段違いの相手の突然の来襲に、幸村は言葉を継げずにひたらすら降りかかる攻撃を受けた。あまりの覇気に、周り一帯が水を打ったように静かになった。
 刃がぎちぎちと音を立てる中叫んだ。
「伊達藤次郎政宗!」
「…真田源二郎幸村!大将殿とお見受け致す」
「応、斬れ斬れェ!」
 笑っていた。
 伊達政宗十七、真田幸村十七、戦場での話である。