佐助宛に文が届いた日の午後はいやに寒さが感じられた。肌に痛いわけではなかったが、冷気を含んだ風は大きく膨らんだ花の蕾を危なげに揺らした。文の手は、初めて見る女のものであった。
 かすがが、近くの寺院で佐助を待っているという。極めて端的に書かれた文を一目で読み終えた佐助は、嘆息せずにはいられなかった。かすがの性格を考えたら、佐助に文を書くなどありえない。それが現実にあるという事実が、不安を掻き立てたのだ。
 何事か、というのが一つ。決して良い事とは思えない。そしてもう一つは佐助の個人的な感情であった。
 頭の内でとはいえ、かすがを抱いた自分が段々嫌になっている。
 とはいえ、無視をするには影響力の大きすぎる手紙であった。なにしろかすがの姿を見るのは本当に久しぶりのことなのだ。上杉謙信没後の消息を気にかけていないわけではなかったが、真田家自身も天下の騒乱に巻き込まれ目まぐるしい忙しさであったため、行方は知らぬままであった。
 心が浮くか否か、と問われれば、浮かないはずはない。少なくとも、かすがのことを好きではあった。
(ごちゃごちゃ考えても、仕様のないこと)
 であった。とにかく会ってみれば、かすがの用件はもとより、佐助のなんとなく晴れない気持ちもなんとか決着がつくはずであった。この辺りは、所謂経験主義的な佐助であった。
 指定された寺院には暮れ時に来て欲しいとのことで、その寺院は、真田屋敷から南に歩いた先の寺町の一角にある。確か現上杉家も寄進していた寺のはずだから、あるいはかすがの元同僚の忍びの手がまわっているのかもしれない。
 罠とは考えない。だとしたら、かすががまだ上杉に残留していると考えなければならなかった。しかし、
(それは、ない)
 かすがが心酔し、また信用していたのは上杉という家ではなく、謙信ただ一人であった。
 同郷の者として、戦場で会うたび抜け忍としての業を捨てるよう説得してきた佐助には、それが身に染みてよくわかっていた。わかっているからこそ、その点では安心して会おうという気にもなるのである。
 事の詳細がわかるまで、主人にこのことを伏せておくことにした。ただ今日は長屋で休む、と言ったきりである。文が届いたのは、幸村が突然佐助の借りる長屋の部屋を訪れた次の日であった。
 日が沈むまで半々刻と迫った頃、佐助は長屋を出た。出るとやはり寒い。久々の冷え込みである。
 まだ明るいので、飛ぶような真似はしない。至極普通の牢人を装ってとぼとぼと南へ歩いた。帯刀している。普段はない重みが、多少違和感を感じさせた。

 院内に入ると木立が鬱蒼として、日の光を遮っている。おそらく昼間でも然程変わりはしないのだろう。なるほど、忍び同士の密会にはおあつらえ向きの場所であると言えよう。人の気配はない。階段に座ってかすがを待った。
 この時佐助は、あるいはかすがは現れないのでは、と思っている。会えばいつも佐助に対して否を唱えてきた彼女のことだから、呼ぶだけ呼んでやって来ないとしても、決して不思議ではない、むしろその方が自然なのではないかとすら思えた。
 カラスがやたら鳴いて喧しかった。
 しん、とその鳴き声が止んだ時である。気配を察知して佐助が振り向くと、果たしてそこにかすがはいた。以前話で聞いた通り、尼の姿をしている。女らしい曲線が消えたその姿でいて、やはりかすがは美しく妖艶たる雰囲気を留めていた。佐助は思わず息をのんでかすがを見つめた。
「しぶといおとこよ、まだ、生きているなんて」
 か細い声はしかしどこか甘い響きを持って佐助の耳に届き、佐助は今まであった不安が雪のように溶けていくのを思った。不安以上の懐かしさ――を、強く感じたのである。
「まあね。久し振り、かすが。どう、元気でやってた」
 するとかすがは微笑した。どうやら佐助と似たような懐かしさを感じたらしく、そこにはなんの嫌味もなくどこか清々しいので、佐助もいつの間にか自然な笑顔を返していた。
「わたしのことはどうでもいい。おまえは、相変わらずだな…のんきな顔をして、罠だとは思わなかったのか」
「かすががそんな奴じゃないって事くらい知ってるよ。…でもなんか用があるんだろ?わざわざ屋敷を訪ねるくらい、大事なことが。まさか愛の告白だったりして」
 ようやくかすがは以前の通り、苛立ちを帯びた顔をした。鼻で笑う。
「わたしが生涯愛するのは、謙信さまただお一人、ふざけたことをいうな。…用向きというのは…おまえに、たのみたいことがあるのだ。…癪だがな」
「…その前に質問なんだけどさ。それ、出家したのか」
「言ったろう。わたしは今でも謙信さまをお慕いしている。……なればもはや、」
 かすがはそれっきりこの事には触れなかったが、佐助には先に続く言葉がはっきりとわかった。わかっていたし、今まで、忍びをやめた方がいい、と再三すすめてもきたが、それこそ最早、かすがを責めることも、褒めることもできなかった。かすがが浮かべていた寂寥とした表情もおそらく、謙信一人に向けたものなのだろう。
 逆に寂しくなったのは佐助の方であった。そこに羨望があったのかどうかは、佐助自身にもよくわからない。
「……そうだな。んじゃ、聞いてやりますかね、かすがさんのお願いとやらを、さ」
 佐助は、できる限りの事をかすがのためにしてやろうという気になっていた。

 寒い。とっくに日が沈んだせいばかりではなかった。佐助は心が寒い。しかし、かすがの願いを叶えてやりたいと思ってしまった以上、今はこの場から立ち去ることができなかった。
 そのかすがは、佐助のいる寺院の東門から出て、別の居館へ行ってしまった。そこに住んでいるのかどうかはともかく、やはり佐助の想像した通り上杉の忍びが幾人かこの寺院を使っているようだった。佐助を寺院の小さなお堂に案内した小僧も、そうらしい。
 別にそれはいいのだ。真田家も忍者を使うし、その情報網は寺にも農村にも、他家にも張り巡らせてある。同じことを上杉もしているのにすぎない。それはともかくとして、かすがの用向きは、奇妙奇天烈なものであった。だから佐助はげんなりしてお堂の真ん中に座って仏像を眺めているのである。
 事を説明しようとすれば、多少ややこしい。しかしそのややこしい中で佐助が一番気に入らないのは、
(かすがが、前田慶次と関わりがある…)
 ということであった。曰く、そもそも慶次は謙信と酒を飲み交わす仲であったのだという。俄かに信じられる話ではない。とはいえ謙信は辞世の句に酒を読み込むほどの酒豪であったから、玉川屋での慶次のザルっぷりを思い起こせば、会えば、馬が合わないはずはない、と思うのも本当であった。
 その縁から、かすがも慶次を知ったのだという。不思議なのは、大体謙信に近づく人間の殆どを嫌うかすがであるのに、どうやら慶次には好感を抱いているらしい、ということであった。
 その辺りを問い詰めたらなぜか頬を染めて、おまえには関係のないこと、だそうだ。佐助がこれを、慶次への恋心…とまではさすがに受け取らなかったにせよ、異様なことと思った。
 確かにかすがはその言葉通り、謙信のみを愛する対象としている。かすがの好感の意味は、慶次がかすがと謙信の仲を応援してくれた、ただそれだけのことであった。それを教えてもらえなかった佐助は、かすがが頬を染めた時点で不機嫌になった。慶次に負けたというのが許せないのだろう。しかしかすがが構わず続けていうのは、その慶次の、
「手助けをしてほしい…」
 ということである。かすがにしてみたら、謙信に対する気持ちに対して素直な肯定を示してくれた慶次に対して、なにか義理堅く思う気持ちがあったのだろう。佐助はますます眉を顰めた。
 曰く、慶次は、どうやら京都にあって色々やりたいことがあるのだそうだ。その点については佐助も身を持って知っている。それが、浮浪児たちへの奉公先作り、のみではないらしい。実際かすがは玉川屋のことを知らなかったので、それとは全くの別件である。
「だが、今のわたしでは慶次のために動くことは容易にならない」
 というのは、佐助が思うに、かすがには常に上杉の監視がついている。そしてかすがも、どのような心持ちからか、それを甘んじて受けている。かすがは一躍謙信の側近に勝るほどの信頼を得た。その分、他に漏れては困ることも知っている。だからこそ、かすがが上杉を捨てたとて、上杉はかすがを捨て置けない、のである。
 働く気はないが重要人物である忍びなど、普通なら殺される。だが、かすがは生きている。この点は、
(上杉景勝の配慮、か…?)
 かすがは語らない。だからこれは佐助の飽くまで推測であった。しかしそうとすれば、かすがが容易に動けないわけも、おのずとわかってくるのである。敵同士であったとはいえ、一応のよしみを通じた佐助を頼みにしなければならないほどの不自由、なのであろう。
 結局かすがが手に入れたものはなんであったろうか…。
 同じ忍びとして思わずにはいられない。かすがは生涯語らないであろうし、忍びをやめることのできない佐助には、死ぬまでわからないやもしれぬ。しかし、気に入らないことではあるが、かすがが謙信以外の誰かのためになにかをする気がある、という事実だけは、佐助にとって救いであった。
 だから寒くても我慢して座っている。人を待っているのだ。佐助が二番目にげんなりしているのはこのことで、はじめはかすがの言う事がわからなかった。ここに来るのが慶次ならばわかる。しかしそうではなく、
「独眼竜がやってくるから、話を聞け」
 というのだ。ぎょっとして背筋が寒くなり、なんで!?と、大声で聞き返してしまったほどである。しかしそれは別に佐助が政宗に対して未だ好感を持てぬというだけの理由ではない。政宗が動くとなれば自然一国が動くのと同義になる。
 慶次と政宗は繋がりがある。その慶次と繋がりのあるかすがが政宗と繋がっているというのは一応わからぬことでもないが、それにしても奇妙なことであった。
「一体、俺になにをさせようっての、かすが」
「だから、独眼竜に聞け」
 と言っただけである。むしろこれは、かすがの口からは言えぬこと…。という意味だったのだろう。なにか恐ろしくて仕方がなかった。結局事の詳細はわからぬまま、お堂に一人残され政宗を待っている。今こそ、
(罠ではないか…)
 と思った。
 お堂の内には蝋燭が何本も立ててあり、ちらちらと燃えている。その音がやはり、佐助には喧しかった。

 しばらくして本当に政宗はやってきた。小僧に連れられて入ってきた政宗は、いつかと同じく共を一人もつけていない。政宗の身の軽い事が今ようやくわかる。
 わざと振り向かず仏を眺めている佐助の背をちらりと見て、笑った気配がした。数日振りに会うのだからまだ玉川屋での記憶が新しいにしても、佐助はなにか緊張せずにはいられなかった。
 政宗も座した。小僧が下がってもなにも言わないで、しばらくそのまま時が流れた。佐助は不思議でならない。なぜ、こう何度も政宗と関わるハメになっているのか。
 思えば屋敷が隣になって、外交まがいに伊達家へ訪れ、差し障りのない世間話などをしているうちはよかった。政宗が幸村を碁に誘ったあの日より、佐助は政宗に振り回されるようになった、のだろう。
「酔いは醒めたか?」
 というのが開口一番であった。いつも通りの静かでわずかな嘲りを含んだ声である。
「そっちこそ」
 酒はもうごめんだ、だっけ?と慶次から聞いた言葉を嘲りで返してやれば、政宗は一瞬言葉を詰まらせて、しかしすぐにクツクツと笑った。狭い堂の内にはそれすらよく響く。
「こっちを向けよ、なあ。まさか、お前がいるとは思わなかった」
「あんたなんかには、俺の心持ちがわからないだろ」
 乱暴に立ち上がって、佐助はどっかと政宗の前に座した。忍びらしからぬ。蝋燭の明かりに照らされた二人の影がゆらゆらと揺れ、政宗はそれをつまらなさげに見て、
「わかりたくないね、そんなもん」
「あんたのそういうとこ、すっげえ嫌いだなあ」
 それを聞いた政宗は少し瞠目して、どこか拗ねた様子である佐助を眺めた。
「お前、今までよく手討ちにならなかったなあ…」
 ならぬのは当然である。佐助は上司に対して部下らしからぬ態度を往々として取る忍びではあったが、最低限の礼節はわきまえているつもりであったし、そもそもここまで嫌悪を露にするのは政宗に対してくらいである。 また何か言い返してやろうとすると、政宗が懐から何か取り出すので口を閉じた。
 文、であった。それを政宗は開いて寄越した。送り主の名は、慶、とある。前田慶次だろう。
 意外に流麗な手を読むうち、佐助はなんとも言えぬ心持ちになってきた。読み終わってつい政宗をまじまじと見た。政宗は腕を組んで、軽く首を動かした。それが、どうだ、と聞いているように思える。
 言葉を選び損ねて逡巡してしまったが、第一に、
「ばっかじゃないの」
 と出た。意外にも政宗は、確かに、なんて言っている。
「あんた、太閤さんに降る時いろいろ細工してたろ?自分の立場を守るために、命がけのハッタリかまして、なんとか首の皮一枚繋がって許されてるんだろ?それが、なんなんだよ、これ」
 佐助の言う細工、とは、政宗が秀吉に小田原参陣を言い渡されしかし結局遅参したことや、奥州での領土争いを咎められたことをなんとか逃れたことを指している。これは諸大名の間でも有名な話であった。伊達者、の名が広まった由縁でもある。
 本領安堵されたとはいえ、だから政宗の立場は一つ手を間違えればすぐに危うくなる、不安定なものであった。その政宗をして、なぜ、
「泥棒」
 などしようというのか。
 慶次の文に書かれた内容は、簡潔に言ってしまえば、こうであった。秀吉から、金を奪ってやろう。泥棒を、してやろう。わけがわからない。
「ばかはお前だ。俺が堂々とこれに加担して、付け入る隙を与えてやるとでも思ってんのか。俺が役目は、」
 相談者、であるという。つまり自ら手は出さない。その代わり、知恵は貸してやる、ということであった。言っていることは、玉川屋での算段と然程変わらない。しかしそもそも問題はそこにあるのではない。
「んなの、加担してんのと一緒じゃないか。つーか、本気でこんなことする気なのかよ」
「俺が実際ここにいるのがなによりの証拠だろ。まあやるのは慶次だがな」
「そんで俺が?」
「そうだ」
「ふざけんな」
「まあ、聞け」
 慶次は前田家の人間だが、出奔していて牢人だから自由に動ける。それに信頼の置ける人間を何人か揃えることができる。玉川隈八のような昔馴染み達である。実際に動くのはそれら、
「花組、と呼ぶか」
「ふざけてんのか」
「だから聞け。そいつらが実行部隊。お前には実行部隊が上手く動けるよう、手配をしてもらいたい。忍びの仕事だ、お手のもんだろ?」
「真田の忍びの仕事じゃあ、ない」
「幸村か…。そうだな、幸村には、俺から言っておく」
「おいおい…。言っとくけど、俺は乗らない。下手をすれば真田が取り潰される」
「俺はあんたの腕を買って言ってる。真田家に火の粉が飛ぶような真似はしないし、俺とてこんなところで終わる気はない」
「なんでそこまで?前の一件でもそうだけどさ、あんた、前田の旦那のなんなんだよ」
 政宗はまったくきょとんとして佐助を見返した。思わぬ質問だったのだろう。しばらくして返って来た答えは、さあな、の一言であった。はぐらかしているわけではないというのは、政宗の様子を見ていればわかった。
「ただ、俺も奴も秀吉が嫌いだ。……そいつァ確かだな」
 佐助は言葉もなかった。嫌いだ、だから一泡吹かせてやりたいと、まるで子供が悪戯を仕掛けるかのように、政宗は慶次と泥棒をしてやるつもりでいる。確かに政宗と慶次以下の人間、そして忍び働きをする佐助があれば、まるっきり不可能なこととも言えないだろう。しかし、それにしてはリスクの高い悪戯である。
「今のところこれを知るのは俺と慶次と、佐助、お前だけだ。あの女の忍びは、慶次から手練の忍びを紹介してくれと頼まれたに過ぎない。…お前、あいつに惚れてるんだったか?よかったじゃねえか、信頼されてて」
「別に惚れてるってわけじゃ…。…つーかここ、上杉に通じた寺だろ。ばれてないって言えるわけ?」
「それはお前がよく知ってんだろ。ここに、忍びの気配があるのか?」
 確かに気配はない。ないからこそ、佐助もこのような話を堂々とできるのであった。
「けど俺にはばれてる。俺が密告しないとでも?」
「ハ、誰が信じるんだ?仙台様が京の牢人と組んで泥棒を計画してござるってか?笑い話だな」
 笑い話、だ。佐助は大きな溜息を吐いて、最早呆れて反抗する気にもならなかった。とはいえ、かすがのためにもなんとか返事をしなければならない。
「真田の旦那の命でしか、俺は動かない」
 とするのが、一番であった。それを聞いた政宗はニヤリと笑って、
「OK、いい子だ。交渉成立だな。さあ、飲むか?」
 腰に吊るした瓢箪を差し出したが、これは丁重にお断りする。バカバカしい話が終わったと知って、ようやく佐助は緊張から解放された。政宗がなんと言おうと、まさか幸村が、こんな話を受けるはずはない。
「……あんたさ、なんか変わったよね」
「そうか?……俺はお前こそ変わったと思うがな」
 政宗は一人で瓢箪から酒を飲んだ。どうやら前回の反省はまったく無意味なものだったらしい。
「…あっそう…。俺、帰るわ。無駄な時間を、どーもありがとう」
 と言って、佐助が立ち上がろうとした時であった。僅かな空気の動きに何かを察知してピクリと動いた政宗は、おもむろに佐助に近寄った。近寄ったかと思うと、何かと佐助が思う間もなくその胸倉を掴んで、首元に鼻を寄せた。
「…え、ちょ、なに、…なに!?」
 突然のことに、緊張が解けてすっかり油断していた佐助がびっくりしたのは言うまでもない。慌てて胸倉を掴む手を引き剥がしにかかったが、その握力には敵わないのだと思い出した。
 政宗はそのまま、首筋の匂いを嗅いでいるらしかった。スン、と音がする。こそばゆかったが、それにしても、
(近い!)
 のである。今まで何度かあった接触を思い出してみても、これ程政宗が近くに来たことはない。佐助の鼻腔を、政宗の匂いがくすぐった。なにか上品で、清涼な香りがする。香を焚き込んであるのだろう。
 不意に、数日前に抱いた女のことが頭を掠めた。無理もない。この距離は、それを連想させるに申し分なく近い距離であった。頭がくらくらした。自分が掴む政宗の手の感触が、なにか生々しい。
 それに耐え切れず、気付けば全力で政宗を突き飛ばしていた。冷や汗が出ている。にやにやしているかと思って政宗を見れば、そうではなく、なにか傷ついたような表情をしていた。
(なんでそんな顔してんだよ…)
 おかしなことに、自分が悪い事をしたような気分になっていた。しかし政宗はすぐにいつも通りのにやにや顔を取り戻した。取り戻してとんでもないことを言う。
「女を、抱いてきたろ」
 身体に熱がさっと集まった。特に耳が熱い。忍びの矜持もあって、努めてそのような様子は見せないようにしたのだが、政宗には敏感に悟られてしまうらしかった。またニヤリとする。
「あ、あんたなあ…!」
「何だよ」
「ぐあああ!!むかつく!!」
 佐助の悲痛な叫びは、小さなお堂にこだまして夜の闇に儚く消えた。
 その数日後、佐助は幸村からとんでもない命を受けて、げんなりしたのであった。