一対の青い円盤を掲げて眺めると、その表に描かれた人物はいかにも生き生きと動き出しそうなほどであるにもかかわらず、どっしりと構えた姿がまた威厳に満ちてもいた。その円盤の縁は綺麗に研磨され、例えば普段使う大型手裏剣のように投げればいとも簡単に人の首が飛ぶだろうと思われた。物騒ではあるが本来そのような使い方をするものらしかった。円盤型の大型手裏剣なのだと言えばわかりやすい。 これを見つけてきたのは他ならぬ主幸村だった。今朝のこと、 「これを見よ佐助!」 と言って幸村は佐助の部屋に駆け込んできた。城下に出ていたからその帰りのはずだった。手になにやら大きくて平たい風呂敷包みを持っていた。団子ではないらしい。 「なにそれ」 「芸夢というものらしい!それより、これだ、これ」 幸村はいそいそと座って紫の風呂敷を解くと、青塗りされ光を反射する円盤を取り出した。見る限り何の素材でできているのかわからないが一部が七色に輝いて美しい。その表に墨か何かで描かれた人物を指差す。佐助はこの人に見覚えがあった。それでなくとも、月を象った前立てに眼帯と言えば、この世にはまず一人しかいない。 「政宗殿が描かれている。よく似ておろう。佐助、これをお前に、やる」 「やるって言われても、こんなもの…いやいや、これ一体なんなの?何に使うの?」 「これは二枚で一組になっておってな」 幸村は円盤を二枚佐助の膝の前に並べた。もう片方にもやはり独眼竜が描かれている。並べたうち一枚を手にとって、その縁をよく見せてくれた。刃物のようだと言うと、そうだ刃物だと返される。要するに幸村は武器を佐助に与えようというのだった。それは武将ならば単純に名誉として受け取ってよいものだった。 佐助は丁重にお断りした。忍び如きに、武器など与えてよいものではない。幸村はそれでも強いて与えようとするだろうと予想したから、口をつげぬように、 「それにしたって、なんで領内にこんなもん売ってんの」 と訊いた。単に気になる。 「それがまた意外な話しでな、売っていたのはまだ年端もいかぬ娘で、はるか北の国から下ってきたのだと言うから、これは蝦夷のものかもしれぬ。一目見てよい品だと思ったから譲り受けた」 「いやいやいや蝦夷って、旦那。おかしいでしょ。なんで蝦夷に伊達殿の顔が知れてんだよ」 「政宗殿のことだ」 「はあ」 どれだけ顔が触れていてもおかしくはないと言うのか。佐助は仕方がないので円盤をもう一度しげしげと眺めた。幸村はこれを芸夢と言った。聞いたことのない言葉だ。 「げいむってどういう意味?」 「さて、俺も説明を聞いたがよくわからぬ。なんでも、これは武器ではあるが、他の用途にも使われるらしい。それにはもっと大きな装置がいるらしくてな、するとどうやら遊び道具になるらしい。そちらにも興味を引かれたが、生憎娘はその装置を持っていなかったのでな…」 「よくわかんない話だねえ」 「だが気に入った。使えよ、佐助」 「はばかりがあるね」 「む、なぜだ」 「なぜって、じゃあ訊くけどさ、俺が旦那の似顔絵が描かれた手裏剣で人をずばずば殺してたらどう思う?自分を粗末にされてるって感じない?」 さしては、と幸村は答えた。本当に真剣に考えてくれたのかどうか、佐助は半眼で幸村を見た。しかし一向頓着することなく、逆に幸村はじっと佐助を見詰めてくる。それは佐助に是非受け取ってもらいたいという願望が溢れんばかりに含まれた眼差しだった。 そこまでされると強いて断る理由もなかったかのように思われてくるから、この主は油断ならない。結局佐助は風呂敷ごとこれを受け取ってしまって、機嫌よく去った幸村を見送った後また一人でこの奇妙な円盤を眺めているのだった。 それにしても似顔絵はよく政宗を写し取っている。以前見た政宗の姿と、なんら変わりないように思われた。今は澄み切った青が眩しいほどの光沢だが、これを戦場で使うとなると血に汚れてしまうことは避けられない。それは一体どうだろう、と考えている時点で、佐助は自分が政宗に対して何かしら気にかけているところがあるのだと気付いた。一度湯を共にした記憶がまだ新しい。 円盤を眺めるうちはっとしたが、これはこのままでは武器として使えない。佐助の大型手裏剣は、その内部に頑丈な糸が仕込んであり、その糸の反動で投げやった手裏剣が手元に返って来る仕掛けになっている。幸村が命令として使え、という以上、これもそのように改造してやらねばならなかった。 その日佐助は夜中遅く、そして暁光が差すまで円盤と向き合って仕込み作業に没頭していた。 翌、昼まで仮眠を取った佐助はさっそく城内の練兵場で武器を試す事にした。丁度飯時なので人もまばらだったが、たまたま才蔵が木陰で休んでいた。その横には一人稽古のための丸太に麻布を巻いたものが立てられている。佐助はそれを狙って構えた。すると才蔵がからかうように、 「長」 と呼んだ。霧隠才蔵は名目上では佐助の忍隊の部下だが、その実力は佐助と然程変わらないし親しい仲でもあるから、普段才蔵は佐助を長などと呼ばない。呼ぶとすれば常に揶揄がこめられる。 「またまた珍しいモン持ってますねえ、それで人を斬るおつもりですかい」 「ほっとけ」 佐助は取り合わずに、円盤をいつもの要領で投げた。素材の軽さのせいだろう、入れた力と飛んだ手ごたえが噛み合わなかった。にもかかわらず空に飛んだ円盤は見事丸太を分断した。切り口が恐ろしく鋭い。丸太はしばらく斬られたことに気付かないように静止していたが、息を吐く間にゆっくりと音を立てて、切断された上部が地面に落ちた。才蔵もこれには息を飲んだらしい。立ち上がって円盤を覗き込んだ。 「長、そいつは…」 「へええ、こりゃ、また…」 佐助自身も、これほどの威力とは思わなかった。手裏剣と違って均等な薄さである分、刀のような鋭さが足されているらしかった。今はまだ慣れなかったので威力全部を引き出せたとは思わない。それがまた恐ろしかった。才蔵と目を合わせて、しばし言葉がなかった。 「これ、もしかしてあれじゃあないのか、伊達政宗」 才蔵は円盤を指差して言った。頷くと、なんで?と童子のように首を傾げる。心底不思議らしかった。 「そんなの、俺が聞きたい…」 あまりの切れ味に、佐助はむしろこの独眼竜の似顔絵が影響しているように思えてならなかった。青の光沢の上で黒く笑む政宗を見た。それはこの世のなにものをも見下す笑みに見えた。 これだけの威力があるなら、実践で使わないわけにはいかない。幸村に一体礼を言うべきだろうか。 「……なあに持ってんだ、あんた…?」 その実践がまさか対伊達戦になろうとは、全く可能性のないことではなかったにしろ、佐助はげんなりしていた。しかも例によって幸村を捜し求めて一人突出してきた政宗と出くわすハメになった。そして佐助の武器を見た政宗は、あまりのことに戦そっちのけで微妙な顔をしている。 「いやあ、はは…。うん、言いたいことは、なんとなくわかる…」 「わかるなら答えてもらおうか。一体、なに持ってんだ、あんたは」 「えーとね…。独眼竜のダンナの似顔絵付きの円盤型大型手裏剣、かな…」 あまり率直に答えられても、困るらしかった。政宗は横目に転がる死体を見やった。 「やたらすっぱり斬られてるのが多いと思った、が…」 忌々しげと言えば忌々しげである。佐助が相手をしているから、政宗を奇襲しようとする部下もいない。二人のやりとりを固唾を呑んで見守っているわけだが、この会話にそれだけの内容があるのかどうか。手持ち無沙汰なので、円盤を手元でくるくるとまわした。 「ちょっと見せてみろ」 「え、無理」 「無理じゃねえ!人の顔を勝手に使いやがって」 「そんな事言って、不意打ちにすっぱり俺を斬ってくれるんだろ。無理」 独眼竜の顔ははっきり不機嫌であった。うまい返答が浮ばなかったらしい。無理もない、ここは戦場で佐助と政宗は紛れもない敵同士であった。話しをするだけならまだしも武器を寄越せとは無茶だ。 「……敵将のツラとはいえ、随分粗末に扱ってくれるじゃねえか、忍び」 「おっしゃる通りで…」 「そんなに俺が憎かったか」 「いや、そういうわけでは」 「それで俺を斬ったら気持ちいいだろうな」 「どうかな、後味悪そう…」 「ちいと黙れ」 政宗がべらべら喋るのだ。不当な扱いだと思った。仕様がないと言った風に政宗は刀を二本に増やした。その殺気に、雑兵と部下の忍者たちが気を張り詰める。不機嫌なせいだろうか、いつもの笑みは浮んでいない。佐助もやれやれと溜息を吐きつつ円盤を構えた。 こうしていると今更ながら、政宗とお互い裸で風呂に入ったなど信じられず、幻想のように思えてくる。なんの偶然からか、佐助は仕事に向かう先で政宗と出会い一緒に風呂に入るハメになっていた。しかし今会ってもお互い平然としていた。あの時から、再び会うならば戦場であるということくらいわかっていた。わかっていたから平気であった。だが佐助は湯の中で自分に沸き起こった心持ちだけは夢とも思えずはっきり記憶している。それは情欲とも憐憫ともつかないが、思いがけず沸き起こったものであった。 政宗の動きは早い。佐助も出来る限りの速さで対応した。円盤の刃はことごとく二爪に防がれ、ともすると押され気味であった。至近距離での戦闘には向かない武器だった。 ふと政宗の足元に隙が見えた。罠だろうかと疑うと同時に足払いをかけるとやはり罠だったらしい、ひょいとそれを避けた政宗は佐助をそのまま押し倒した。刀の柄で押されたのだった。背中と言わず肩と言わず強く打って、声が漏れた。信じられない力で押さえ込まれ身動きが取れなかった。両腕を掴まれていた。 部下たちが咄嗟に手裏剣を投げつけようとするのがわかった。それでいいと思うと、独眼竜が声をあげた。 「てめえらの長だろう。それを投げるなら殺す」 「そんな脅し、効くかよ…」 忍びの命は戦場にあって誰よりも軽い。それは佐助の実感だったが、なぜか部下たちは動きを止めた。独眼竜の取引に乗ってしまった。佐助は顔を顰めて、いつの間にか部下たちが佐助に情を持ちすぎていたことを猛省した。今佐助が構わず殺せと命ずれば命ずるほど、部下たちは動けなくなるだろう。 「いい部下だな」 政宗はニヤリと笑った。 「そりゃ、どーも…。教育し直さなくっちゃね」 「さあて…」 と言って、政宗は佐助を押さえ込んだまま、佐助が取り落とした円盤をしげしげと眺めた。 「どこの品だ、これァ?」 「さーね。蝦夷か、それよりもっと北か、だそうだよ」 「ふうん…。俺の顔も知れたもんだな。奇妙な素材を使ってやがる。どうだ、使い心地は」 「なかなか良すぎて、物騒だよ。あんたも見たろ、あの切れ味」 「そうだろう」 さも当然のように、まるで自分の顔が描かれているからこそだと言わんばかりの返答に、佐助は苦笑した。不思議と死の恐怖はなかった。政宗に自分を殺す気があると思えなかった。 佐助の目の先にはすぐに政宗の喉もとがある。白い襟巻きに覆われているが、佐助はその下に疱瘡跡が残っていることを知っていた。それがなぜか小気味よい。 「ヤローの下で死ぬのはごめんだと思ってたけど、なかなか見れない景観だし、悪くないかもね」 「そうか?光栄に思えよ。それじゃあサヨナラだ、忍び」 政宗は刃を佐助の喉にあてがった。手裏剣を投げつければいいものを、部下たちは動けないでいる。佐助はそれでも構わなかった。独眼竜の下で、誰にも助けられずに死ぬのは悪くないと思った。一方、ここまできてもやはり政宗に自分が殺せるとは思えなかった。 「バカ、さっさと殺せ!」 聞き慣れた声と一緒に鋭い一刀が政宗に向かって飛んだ。その一刀は政宗に届く前にはじかれた。大柄の人物が刀で防いだのだった。 「才蔵…」 「…小十郎」 瞬間押さえ込む力が緩んだので、佐助はさっと政宗の下から抜け出した。才蔵の傍まで飛ぶように辿り着くと殴られた。容赦ないので口が切れた。 「一体部下にどういう教育してる!?どちらの命が重いか、わかるだろうが!てめえもてめえで…チ、もういい、敗走だこのアホ!」 「悪いな、助かった。おい、引き上げだ、散れ!」 部下たちはこの時はすばやくその場から消えた。政宗を見やると、佐助と同じように怒鳴られていた。 「一人で無闇に突き進んでくれるなと、一体何度言わせるおつもりか!命がいくつあっても足りませぬぞ!大体忍びなどと一対一で斬り結ぶなど…小十郎はまったく、なぜ政宗様が生きておられるのか不思議でなりませぬ!」 さんざんだ。佐助は思わず笑った。政宗は面目丸つぶれといった調子で、小言を聞いている。笑っている佐助に気付いたらしかった。 「おい!」 政宗が声をかけると、小十郎のお説教は一旦止まった。小十郎は、まだ佐助らがその場に留まっていたことに驚いているらしかった。 「どーも、サヨナラし損なったね」 「うるせえ忍び!お前な、その円盤に名前書いとけ!」 「は?」 「いいか、次会った時書いてなかったらぶっ飛ばすからな」 有無を言わせぬ調子なので、佐助はわけもわからず頷いた。そして不思議なことに政宗は小十郎を引き連れて引き上げ、佐助も無事敗走できたのだった。 「…おい佐助、なんだありゃあ」 才蔵が訝しげなのも無理はない。佐助自身、なぜああも軽い調子で独眼竜と話せるのか、よくわからない。最後に言われたことはもっとわからない。刀などは名を彫る場合もないではないとしても、佐助は全く守っていないが忍者は基本的に名を明かさない約束だし、ましてや武器に堂々と名前など無用心を通り越してまぬけである。 「そんなの俺が聞きたい」 だから佐助はこう言うしかなかった。そこにまったく嘘はなかった。 「書くのか」 「…まさか」 才蔵は確かにこう答えたのを聞いた。そしてそのまま二人は風のように陣営に戻った。 しかしその翌日才蔵は、綺麗に洗い終わった円盤に名前を書く佐助を見ることになるのである。そして一人、なんだありゃあ、とごちた。 |