性懲りもなく再び真田家にやってきた慶次が幸村を無理矢理隣に座らせるので、なにを話すのかと思いながら傍で武器の手入れをしていた。それは存外興味深い、慶次が米沢に駐留していた時のことであった。普段ならすぐにでも慶次を一蹴してしまいたいのがみえみえな幸村も、独眼竜が絡むとなれば話しは別である。 「それは初耳だ」 案外幸村は政宗と交流を持たない。慶次のような珍しい人物が半年も領内に居座っていたのなら、話しの種にならないはずはないのだ。 二人は縁側に並んでいた。慶次は夢吉に煎餅をやっている。小さな可愛らしい手が器用に煎餅を掴んで齧るのも、幸村は物珍しそうに見た。大の男二人に、その小猿は似つかわしくない。幸村は基本的に動くものが気になってしまうらしい。 そもそも、前田家を出奔した慶次は気の向くままに諸国を巡り、行く先々で色々な誼を作っていた。南へ西へ漫遊旅行に興じるうちに、今度は北へ行ってみたくなり、途中は信濃も通りつつ、まずは越後へ入った。そこで謙信と飲み交わす仲になり、別れを惜しんで離れると、次は奥州へ訪れたのだという。 「……それ、ほんとの話しだったの?」 「なにが?」 急に割って入った佐助に、慶次は首を傾げた。なにがもクソもない。佐助はかすがの話しを半信半疑に思っていたのだから、まさか本当に慶次が謙信とそのような仲だったとは、驚きを隠せないのである。それはどうやら幸村も同じらしい。謙信といえば、言わずも信玄の終生のライバルであり、幸村にとって信玄が雲の上の偉大な存在であったように、謙信もまた然りであったのである。目の前の馬鹿げた格好をしているかぶき者を謙信が対等に扱ったのだとは、俄かに信じ難い。 「嘘を吐くな!お主、俺がわからぬと思っていい加減なことを!」 というか、信じたくないらしい。声を荒げて立ち上がる主人を、佐助はあーあと溜息をついて宥めにかかった。幸村の謙信へのある種の「憧れ」は、よく知っている。かすがが信玄を以て「謙信様はあの男しか見ていない」とか嘆くのと似たようなものだ。 「旦那、落ち着いて。気持ちはよーくわかるから」 「そうそう、落ち着けって。事実は事実なんだから、仕方ないだろ。つーか俺が話したいのそこじゃないし」 慶次は手をひらひら振って、まるで取り合う気がないらしい。これ以上ムキになっては大人気ないとでも思ったのか、幸村は我慢するように唸ると長く息を吐いて、座った。幸村は長時間慶次と喋ると、血管が二、三本切れるのではないだろうか、と佐助は思った。 「で?なんで伊達さんとこに居座ることにしたわけ?」 庭に干し出した細々した武器へ向き直り、手ぬぐいに油を染み込ませながら尋ねる。 佐助は別に暇なわけではない。慶次と幸村を二人きりにしたら、何が起こるかわからないから、慶次には屋敷を訪れるなら事前に佐助へ連絡するよう、伝達用に飼い慣らした小鳥を一羽貸してあるのだ。その鳥は今佐助の肩の上で大人しくしている。 佐助が泥棒の件で部下の報告を聞いていると、その鳥がピーチク鳴きながらやってきたから、やれやれと思いながら屋敷に戻ってきたのである。 その部下というのは、穴山小介である。佐助は彼の大笑いを思い出していた。慶次に鳥を付けそれに振り回される、政宗には愛妾にされ振り回される、幸村の気まぐれ(と佐助は解釈するしかない)で、妙な任務を背負わされる。報告を終えた小介に、鳥に突っつきまわされながら愚痴がてらそのことをぶつぶつ言ったら、こうである。 「いいじゃねえですか、前田の馬鹿と伊達の大馬鹿、そして我らが天下の大馬鹿主人と、真田の忍びを交えて仲良くやったらいいでしょう。そこんとこは、長にまかせっきりなんだから」 「お前ね」 と、佐助は顔をひくつかせた。小介は涙を滲ませながらヒーヒー笑っていた。笑うだけ笑って、転がるようにして帰っていった。ちょっぴり殺意が湧いたが、それを言うなら佐助はいっそ慶次も政宗も殺してしまいたい。どれだけ楽だろうか。また溜息が出る。 言ってみりゃあ、俺も竜に惚れちゃったんだろうなあ。 慶次は空を見上げながら、悠然と朗じた。時が止まったように慶次を凝視する主従に気付かないのが、慶次が慶次たる由縁である。 「初めは引いたけどさ。だって、ひあうぃーごーとか、かもんがいずとか、わけのわかんないこと言って、むさくるしいし。独眼竜ってだけあって、ものすごい神経してるし、へそ曲がりだし、攻撃的だし」 「……それはわかるかもしれぬ」 凝固していた幸村が頷く。妙に笑える光景だ。佐助も止まっていた手を動かし始め、クナイを日の光に照らして刃毀れが無いか確認する。慶次は幸村の方にぐっと身を乗り出して、額が触れそうな程近づいた。うわ、それ近くない?と佐助が思う間もなく、慶次は真剣な声音で言う。 「でも、俺はあんな眼を見たことがなかった。……独眼竜って言うだけのことはあってね。あの眼の奥にあるものを、ちょっと見てみたくなったのさ。だから半年、米沢にいた」 すぐに退ける素振りを見せた幸村はしかし、滅多にない慶次の真面目な顔に不意をつかれたらしく、中途半端に浮んだ腕を下ろし、またも頷いた。 「その気持ちも、よくわかる。政宗殿のあの強さが一体どこから来るのか、俺は戦場にて幾度まみえようとも、見極めることはできなんだ。あの、広大で厳しい冷たさの中の、雷鳴の如き熱さの正体を――」 いずれ俺は掴み取り、竜を討つ。 慶次は何も言わずに幸村から身を離し、どこへとも知れず、 「戦は終わったよ」 と投げかけた。佐助は何も言わず、目を丸くしている自分の主人を見つめた。慶次は落胆しているのだと、佐助はぼんやり考えていた。それが証拠に、いつも明るさを絶やさぬ慶次のこの表情はどうだ。悲しげでありながら、なにか諦観染みたものが満ち満ちている。 (――終わったなんて、前田の旦那も、本気で思えやしないんだ) 慶次を大馬鹿だとは思うが、決してその思想が佐助のものより大きく外れているとは思わない。戦は嫌だ、戦は終わったはずだ。――本当にそうか。 望むものと現実の違う事が、戦うものであるだけによくわかってしまう。ただ、慶次に戦は必要ないものであるから、やはり佐助や幸村とは違う。反駁は無意味であろう。 幸村がなにかごちゃごちゃ言い出す前に、佐助は慶次に尋ねた。 「それはともかくさ、あんた、隈八さんのような仲間を揃えるって言ってたろ。こっちから要望あんだけどさ」 「ん、ああ、いいよ」 「力自慢が必要なんだよね。例のモン、運び出すのにさ。確認だけど、望みはそんなに多くないんでしょ?」 慶次は頷いた。最低千両箱一つ、と言い添える。それなら最低四人は用意してほしいと言うと、慶次は意外そうな顔をした。 「そんなもんでいいの?」 「俺達を甘く見ないでほしいなあ。――任せておきなって。頼まれたからにはきっちり仕事しますよ」 佐助がにやりとすると、連動するように夢吉がキキ、と鳴いた。慶次は狐につままれたようだ。 しばらくして、そうそう、政宗もそうだけど、小十郎さんも大層おもしろい人でさ――と、慶次は持ち前の調子で二、三話した。佐助は武器をしまい、代わりに二人に茶を出した。念のため人払いをさせてあるから、幸村の部屋に一番近い客間の縁側には、誰も近寄らない。 慶次は興味深いことを言った。 「小十郎さんにとって政宗は、神様なんだろうと思うよ俺は」 幸村が目を細め、思い出していたのは、信玄の在りし日のことであろう。伊達の主従観を、自分と信玄のそれに重ねている。佐助はそんな主を眺めながら、あることを決めていた。 「呼んだ覚えはねえぞ」 「――屋敷にいてくれて助かりましたよ?あんたも大概忙しいって聞くし、例えば登城されたら俺はあんたと連絡取れないんだからね。呼ばれなくたって、報告することができれば訪ねたっていいでしょ?」 そりゃあ、と曖昧に呟きながら、政宗はいつもの部屋へ佐助を入れた。恋仲という嘘を持ちかけられた時から、もう数度この部屋の世話になっている。明り取り窓もない八畳の狭い部屋の片隅、誰が据えたのか、あまり見たことのない花があった。いくつもの小さな白い花が球状に集り枝に並ぶ様が、特に花に興味の無い佐助から見ても愛らしい。地味な色合いの花瓶に生けてあるのが、花の美しさを際立たせていた。 「……あれは?」 「ああ、小手毬だ。最近庭に咲いたんで、生けさせた」 政宗は既に従者を下がらせ、茶も出さずに床へどっかと座った。随分ぞんざいな調子なのは、佐助を長居させる気がないということだろう。佐助も拘らず、適当に座って小手毬をしげしげと見た。少なくとも、独眼竜には似合わない花 だと思う。 ボリボリ頭を掻きながら用件を尋ねる政宗は、らしくもなく苛立ちを露にしていた。あるいは佐助の突然の来訪のせいなのかもしれないが、佐助はそんなことに構ってやるつもりはなく、しばし沈黙した。その態度が気に入らないかのように政宗は、 「確かに持ちかけたのはこちらだが、俺もそうそうそっちにばかり構っちゃいられねえんだよ。さっさと済ませろ」 と随分直接的に言った。そういえば、機嫌の悪い政宗の姿を、佐助は初めて見る。 「あんたに言いたい事があってね」 小手毬を見たまま呟いた佐助になにか気づく所のあったらしい政宗は、ピクリと眉を上げ、じっと次の言葉を待った。佐助は、自分の緊張を悟られているのだと思った。――佐助は緊張している。 小十郎に引っ張られさんざ冷たい視線を浴びたあの日、あの後、佐助はようやく、なぜ政宗が嫌いなのかはっきりわかった。言うまでもない。佐助にとって政宗は、あまりに得体が知れなさすぎる。 だとして、普通なら佐助は、関わらない選択肢を選ぶ。よくわからないものはわからないままでいいし、必要なら上辺だけへらへらして対応してやれば、大概のことはそれで片がつく。実際最初は政宗に対してだって、そうしていたのだ。 「どうも、竜のダンナ」 「Hello,忍び」 と、二人して腹に一物抱えた笑みを浮かべながら、仲良くやれないことはない。だが佐助は思う。 (この人は、深入りしすぎだ) 触れて欲しくない場所、心の柔いところを掠め、突如目の前に現れたかと思うと、自分ですら忘れかけていたような感覚を呼び起こし、掻き消えてしまう。佐助が手を伸ばそうとした時には、もう虚空しかない。 政宗が気安く落とした言葉が、どれほど佐助を揺さぶるのか、政宗自身は知らないのだ。 (殺してやりたいだの、人間だの、似ているだの、嫌おうがどうでもいいだの、忍びの俺だの――胸糞悪い) 佐助は腰を浮かせると、膝を擦って政宗ににじり寄った。慶次の言葉が蘇る。 (神様。神様の、つもりか) 政宗の匂いが鼻腔に触れるほど近い。出た声は存外低い。佐助は、 「あんたは、どうしたらそのツラを歪ませるのかなあ」 と言って、政宗を床へ押し付けた。 もしこの時政宗が暴れて抵抗すれば、佐助はそれで満足だったに違いない。冗談だよ!と笑い転げて、呆気に取られる政宗を置いて、屋敷を後にしただろう。 政宗は目を細めて笑っていた。獅子が眠りに就く前か、獲物を見定めた時は、こんな顔をするものだろうか。機嫌が悪かったはずの政宗はすっかり身体の力を抜いてしまって、自分の上に跨り圧し掛かる佐助に、ピクリとも反応しなかった。 佐助はクナイを手にして、政宗の頚動脈の真上に突きつけている。そして、――そうだろう、政宗なら、こんなことで動揺などしないだろうと、自嘲気味に笑い、クナイを政宗の耳の横、床に突き刺した。木が衝撃を吸収する軽い音が静かな室内に響く。 (どうなるかな) と、思っている。 だらりと床に投げ出された政宗の肩から腕の先へ、指を這わせた。質の良い布の感触を味わいながら、指先まで到達すると、自分のそれと絡めて、耳元へ囁いた。 「たまには愛妾らしいこと、してあげようか」 そのまま耳朶に唇を寄せると、くすぐったいのか、政宗は顔を背けた。 「……佐助」 久し振りに名前を呼ばれた。佐助は政宗の言葉を待った。その顔の横にあるクナイで自分を刺したいのなら刺せばいい。拘束から抜け出したいのなら、すぐに離してやる。だが政宗はそのどちらもしない。口元に笑みを浮かべたまま、 「どういうつもりだ?」 と尋ねた。面白げであるのが、さすがに癪に触る。この状況を、屁とも思っていないらしい。元は敵対していた家の手練の忍びに、他に人もいない部屋で無防備な状態で押し倒されても、政宗にとっては笑える出来事でしかないのだ。これだから、伊達政宗は嫌だ。 「なんでしょね?あんたが呻き声の一つでもあげれば、さっき喉を掻き切ってやったのに」 「そうか。そういう芽が出たか」 「芽?」 突然出てきた単語に、佐助は間抜けな調子で聞き返してしまった。ああ、もう台無し、と、心中こっそり泣く。政宗はそういうことに限っては鈍感らしく、佐助の手を握り返すといつものにやにや笑いを深くした。政宗の手は、体温の低い佐助からしても、冷たい。 「待ってるって、言ったろ」 「……言ってたねえ。待ってるって、その、芽、のこと?」 「ああ。俺が蒔いた種から、どんな芽が出るのか、待ってた。――どんな面白い芽が出るのかってな」 俺の歪んだ顔が見たいってか?と、政宗は意地悪く言った。呆然としたのは佐助の方である。今まで政宗が佐助にちょっかいを出してきた理由がこれで、ほぼ全て、わかった。わかったが、別段すっきりした気持ちも湧かない。まんまと政宗の言葉に振り回され、嫌いだと思いながら、どうしようもない欲を抱いてしまったのは、全部佐助だ。 政宗のことを、知りたいと思ってしまった。 (うっわ、重症……) 佐助がなんとも言えない微妙な表情をすると、政宗は急に噴出して、ケラケラ笑いながら佐助の頭に腕をまわし、自分の胸元へ引き寄せた。政宗の笑う振動が直で伝わってきた。こうしていると、政宗もまともに生きた人間だとわかるのだが、特に感慨はない。 佐助を恐れるか、動揺するかしてくれれば、それでよかったのだ。小十郎の中では「神様」である政宗を、少しでも穢してやったらさぞや気分がいいだろうと、そんな風に思っていた。小十郎が忍びを卑下し、政宗から遠ざけようとするのなら、尚更であった。それが佐助をこの行動へ移させたと言ってもよい。 だからね、別にあんたのせいじゃないんだからね。あんたとは全然関係ないところで、俺は考えてたんだよー、と言い訳しようかと思ったが、きっとすぐに論破されるだろうと考え直し、黙っておいた。実際慶次の言葉はきっかけに過ぎなかったという自覚がある。 「あんたの頭ン中ってどうなってんのかねえ……」 取りとめもなく呟いた。というか、この状況は一体なんなのだろう。佐助は本気で政宗を殺す気も、犯す気もなかったにせよ、自分を襲った人間の頭を抱えて、なぜ政宗はケラケラ笑っているのか。政宗は笑いを堪えながら言う。 「さあな。覗いてみるか?少なくとも、お前の見てる世界よりは、面白いもんが見れると思うぜ」 「そりゃあ、魅力的なことで」 溜息が出る。佐助は再び政宗の手を取ると、頭を離して、その手を自分の口元へ寄せた。 「……手っ取り早く人の底を知りたいと思えば、殺すか犯すかだもんなァ。お前は正しいぜ、佐助」 「やっぱあんたのこと嫌いだよ。俺を殺しも犯しもせず、あんたは――」 さすがに続きは言えなかった。 政宗は手をするりと引くと、寝転んだまま腕を組んだ。佐助をどかそうという気もないらしい。どうやら小手毬を眺めている。佐助はそんな政宗を見下ろした。 「なに考えてんの?」 ちらりと目だけをこちらに向けて、政宗はまた笑んだ。いつもの調子だ。 「ねえ」 佐助はなにかぼんやりとしたものが思考を支配していくのを感じながら、政宗に口付けた。 |