※アニメストーリーを前提としています。殆ど捏造ですが、ネタばれになりますのでご注意ください。 道中に、伝え聞いた。松永久秀が死んだという。慶次は驚いて、つい、団子を食べる手を止めた。肩に乗る夢吉が小さく鳴くのは、まるで大丈夫かと問い掛けてくるようで、慶次は供連れしている案内の男が「伊達軍にやられたそうだ」と付け加えるのを聞いてから、そっと小さな頭を撫でた。そうか、死んだのか、とぼんやり思う。嬉しくは当然無い、だが悲しいというのもしっくり来ずに、最後の団子をぱくりと食べても感じない甘さに、なんだろうこれは、と慶次は海岸をじっと眺めていた。瀬戸内までは、まだ少し遠い。 あの悪名高い梟雄が今のこの時期に伊達と戦り合ったという事は、まず信長の斥候か追撃かと考えるのが普通である。慶次も、そうなのかもしれないと思った。一見野放しにされている風の久秀の動きまでを忍が感知しているとも考えにくい。だが、死んだというのは、あの疲弊した伊達軍に返り討ちにあったということ、そんなに彼は迂闊であったろうか、そうも思う。 「慶さん?」 案内男が、慶次の様子を訝って首を傾げながら覗き込んでくるので、なんでもないと答えて頭を振った。死んだのなら、考えずとも良い事だと結論付けた。しかし、だからと言って意気揚揚ともならぬ。そうか、死んだのか、と馬鹿のように反芻して、少し散歩に行って来ると言った。これでも連日連夜、京を抜けて西に走った為に、疲れている。そうのんびりしてもいられないと逸る気持ちはあっても、そうか、死んだのか、と、ああ、混乱しているのだと、全く心中落ち付かない。 慶次が最初に久秀を見たのは、彼が名器九十九髪茄子を持って信長の元に下向した、あの時が最初であった。利家もまだ信長に傍仕えしており、慶次もまだ放蕩癖も酷くなく出奔しておらず部屋住みの身分、表面上、織田の一家臣という立場であった。遥か昔の事のように思われる。まだ幼い慶次の目に、久秀は恭順する身でありながら、実に傲岸不遜に見えたものだった。 何だか、空恐ろしい。 意味も無くそう感じたのはまだまざまざと覚えている。茶器を献上した久秀はその足で前田屋敷に暫し留まる事になった。事実上の監視であるが、あの気質の叔父夫婦であるから、随分と歓待していたはずだ。久秀も確か、態度だけはそれを喜ばしく受けていた、それを慶次は隅っこで見ていた。表だって出て武将として挨拶みたようなことをするのが慶次は好きではなかったから、屋敷に居ろと命じられはしたものの、拗ねた子供のように引っ込んでいた。 それじゃいけないと、まつに腕を引かれて松永弾正の前に引っ張り出されたのはその夜の事。甥の慶次にございます、まだまだ武将として不束な面ばかり、此度松永殿が織田に与されたからには、是非ともご指導の程を願いたきものにござりますれば。まつはそんなことを滔々と述べた。久秀は確か猪口を片手に笑って頷いた。慶次は頭を下げさせられた。まつはまた、つまみを取りに立つ。視線が、暗に久秀の話相手をしろと言っていた。 「前田慶次郎、利益にござる」 好かない武士言葉が変に響いたものか、久秀はまた軽く笑う。近くで聞いてみると、まるで誘う様な、酷く甘い声をした人だ、と思う。雨上がりの日に珠で彩られる美しい巣を作る不気味な蜘蛛が喋るとすれば、こんな風だろう。仕草の一つ一つが優美な、貴族染みたものに見えた。と言って公卿とはまた違う、この匂いは、異形のものの匂いだ。 「松永弾正久秀、――以後のお見知り置きを得たいものだ、少年」 「…少年?」 確かにそう呼ばれても仕様の無い年の、見た目だったものだろう。この頃から武には長けていたが、まだ、上背が、その年にしては足りなかった。顔つきも余計幼く見得たのやもしれぬ。慶次殿などと呼ばれるのは嫌いだろう、と久秀は言った。その含んだ笑みが、慶次に何かを促すようで、はっとして慶次は後ろを振り返り、まつも利家もまだ戻っては来ないことを確かめ、久秀を見返した。きっと、溌剌としていた。 「どうしてわかるんだい」 「不満な目をしている。ここに居るのも、こうして私に頭を下げるのも、利益と名乗るのも、全て不満そうではないかね。伝え聞いたところによると、君は外様の子供だと」 「別に、家なんかどうでもいいんだ」 まるで、初めて味方を得たような、するすると心に入り込んでくる感じが、慶次にはどきどきするくらいの、興奮を与えた。久秀が言うような事は誰にも言った覚えは無い。誰もわかってくれるものではないと思っていた。それが、この初対面の初老の男には、理解せられるなんて、まるで運命のようなこれは、多分時めきと言って差し支えない。 「不遇なのも構わない。思わないさ。けど、俺はこんな風に家とか名前とか、そんなもんに縛られるのは御免なんだ。あんたは…あんたは、違う?」 「僭越ながら私も名前になど興味は無いよ。君が何者であろうとも、その本質を得られるならば問題にはならない。無論、君のように奔放な立場には生涯なれないだろうがね。私は年を取り過ぎた。織田に下らねば危うく首を刎ねられるところであったよ、全く物騒なものだ」 「俺が奔放?」 「君には何もないと言うことだ。即ち捨てようと思えば捨てられる、どこへでも行き、何をするも自由。若さとはそういうことではないかね?簡単なことだよ、不満を行動にすればいい。そうする力があるかはまた別ではあるがね。そうして容を見るだけで、私は君の何を知るわけでもない」 久秀の話は、少し難しかった。文のある慶次でも、この人は何を語っているのだろうと、理解するまでに時間を要した。もしかしたら今でもよくわかっていないかもしれない。それでもやたら魅力的な話に聞こえたのは間違いなく、慶次は関心深い眼差しを、ずっと久秀に向けていた。 「俺は」 だから、つい言ってしまった。 「俺は、信長が嫌いなんだ」 ふん、と久秀は、酷く楽しそうに笑んだ。その笑みが慶次のこころを鷲掴みにする。 「奇遇だな、私もだ」 数年もたたぬうち、久秀は信長に反旗を翻した。しかも、それで終わりはしなかった。 (幾度もの謀反、降伏、謀反、降伏) 元を正せば、あの地位までのし上がったのも主人を謀殺しての事と噂に聞く。生きる事そのものが戦いのような人であった。やり方は汚い。汚いという言い方でしか、慶次は久秀を評することができない。しかし、汚いのと嫌いなのは、必ずしも一致しなかった。慶次は確かに久秀を好いていたのだと思う。 (でなきゃ、家を出たりしなかった) 初めて叔父夫婦に黙って行方を晦ましたのは、先の久秀との会話があってからそう間は無かった。単に少し変わった所のあるまだ頼りなさげな甥っ子としか認識されていなかったであろうあの頃の、慶次の行動は、どれほど利家とまつを心配させ、憤怒させ、呆れさせたことかわからない。それでも慶次は、快さにちっとも家に帰る気がしなかった。己の身一つで、国から国へと、まるで風のように渡り歩き土地の空気と人を知ることのなんとも言えぬ心地良さ。 自分はどこへでも行けるし、何でもできる。久秀の言葉がすとんと一つ胸にありありと、何よりも大切なことのように思えた。喧嘩もしたし、よく笑ったし、時には泣いて、恋もした。随分腕っ節も強くなった。 久秀が謀反をしたと聞いたのは確か、小田原に居たころだったと思う。やった!と、素直に心が躍った。だが事成らず、再び織田に膝を付いた久秀が、何より信長に殺されずに済んだことが不思議でならず、慶次は漸く一度尾張に戻った。 蟄居の身分であるからと伝え聞き、慶次は前田屋敷に留まるのもそこそこに、馬を駆って大和信貴山の城を訪ねた。聞けば多聞城は信長に差し出したのだという。彼には捨てられるものがいくらでもあったらしい。だから、最初に会ったあの時と似たような感じを知らず覚えていた。九十九も多聞城も要素でしかないというような、あの感じ。 「松永さん」 「君か」 数年ぶりの弾正は、特に衰えた感じはしなかった。通された室は伽羅が香っていた。立て花をしていた、その手によく嫌われる椿を持ったまま、久秀は上から下までツイと慶次に視線を這わせ、目もとだけがクと笑ったみたようになると、皺は少し増えたような印象を受けた。 「君の噂はこの老いぼれの耳にも届いていたよ。実に明朗。随分と成長したようにも見受けるが、果たして身体のみや、こころは如何かな、少年」 「慶次。別のとこじゃ、いろんな名前を使ったけど」 「……座りたまえ、慶次」 ぽとりと椿の花が畳に落ちたのは、勿論その時の己の首でも久秀の首でも無いように思えた。それが、信長の首だったなら!慶次はそんな風にすら、久秀が輝いたものに見えていた。 「信長を倒すには、きっと一人の力じゃ無理だ」 まるで英雄譚でも聞く心算で久秀の謀反の話を強請った慶次に、しかし久秀は多く語らず、痺れを切らしたように慶次は口火を切った。それを無碍にするで無く、久秀はほうと関心深げな音を出す。 「まだ、俺に何ができるんでもないけど、いつか時が来たら、やるべきことは大体わかってる。諸国を旅して、俺は俺なりに考えた。東国の武士をまとめてみたい」 「まるで天下人のようなことを言うね。大言はよしたまえ」 少し叱られて、慶次はしゅんとなった。久秀は落ちた椿を拾い上げ、慶次に差し出す。意味もわからずに受け取ると、花弁はひんやりと指先に馴染んだ。 「その時は、松永さんも」 「布石を打つのは良い。だが慶次、君は私の何を知っているのかね。私の人となりを、事実理解せしめたという自信が君にはあると?正直に、言ってみたまえ」 「俺は」 不意に、久秀の手が伸びたかと思うと、慶次の眦あたりをゆっくりと指先で撫でた。相も変わらず優美で淀みない、そして物を愛でるに相応しい仕草、それに、つい気を取られた。 「…俺は、間違ってる?」 「君が私のことを盲信しているのならばあるいは。だがそれは私にはどうすることもできないね。例え君の言う信長公を『嫌う』気持ちが私のそれと相容れぬとして、も。私は君を裏切る気も、ましてや心酔させる気もないのだから」 「あんたは酷いことをする。酷い奴だ。俺には優しくても、他の人には平気で酷いことをする。それくらいは、わかったさ。何で信長に楯突いたのか、本当の理由はあんたは教えてくれない。だけど、だけど、」 俺はあんたが嫌いになれない。 久秀が、久秀の言葉が既に自分の一部になっている自覚が、慶次に漸く生まれた。生きていて初めてそんな風に思える人が、利家でもまつでも、好きになった女でも友でもなく、よりにもよって悪人だったなんていうのは、あんまりな話だ。しかし慶次は、それをなかったことにしようとも思わずに、唯、久秀を嫌いになれないと、そう言った。 「それでいいだろう。何も無理に定義づける必要は無い。いずれ、わかることだ」 「あんたは俺なんか、どうでもいいんだね」 「さて」 慶次は椿をそっと懐に仕舞った。遠まわしに断られたのだと悟る頃に、夢吉がひょいと椿の代わりに顔を出して慶次の肩まで遊びに出た。久秀の傍には、寄ろうとしない。 「意図せず私の言葉で純粋に育った君のこころが、信念が、摘み取られる日が来るとするならば、あるいは欲しいと思うかもしれない。残念がらないでくれたまえ、私は悪い人間なんだ」 それから、慶次は久秀と難しい話をしようとは思わなくなった。唯気が向いたら赴いて、それだけだった。何も、意見しないことにした。この人と自分は別々なのだと、思った。 「だからって、死ぬこと無い…」 慶次はふらふら歩くうちに、遠く岩礁の方まで来ていた。波が打っては返し、白い泡を立ててはいるが、実に穏やかだった。海は幾度も見たことがあるが、その広さ、その静けさ、荒々しさには、いつも自然の妙を見る。人は多分、土だか海に還って、また植物か何かになるのだろうと、慶次はそう信じている。輪廻はそうしたものだろう。しかし、 「死んだらお終いなんだ」 いつも首から下げている家紋入りの御守りが、やたら意識させられた。椿の花弁が一枚、仕込んであるのだ。押し花にして和紙で包み、ずっと身につけている。何の為なのかは、よくわからない。それでも慶次には大事なものだった。自分が生き方を教わった人が、くれたものだから、それは大事でいいのだと思う。 久秀が信じていたものは一体なんだったろうか、慶次は結局、知らずにいた。これから知ることもない。死ぬとは、そういうことだ。死ぬとは、寂しいことだ。 「今度伊達軍に会ったら」 夢吉に語る。他に語るべき相手を慶次は持たない。家族にも友人にも恋人にも、慶次は語れないことが沢山あった。夢吉だけは、その呟きを聞いてくれる。 「どんな顔をしたらいいだろうな?」 笑おうか。よくも殺したなと、怒ってみようか。泣いてみようか。やっぱり、何にもない顔で大道芸人だなんて呼ばれてみようか。 「でもさ、あの人のことだから、何か欲しいものができたからって、自分からそんな目に遭いに行ったような気もしてならないんだよ。茶器か、城か、伊達軍にあるものって言ったらあの立派な六爪かもしんないな。難しいこと言うから頭良さそうに見えて、案外馬鹿なんだ、あの人。本当は、いらない癖してさ」 きい、と夢吉は答えた。同意のような気がする。仕方無い。行こうか、と呟くと、慶次は歩みを戻した。 |