甲州に初めて雪が降った季節だった。足と手の先から縛り付けるような冷え込みが昨晩から続き、今朝は雪がちらついていた。まだ本降りではない。昼頃に一旦やんでいる。なので、主人幸村に誘われるがまま遠乗りと称した鍛錬に付き合うことにした。雲の隙間から謙虚すぎるほどの日差しが差し込んではいたが、体に熱を与えるまでには至らない。それでこその鍛錬ではないか、というのはもちろん幸村だ。
 上田城から東に五里ばかりいくと、まだ未開拓の小高く平な丘がある。そこだけ箱のように盛り上がっている。充分平山城が気付けるであろう敷地を持つその場所が、幸村お気に入りの練習場だった。見晴らしがいいのである。山菜があまり取れず、登りの斜面が割合険しいので、周辺の農民もなかなか足を踏み入れない。周りには豊かな森が広がっており、実りはそこでいくらでも取れるのである。

 幸村から馬を与えられる事を、佐助は嫌っていた。それでも既に二、三頭は、事あるごとに幸村が与える褒賞、として、猿飛佐助の所有になっている。任務にせよなんにせよ、なかなかそれらの馬を使わない佐助に、幸村はやきもきすることもしばしばだった。正確に言えば佐助は馬を嫌うのではない。幸村がすぐに馬を潰すので、自分で使え、と思うのだ。そもそも佐助が馬を使う機会など、殆どないに等しい。任務に使えと幸村は言うが、馬では忍者の仕事にしては小回りがきかないことが多いし、早駆けするような事も、戦場ですら無いのである。名誉の形として与えられるだけの馬ならば、それほど無駄な事はない。それよりは戦場で幸村に乗り潰されてしまったほうが、幾分か馬も生き甲斐があるというものではないか、とすら思う。
 どちらにせよ、幸村が自分の与えた馬を佐助に使わせたい、使う所を見て満足したい、という含意が、この遠乗りにあると見てよい。確かに幸村が好きな場所という名目はあるが、槍の修行程度なら、城内で物足りないということはないのである。だが佐助も、そこまでこだわるのならと、あえて逆らわずに付き合うことにしている。事実道中幸村は何度も佐助に馬の乗り心地やら手触りやらを尋ねて来るのだから、まるで大きな子供を相手にするようで、佐助は苦笑混じりにもそれに嬉しそうに答えた。

 斜面に凹凸が増えてきたところで、二人は馬を近くの木に繋ぎ徒歩で丘へ向かった。さすがに慣れた道でもあるので、岩ばかりが不規則に並んであっても二人は楽々と登ってゆく。佐助に至っては、まるで舞いでも踊るかのような軽さで岩の上を歩くのだった。幸村もこれに負けまいと力強く地面を踏みしめる。やがて開けた地に出た。周りからすると比較的高所であるので、それまでは割合穏やかであったかと思われた風が一気に二人に吹き付けた。ひゅうひゅうとか細い声がいく筋も耳に通る。今朝降った雪も、この丘にはまだ微かに残っていた。
「いい風だ。これが段々強くなり、そのうち戦に出るのも困難になるというのに、時期が来れば今に想像もつかぬほど暖かくなる。俺は毎年思うのだ、佐助。季節の巡りとはなんと不思議なものかと」
「旦那にそんな詩的な感情があったの、はじめて知りました」
 いつもの通りの、従者らしからぬふてぶてしさで感想を述べた佐助には、それでも些か揶揄とは違う、本当の驚きが含まれていたようである。幸村はそれでも既に十九の大人なので、相応に精神も成長したという事なのだろうかと、勝手に納得した。
「確かに去年に比べたら大分落ち着いてきたみたいだけど」
「佐助、いい加減よしておかぬと来年から懐が泣くぞ」
「うへえ、酷いなあ。俺様一生懸命働いてるのに。勘弁してよ」
 悪びれもせずに言う佐助の言葉を聞いていたのかいないのか、幸村はさっそく槍を掲げて佐助に切っ先を向けた。さっそくし合おうと言うのである。既にどこからやってくるのかわからない闘志が有り余るほどに溢れている幸村の目をじっと見て、まずは身体をほぐしておかないと怪我するよ。いつも言ってるでしょうが、と厳しく言った。にこりと笑みを返される。幸村は槍を下げると、腕を上げ下ろしし、屈伸した。間抜けに見えるが、これで幸村は充分筋肉が温まるらしい。
 佐助もそれに倣ってゆっくり体の健を伸ばした。

 二人の手合いは特殊な形を取る事が多い。城内での手合いならともかく、今回のように外まで出る時は、大概まずじゃんけんからはじまる。勝った方が近くに身を隠し、負けたほうは相手を捜す。平たく言えばかくれんぼである。子供がするそれと違うのは、お互い常に相手を攻撃する気でいることで、佐助が物陰から手裏剣を投げつけるときもあれば、幸村が岩の上から飛び掛ってくる事もある。単騎での待ち伏せ・追跡戦を想定した訓練だと言えば聞こえはいい。
 お互い充分に体を伸ばしたところで、さっそく幸村と佐助はじゃんけんをした。勝ったのは幸村。勝手知ったるもので、すぐに幸村は目を瞑って数を数え始めた。ゆっくり唱えて十までと予め決めてある。その間に佐助は平地を見渡し、木が群れてある場所へと静かに素早く移動した。
 「十!」と少年のような声を上げた幸村は迷うことも無く佐助が向かった方向へ走り出した。何のことはない、このような丘では木が生える場所以外まともに隠れられるような所など無いのである。木々は割合密集しており、動きづらい。槍で草木を分けながら進み、背丈ほどもある岩が眼前に見えた所で、それを背にして立ち止まった。
 息を殺す。ただ風のざわめく音が聞こえるばかりであったが、幸村が感じ取ろうとするのはこの自然ばかりが乱立する空間において、ぽっかりと空く人型である。それがすなわち佐助の気配であった。幸村は本能的に、隠れようとする忍びの気配を知る事に長けていたので、一見圧倒的に佐助が有利とも思えるこのような手合いでも引けを取ることはない。程なくして、今回も幸村は佐助を補足した。「なんだ、そこか」と思わず言葉が漏れたのは、見つけた気配が、背にした岩の向こう側にあったからである。
 大きく一歩で反対側に回り込んだとき、既に佐助の姿はなかった。代わりに樹上から声がする。
「さっすが、相変わらず勘がいいね」
「なんだか、今日の佐助はわざとらしい」
「うん?そーお?じゃあますます褒めてあげないとね。どうやら旦那もそろそろ大人のようだし」
 何の話だか、幸村にはわからなかった。樹上からも気配が消えたかと思うと、幸村ははっとして戸惑った。何かいつもと違う感じがしたのだ。
 先程と同じくらいの時間が流れても、それ以上経っても、空間は完璧すぎる程に完璧なまま、佐助の気配を感じ取る事はできなかった。場所を変えて同じようにしてみる。幾度か繰り返し、いつの間にか急な傾斜まで来てしまう。さすがにこの丘を出て忍んでいるはずはあるまい。戻ってあたりを見回しても、やはり佐助の影も形も見当たらなかった。夢中になって捜していた集中力がふと途切れた時、頭上で木の葉を揺らす鋭い風に不安を覚えた。まだ幼子の時、ふとした事で迷子になってしまった感覚に似ている。狭い空を見上げて、思わず「佐助」と大声を出していた。想像以上に響いた己の声は木立にぶつかり反響し、長い余韻を残して霞んで消えた。飽き足らず、もう一度叫ぶ。佐助からは自分が見えているのだろうか。見えていて欲しいと思いながら、今一度叫ぼうとした時、ふと気付く。
(佐助は木と一緒になっているのだ)
 一番手近にあった木の幹を槍の柄で軽く叩いた。力強い手ごたえに、今度は切っ先を向けて思い切り突く。繊維が千切れる音がした。ンンン、と金属で幹全体が痺れるように振動するのが柄を伝って伝わる。違う。空気を震わせるのでは、大声を出すのと一緒でわからない。幸村はしきりにきょろきょろしだして、何か手立てはないかと考えた。
 痺れを切らしたかのように放たれたクナイに、幸村は一瞬気付くのが遅れた。鋭い刃が二の腕を掠め、振り向いた先に佐助がいた。幸村が唖然として見上げているのに苦笑して樹上から飛び降りるが、落ち葉が二、三枚舞っただけで羽が落ちただけのようだった。
「旦那の完封負け」
 幸村はまだ狐につままれたような顔をして、そこにいるのが本当に佐助かどうかすら訝っている様子であった。近寄った佐助が思いのほか至近距離で顔を覗き込んでくるので、そこでようやく我に帰る。
「木と一つになれるなど俺は知らぬ!」
 思い切り鼓膜に響いた声に今度は佐助が飛び上がって、後ずさりした。
「うん、教えてないから。けどそこまで気付いたんだ。さすがにたいしたもんだ。もう旦那って、どんな忍者がいても殺される心配ないんじゃない」
 そのような、と言いかけて口を噤む。そのようなことが問題なのではない。が、佐助は戦国の世に数多存在する忍びの中でも、若いながらに当代一の腕前との評判を持つ男だ。幸村とてその腕を買って仕えさせているのだから、その佐助に「どんな忍びがいても――」と言われれば、決して悪い気はしなかったのである。幸村は一瞬嬉しさが込み上げて来て、うっかり、そうか!と叫びかけた。しかしまた言葉は「そ、」で途切れる。
 そ、そ!と身体を揺らしながら戸惑う主人に、佐助は笑いを禁じえなかった。
「えっ、なに、なによ旦那。そんな風に挙動不審になんなくてもいいじゃない。嬉しいなら喜べば?」
「嬉しくなどない!いや、嬉しくないと言えば嘘だ!」
 佐助が噴出す。忍びらしからぬ、カラカラと明るい笑い声が木立に響いた。もう、旦那、いみわかんない。ええ?なんなのよ。一体、どっちだよ。息を途切れさせながら、腹を抱えてヒーヒー笑うものだから、幸村も次第に自分の挙動が恥ずかしく思え、顔が朱に染まった。
「そ、そこまで笑わずともよかろう!だからつまり、結局俺は佐助がどこにいるのかわからなかったではないか!だから嬉しくなどない!」
「うん、うん、ごめんねえ。嬉しくない理由はわかったけど、嬉しかった理由は?」
「……さ、佐助に褒められれば嬉しくないわけはなかろう」
 佐助は息を整えて、それはそれは、身に余るお言葉、有難き幸せ――と、形式だけの言葉を述べながらも確かに顔を綻ばせて、素直に答えて機嫌を悪くしたらしい幸村の肩を二度軽く叩いた。

 二人はそれできりをつけて、元の場所に戻り座るに丁度いい岩を見つけると、持参した握り飯を食べた。幸村は当然先刻の佐助の技についてあれこれ質問したのだが、当の佐助は口を割る気は一切ないらしく、ただ梅干の入った握り飯をしきりに噛み続けてたまに苦笑するばかりであった。
 いつもなら術の仕組みを尋ねれば、あるいは幸村の好奇心が満足するように、あるいは敵方の忍びが同じ術を使ってきた時充分対抗策が錬られるように、ある程度のことまではきちんと教えてくれる佐助であったから、この態度に幸村は首を傾げざるをえなかった。
 とはいえ基本的には門外不出の忍びの技、佐助が言おうとしないものを無理に言わせることはさすがの幸村にもできず、かと言って先程の自らの失態をあっさり忘れるほど割り切った性格でもなかった。
「では、自分で見つける」
 佐助は何を、と問わずともわかった。実際幸村は、佐助が木と一緒になっている、という術の糸口を既に掴んでいる。だからこそ、空気を震わせれば佐助の居場所がわかるのではないだろうか――という発想まで及ぶ事ができたのである。幸村が再び佐助を捕捉する方法を見つけ出すのはいつのことか。元々動物的勘に優れた男、そう遠くはあるまい。
 自分が負わせた傷にようやく気がついたのは、佐助が早々と握り飯を食べ終わり、幸村はやはり持参した団子をついで食べようとしている時だった。左の二の腕を掠めたクナイに当然毒などは塗っていないものの、出血の具合はどうだろうと見れば赤い衣に更にじっとり赤黒い色が滲んでいる。
 聞けば痛みはないらしいが、万が一悪化しても笑えないため、佐助は上を脱ぐように言った。幸村は行儀悪く団子の串を咥えたまま衣を剥いだ。この程度大丈夫だ、とぼやくが、幸村も腕を見て、予想外の出血に多少ぎょっとしたらしい。
 佐助は恐らく血管を傷つけてしまったんだろうと言うと、手際よく懐から手ぬぐいを取り出し血を拭い、常備している腰袋に入っている血止めの薬草を取り出して、これも慣れた手つきで傷口に塗りこんだ。さすがに黙って治療を受けているが、幸村はこの傷薬を塗りこむ時にはいつも渋い顔をする。戦場で傷つくのは慣れていても、このように神経を粟立たせるような痛みは子供と同じようにいつまでたっても嫌がるのである。少し前まではそれこそ餓鬼同然に治療を嫌がり、医者を困らせていた。
 もう十九で、とうに元服も済ませ、信玄より上田城を賜り立派に城主を務めているのである。思えばこれは進歩というよりも、ようやく幸村が人並みの武士らしい節度を身に付けたというだけにすぎない。地を這っていた赤子がやがて立ち上がるのと同じくらい自然なことなのだろう。
 だが、と佐助は思う。このような微細ではあるが、佐助のように昔から側仕えしている者ならばわかる程度の変化が訪れた時期は、幸村の場合おかしいほどはっきりしている。
(独眼竜と出会ってからなんだよなあ、これが)
 幸村らしいと言えばこれ以上幸村らしいことはない。
 同い年の二人が始めて互いを認識し合ったのは二年前、幸村も独眼竜も十七の時で、まだ伊達政宗は家督を継いでいなかった。お互いがお互いの同盟国への援軍に駆り出された戦で、なんの廻り合わせか、二人は矛を交えていた。後から佐助も、まだ赤ら顔を残した幸村が「好敵手を見つけた――」と嬉しそうに話すのを聞いている。
 以来、今まで以上に武勇と知略、両方の才を発揮しはじめた幸村の背景には、必ず伊達政宗がある。十九となった独眼竜は家督を継ぎ、近頃めきめきと頭角を表して、そのただならぬ噂は信玄も軽くは見ていない。
 とにかく、幸村の変化が、好敵手に劣らぬ男になるように、という動機から発せられていることは、例えそれだけではなかったにしても、まず間違いない。
 独眼竜に対する幸村の感情が必ずしも危険、とは思わない。逆に佐助や他の家臣たちだけではもたらす事のできなかった良い刺激を与えているという点では、むしろ歓迎すべきですらあるかもしれない。だが逆を考えるとさすがに楽観視ばかりはしていられないのは、あるいは佐助の性なのか。
(あいつに変に目えつけられて、困ったことにならなきゃいいんだけど)
 幸村は佐助の杞憂など知らない。
 さあ、終わったよ。傷つけてごめんねー、旦那。と軽く謝る佐助に幸村は、何を、まだまだ俺が未熟だっただけのこと。この慢心、この程度の傷で済むのなら安い、と何か決意を新たにしているようだった。
 佐助が前向きすぎるほどに前向きな主に何のためかわからない溜息をやはり苦笑混じりに吐いたのと幸村が勢いよく立ち上がるのとは、ほぼ同時だった。佐助は少し驚いて、どうしたの、と問う。
「佐助も日々精進し、あのように新たな技を身に付けておるのだ!俺も負けていられぬ!ぬああああああ!!佐助え、勝負だ勝負だ!勝負だああああ!!!!」
「わかったわかった、わかったから落ち着けって!」
「佐助!今度俺があの方と合い見えた時は、今よりもっと強くなければならぬのだ!わかったのなら立て!試合だ!」
「はいはい、言っとくけど、手加減してくんないと俺死ぬからね。もう槍術であんたにかなう人なんか家臣の中にいないんだから」
 敵う人がいないのが悪いのだ、と佐助は大型の手裏剣を取り出して構えると思った。例えば自分が忍びなどではなく、槍術に長けた武将だったのならば、あるいは幸村の有り余るほどの熱意も多少分散されて、ここまで独眼竜に執着することはなかったかもしれない。
(なに不毛な事考えてんだ)
 油断すると死ぬぞ。
 佐助は己に槍を向け突いてくる主の動きを逐一読んでかわした。今はかわせる。更に日が経てば、そのうち、かわせなくなる。主の成長としてこれ程喜ばしいこともないのだが、なぜか佐助はうっすら自分がそれを望んでいないらしい事を感じていた。
(まだ、ほんの子供なのに)
 馬を与えて心底幸せそうに笑う。乗り心地を教えてやれば響くように嬉しそうな返事をする。手触りを聞きたいがためだけに、五里も駆けたりする。まだ迷子のように叫ぶこともする。数え上げたらきりがない。
「佐助」
 一瞬我を忘れていた佐助は名を呼ばれてギクリとした。寸でのところで眼前にあった切っ先をどうにか避けた。幸村が動きを止めたので、佐助も倣う。少し息が切れていた。
「具合が悪いのか」
「ちょっと考え事してた。ごめん」
 幸村はもう佐助より背がある。気付いたのはつい最近だったが、多少人より身長の伸びが遅かったらしい幸村も、やはり二年程前からぐんぐん背丈が伸び、いつしか佐助の目線のほんの少し上に幸村の目がくるようになった。だから近くに立たれると以前よりも威圧感がある。
 息を切らす佐助を気遣うように顔を覗き込んだ主の目をまっすぐ見据えるのは勇気がいった。本来望ましいことを望ましく思わない気持ちを悟られるように思ったのである。
 風が一際強く吹き荒んだ。冷たいものが頬に当たり、そこに触れようとする自分の手を遮って幸村が触れた。ずっと槍を握り締めていた主の指先は皮が厚いが男にしては細く、熱かった。
「雪だ佐助」
「雪だねえ。この風じゃ、吹雪くかもしれないな。そろそろ帰ったほうがいいね」
 案外幸村はあっさり頷くと、槍を担いで逆に佐助を促した。さすがに雪の怖さはわかっているらしい。
 もと来た道を同じように軽々と駆け降りて、やはり同じように繋がれた馬まで戻った。既に冬毛に変わっている栗毛の馬は雪の冷たさを感じるのか、身を震わせている。佐助はこれに跨ると先に駆け始めている主人を追った。
「佐助のあの技」
 出し抜けに幸村は言った。幸村の言う所の「木と一つになる技」、の事である。佐助は馬を後ろにつけたまま、なんです、と答えた。幸村はちょっと考えている風だったが、振り返ると、誰かに気配を悟られでもしたのか、と尋ねた。
「佐助の気配を読める者など、俺は俺とお館様以外、知らぬが」
 同じ忍びか何かにでも気配を悟られてしまったので、次はそうならぬよう例の新術を開発したのではないか、と幸村は言う。間違ってはいない。だが佐助は握り飯を食べていた時と同じように苦笑いを浮かべて答えなかった。幸村はと言えば、ここまで佐助が口を割らないのも珍しいがやはり気になるらしく、黙っている佐助をちょっと睨んで膨れっ面をしていた。
「今頃は、奥州も雪深くなっているでしょうね」
 とんちんかんな方向の話題を振られて、いよいよ佐助の喋る気がないらしいことを悟った。
 馬に乗っているせいもあるが、比較的寒さに強い幸村でも風は恐ろしく冷たく、容赦なく身体の体温を奪っていた。確かに、この寒さと雲の動きから察してみても、さらに北にある奥州の状況は想像に難くない。
 うん、と幸村は頷いた。同時に、はて――と思ったが、疑問も想像も、早く暖を取りたいという欲に飲まれてしまっていた。