「戦はなくならぬぞ、佐助」
 これは幸村の口癖の一つと言っていいかもしれない。信玄公が亡くなってからしばらく、文字通り意気消沈して、見ているこちらが悲しくなるような様子であった幸村は、以後、より一層この言葉を口にするようになった。言い換えれば幸村は、信玄亡き今、最早泰平の世を築ける武士はいないのだ、と思い込んでいる。
 だから幸村が伊達屋敷で放った「いつか政宗と手合わせする機会もある」という言葉は、決してそれを城内での見世物にするなどという意味を含んでいない。
 いずれまた戦は起きる。
 当然の如く、政宗と再び敵対する事もあろう。そう言っているのだから、ここまでを政宗が悟れなかったのも無理はないのかもしれない。そして幸村もこのことをさも万人の常識であるかのように認識しているのだから、政宗が今の平和の世を思って、最早戦場で幸村と相対することはないやもしれぬと考え落胆していることを悟るなど、土台無理な話であった。
 佐助は幸村が今の世をどう捉えているのか知っている。所詮は仮初めの平和だ。だがそれを政宗に教えてやることなどしなかった。そんな義理も道理もないと思ったのである。佐助はほんの数年前、政宗から手酷い傷を負わされたこともある。あるいはそのわだかまりが佐助を意地悪くさせているのかもしれなかった。
(独眼竜は真田の旦那が平和ボケしたのだと思ってる)
 平気で政宗と親交を結ぶことを喜び、いきいきと碁を打ち、また手合わせを、と笑顔で言う。それを見た政宗は内心、嗚呼、と溜息を吐いて、こんなものか、俺が求めた幸村は、戦場でなければ、こんなものか――と、落胆したのである。
 佐助はそう思っている。だから怒ったのである。
(独眼竜は自ら平和を受け入れておきながら、まだ戦を望んでいる。真田の旦那に、自分と同じように戦を求めるように要求している。そうして、互いに殺し合うことを夢見ている。ふざけんな)
 それにしても、お前は人間だ!と言い切る政宗の爽やかさは一体どこから来たのであろう?と、佐助は不思議で仕方がなかった。どうせならもう真田家の人間とは係わり合いにならないくらいのわかりやすさがあったのなら、政宗の落胆の程も知れようというものである。
 それが進んで佐助をひっ捕まえて酒を飲ませたりする。余計なことまで暴かれた佐助はたまったものではない。しかもその酔っ払いは、まだ佐助の目の前で無防備にもぐいぐい酒を飲み続けているのだ。
「ダンナ、飲みすぎ」
 半刻程もあった沈黙の末、ようやく佐助が紡いだ言葉がこれだった。政宗の顔ははっきり赤い。とは言え、佐助も政宗に勧められるまま飲んだので、さすがに頭がぼんやりしている。忍びは酒に強くできているが、無尽蔵というわけではない。
 佐助ですらこんな状態なのだから、政宗は最早意識などとうに吹っ飛んでいるのではないだろうか。政宗のいうところの「てんしょん」とやらが地の底まで落ちている佐助は、何気無しに政宗を見た。
「うるせーな、お前は小十郎か。佐助ー、飲め飲めー。つまみになんかおもしろい話でもしやがれー」
 この酔っ払いが!とは言わない。開き直られそうな気がしたのだ。
「おもしろい話なんかないよ。……つーか、もう帰っていい?」
「帰るの?」
 佐助の背に答えたのは慶次だった。どこか覚束ない足取りで部屋に帰ってきた慶次は窓辺にどっかと座った。こちらも顔が赤い。口元に意味のないにやにや笑いを浮かべくらりと首を傾けて、佐助に言う。
「雨、酷いよ」
「だから?」
「帰るなら政宗も送って行ってもらわないと。見る限りじゃ、もーだめだねこりゃ。俺は今日ここに泊まるし、い〜い気分だし。だから、政宗も一緒だと、雨、酷いから、今は帰れないよ」
 二人して政宗を見た。またお猪口になみなみと酒を注いで、ぐいと飲んでいる。ダンナ、あんた一人で帰れるでしょ?と聞けば、聞いていたのかいないのか、低く、あー、と返ってきた。ほらね、と言う慶次は何気なく酒瓶を掴んでいる。佐助は思った。こいつらは普段からこうやって酒を飲む仲に違いない、と。
「ダンナもここに泊まればいいよ。俺はもう真田の旦那が心配するだろうし、帰る」
 佐助は立ち上がって、さっさと部屋から退散しようとした。気分も悪いし、長居は無用だろうと思ったのである。幸村が本当に心配するかどうかは、正直自信がない。幸村にとって佐助は、気付けば傍にいるし、気付けば何気なく消えているという存在だろう。
 ところが足が動かない。見ればいつの間にか政宗が傍にいて、その自慢の握力で佐助の足首をがっしり掴んでいた。ピクリとも動かないあたりは酔っ払いの力とも思えない。
「許さん、帰るな。せっかく慶次が帰ってきたんだ、もうちっと飲め」
 佐助は目を細めた。足首を掴む政宗は屈んでいるので、その背中が目を落とした先にあるのである。
「政宗、その忍、殺す気だよ」
 はっとして慶次を見ると、にやにや笑いの上に武人の目が鋭く光っていた。佐助は知らずに殺気を放っていたのである。道端に落ちている石を見やる程度の気軽さで見抜いた慶次に、佐助は苦笑した。
 政宗は動じるでもなく佐助の足を離さない。それどころか酒瓶から直接酒を喉に流し込んだ。
「殺せねえよ、こいつには。益の無い殺しはしないからな。そうだろ?」
 どうかな、と言葉を濁したのは、政宗の言う事が正しいからだ。忍の仕事は基本的に暗殺。益の無い暗殺は存在しない。政宗は自分も忍を使う分、それを知っているのだろう。
「けど、今のあんたなら殺せそうだ。……そんな風に俺の前で酔っ払って無防備にしてて、知らないよ?俺今めちゃくちゃ虫の居所が悪いからね。私的な理由で人を殺すなんざ、ありふれた話だろ」
「人間呼ばわりされたのがそんなに不服か」
 雷が鳴った。轟音が更に力を増して、部屋が明滅する。政宗は青白く光る畳から立ちあがると、今度は佐助の指を触った。あまりにそれが心許ない力なので、佐助は目を見開いて抵抗するのを忘れてしまった。
「座れ。言ったろ、お前と、一度飲んでみたい」

 慶次の話は、隈八はね、という始まり方だった。
 隈八はね、人の好い顔をしてるから仏顔の隈八さんなんて呼ばれてるけど、あれでなかなか喰えない人間だから、油断してると骨の髄までずずいずいと吸われちゃうんだよ。いやね、悪い人間ってわけじゃないんだよ。一度は俺の下で侍やってたくらいだし、こんな世の中じゃあずるくないとやっていけないんだよな。秀吉の天下になった途端、商売人に鞍替えたあ、なかなかできることじゃないよ。
 それで、慶次は好きな人間らしいから、その商売の手助けに政宗を頼ったのだそうだ。
 慶次は政宗とは秀吉の天下以前からの付き合いで、半年ばかり米沢に居座っていたこともあるという。上田城での蕎麦騒動より前の話だ。どうりでやたらと親しげなはずである。気が合うのだろう。
 話が慶次の米沢駐留時代の話に移ると、政宗が口を開いた。
「そういや、真田にちょっかい出したんだってな?」
「ああ、そういうこともあったね。幸村はおもしろいやつだよ、俺、結構好き」
「お前は好きで結構だが、肝心の真田とこいつには心底嫌われてるらしいぜ?なあ、そうなんだろ、佐助」
 ああ、そうだね。
 苦笑いで頷く佐助は、なぜ自分が帰るタイミングを逃してしまったのか、何度考えてもわからなかった。頭の半分は、帰れ!帰れ!政宗など放っておけ!と叫ぶのだが、もう半分は、さんざ言われっぱなしで帰るのか?政宗にぎゃふんと言わせるまで、帰るな!と叫ぶのだった。
 矛盾もいい所である。
 政宗の言うとおり、佐助は慶次が嫌いだ。しかしそれは慶次のした所業のせいであって、もし時と場合が違ったのなら、いい話し相手になっていたのではないだろうかと思えるような明るさと気軽さが慶次にはある。ある程度佐助と似通ったものだ。どうやら平和主義者のようだし。
 政宗はと言えば、これは例え時代や立場が違っても、気が合わないという事実のみは変えられないし、また人間という単位で見ても相容れない懸隔があるように思えてならない。
 だから心底嫌っているという話なら、これは政宗にこそ当てはまるのである。そんなことをぼんやりする頭で考えていた。いっそ無関心でいられたのなら楽だろうに、と。
「酒はいいな」
 気付くといつの間にか話題はどこか違う方向へ飛んでいたようである。慶次がうんうん頷いている。
 佐助ェ、と酔っ払い独特の間延びした調子で名を呼ぶ政宗は、それでも普段浮かべる皮肉な笑いを忘れていない。呼ばれても返事をしてやる気になれない。
「酒を飲むと、どうしたって人は気ィ抜くから、そいつがどんな人間か、一番手っ取り早くわかる。佐助、俺がお前に酒を飲ませるわけ、わかったか?」
 佐助がどんな人間なのか知りたいというのだろう。素直にその言葉を受け取れない佐助は、実際酔いに酔っている政宗という人間が、さっぱりわかる気がしなかった。だからそんな理屈は幻想だ、と思う。
 でも、嫌ってもだめなんだったなあ。ふと考えた。雷がまた一つ鳴る。
 すると、まいりました、まいりました、と慌てた調子で隈八が戻ってきた。飲んでいないわけはないのだろうが、こちらは素面のように見える。座った隈八は恐縮しきった感じで言う。
「とんだ大雨に雷さんで、商売あがったりですわ。仙台様、こないな雨ん中帰らすんは申し訳ありませんので、今日は泊まっていかはったらどないですか」
「はあ…?Ah、確かに、春先にしては珍しく酷いな。まあ、いいか。慶次、俺も泊まる」
「はいよー。んじゃ隈八、そういうことでよろしく。小姓さんの分もね」
 この時も佐助は無抵抗であった。下手に否定して、そちらさんは、小姓さんでないとなると、一体どなたさんです?などとはんなり尋ねられても、うまい言い訳を考えられる自信がなかったのである。
 酔っているせいもある。しかし、忍者としての勘は、この数ヶ月の平和のうちで、確かに以前より鈍った。

 そのままその場に居座った隈八は、慶次と親しげに話し、政宗に仙台様、と言ってお膳立てするのを忘れない。なかなか嫌いになれない人物だし、なにより常に顔に張り付いた笑みのような表情が、ちっとも嫌味でなくて逆に小気味いいくらいだった。慶次はもとより、政宗も隈八には比較的素直に笑う。
 ちびちびと酒を舐め続けていている半ば卑屈で鬱状態な佐助は、その隈八の笑顔に、誰かよく知った人を見ているような気がしてならなかった。誰だろう、とうまくまわらない頭で連想してみても思い浮かばない。
「佐助さんは、いつから仙台様にお使えしておられるんで?」
 聞いたのは隈八だ。本当に何気ないので、佐助は一瞬誰が聞いてきたのか迷った程だった。
「殿が、京に上られた時からですよ。俺は元々、もう少し北の人間だったのですけど、たまたま流れてきた所を取り立ててもらいましてね。無礼な所が気に入られたみたいで」
 はは、はは、という笑いは三人からのもので、思ったよりすらすら出てきた大嘘に、なぜこれがさっき出てこなかったのだろうと、佐助は小さく溜息を吐いた。今日は政宗に会った時から、調子を狂わされっぱなしだ。
「隈八、気にするなよ。こいつは大嘘吐きでな、何が本当で何が嘘だか、素人にはわからねえんだ。北の人間だとかいうのも、どうだか。まったく得体が知れねえ。器用なもんで、喋りも仕草もまさに口八丁手八丁、自由自在だ。なあ佐助、京都の喋りはもうできるんだろう」
「殿様はほんにお人が悪くて、毎日恐々としとります。もっとわかりやすい性格やったら、こっちも楽なんやけどねえ」
 聞いた隈八は、手を叩いて面白げだ。お上手やなあ、ほんまもんや。それから佐助は同じように面白がった慶次の要求で、北から南までの方言をいくつか言わされた。それが本当に現地の人間並みに聞こえるので、これはいい芸だと言わんばかりに隈八は興味津々でいる。
 これは佐助が里で教わったことだった。今でこそ戦忍をする佐助も、一通り諜報活動の基礎は習って、時折忘れないように復習するのだ。
 それが酒の席のほんの一興に成り代わっている。忍者を知る政宗の意地の悪い興であった。
「京にはほんに色んなとこから人が集ります。その客に、いちいちその国の言葉で話してやったら、話題になるん違いますか、慶さん?」
「どうかなあ、京言葉の女が好きな奴もいると思うし、第一容易にできる芸じゃないよ、これ」
 それは確かに、と二人がひとしきりその話題で盛り上がっていると、政宗が佐助を見て言う。
「お前と隈八、似てるな」
 顔に作ったような笑顔を貼り付けている所が、だそうだ。
 そんなことを本人の目の前で言ってのける政宗の神経が知れない。隈八は聞こえないフリをしているのだろう、人がそう呼ぶという仏の顔で、慶次と笑い声をあげていた。
「あんたに言われたくないねえ…」
 へらへらにやにや笑って人を脅して騙して、本心を見せないでいるのはお互い様だ。いつか政宗自身もそんな風に言っていたのではなかったか。だとすると、必定政宗と隈八も同類だし、政宗と佐助も似た人間、ということになる。
(ははあ、なるほど、そういうことなのかもね)
 主人の幸村は、これ以上ない程正直で真面目な人間だ。言う言葉に駆け引きも騙し合いもなく、戦場では純粋な知略のみが冴える。だから酒は必要ない。それが、佐助のような忍になると事情が変わってくる。政宗は本能的にそれを知っていたのだろう。
 だとしたら、政宗も同じなのだろう。酒がなければ本音の一つも言えない。
 そこでようやく佐助は、よし!と思ったのだった。飽くまで忍者である自分は酔いつぶれるなんて真似はできないが、既にべろべろになっている政宗にもっともっとと酒を飲ませるのは簡単だろう。
 とことん解剖してやる。その腹に抱えている一物でも引っ張り出して、辟易させてやる。
 考え方の卑屈さはともかく、こう決意した佐助はさっそくさり気なく政宗に酌をしてやった。それでなくともハイペースで飲み続けている政宗なので、特に拘らずそれを受けてごくごく飲む。それどころか、やっと佐助がまともに飲む気になったらしいと思ったのか、どこか嬉しげですらある。政宗も佐助に注いでやった。
 見事な酔っ払い二人の出来上がりである。

 おもしろいのは、どうやら限界まで酒を飲んでもまだまともでいられるのが、慶次であるらしいことだった。言葉もしっかりしているし、足は若干ふらついても転ぶような不安定さはない。物騒な例えだと、この状態でも十人ばかりなら軽く斬れそうなのだから恐ろしい。ザルのようだ。
 佐助と政宗は――佐助はこれでも潰れないように飲んでいたつもりだったのだが――最早部屋から厠まで行く道のりすらまともに歩けるかどうか怪しい。そういう状態になっていた。べろんべろんというやつである。
 かわや、と同時に言ったのはその佐助と政宗だった。二人よりははるかにのんびりと飲んでいた隈八はそれでもさすがに辛くなってきたらしかったが、二人を案内しようと唸りながら立ち上がった。
 雨のため、屋内の厠に案内されたはいいが、目が据わった二人は暫し睨み合ったかと思うと、
「俺が先」
 と言い出した。どちらも譲る気がないらしく、厠の戸の前で大の男二人が身体をぶつけ合っている。
「お前な、忍のくせにしこたま飲んでんじゃねえよ。べろべろじゃねえか。足元がふらついてんぞ。そんなんでよくこの俺に殺気を放ってくれたな。ええ?おい。偉そうなこと言えねえじゃねえか。つーわけで、譲れ」
「その忍にまず飲ませようとしてたのはあんたでしょ。俺様はそれを寛容にも受け入れてやったんでしょ。文句言われる筋合いはないね。大体、酔ってなんかいないっつーの。あんたこそお仕事ほっぽってあんな浴びるみたいに飲んで、恥ずかしくないわけ?一国のお殿様が酒飲んで油断してた所をお隣の忍にブスリたあ、笑えない話だよね。俺様はそんなあんたに刃物の一つも向けてないんだよ?偉くない?つーわけで譲って」
 さんざぎゃあぎゃあ騒いだ挙句、呆れた顔の慶次がやってきて、佐助を羽交い絞めにしておいて政宗を先に厠に入れた。その時の政宗の憎たらしい顔と言ったら、佐助は前言撤回と叫んだ程だった。
 慶次にしてみたら、いいなああんたら、俺我を忘れるまで飲めた試しがないよ、ということらしい。佐助がそれを聞いて、誰が我を忘れてるっての!?と怒ったのは言うまでもない。
 厠はそれで収まった。日はとうに沈んだらしく、店にはしっかり灯りが入り、雷はどうやら遠ざかったらしいが、雨足は収まる気配を見せない。これでは隈八の言うとおり商売あがったりで、普通ならもう店じまいして寝静まってもよさそうなものだ。
 それでまだ飲む気でいる二人に、隈八もさすがに心配になってきたらしい。
「お二人とも、そろそろ止めにしときませんと、明日辛うございますよ」
「そーだよー。佐助はともかく、政宗はこの前も飲みすぎて、小十郎さんに怒られたんでしょ?小姓さん殴ったりしてさー。もうやめておいて寝なよー。ていうか俺はもう眠い。よし、寝よう。隈八、布団くれ」
 慶次は大あくびを一つして、部屋を出て行った。隈八はそれを好機と見てひょこひょこついていった。布団だけ用意しておいて、どうやら大騒ぎする様子はないらしいが、とても手に負えそうにない二人は放っておくことにしたのだ。
 政宗の深酔いは今にはじまったことではないらしい。佐助はもう殆どまともに動かない頭をフルに活動させて、政宗に向かってにやりとした。
「へー、小姓さん殴っちゃうんだ。酒の上とはいえ、ひっどいご主人様だねえ」
 ここで初めて政宗はばつの悪そうな顔をした。それについては充分反省があるらしい。それが佐助には酷く気持ちがいいので、さらににやにやして言うのは、
「さんざ自分は完璧みたいに振舞っておいて、我を忘れるまで飲んじゃうんじゃあ、示しがつかないね。酒は怖いねえ、人の本性が出るんだから」
 襖の向こうから、隈八か誰かが布団の準備をしているらしい衣ずれの音が聞こえる。佐助は政宗がどんな反応を示すか気になったが、向こうも気になった。まさか仲良く布団を並べて政宗と寝ろと言うのではあるまいかと。政宗が口を開く。
「そいつには手紙で謝っておいた。我を忘れてるわけじゃねえ。きちんと全部覚えてる。……酒を好きなのが悪い。どうも、酒を前にすると自制が……いや、次の日なにがあるわけでもないとわかると、ついな……」
 ぶつぶつ言う政宗がまるで子供のようなので、思わず可愛く思えて佐助は笑い出した。
「はは、は、あんた、今、真田の旦那と同じような顔してる。あの人も大概お酒が好きでね、俺が注意すると、同じような言い訳するんだよ、今みたいな。はは、あんた、子供だ」
「そうやって俺を笑ったり怒ったり嫌ったりするのは、お前くらいだ」
 はっとして政宗をまじまじ見ると、苦笑いとしか言いようのない顔をしている。
「嘘だ」
「本当だよ」
「あんたには片倉さんも、前田の風来坊も、……真田の旦那も、他にもあんたを想う人が、腐るほどいるじゃないか。何言ってんの?」
「そうか。そう思うか?ならそうなんだろうな。そうだ、俺は人に恵まれてる。昔から、俺を慕う奴、嫌う奴、笑う奴、侮る奴、馬鹿にする奴、恐れる奴、いろいろいた」
「じゃあ、やっぱ嘘だ」
「嘘だよ」
 政宗は平然と言って、眠そうな顔をすると、それでもまだ酒を舐めた。酒瓶はもう空だったのだ。
 わっけわかんない!佐助はまたむかっ腹が立ってきて、しかし怒るのはやめた。いくらなんでも、そう何回も同じ人間を怒る気になれなかったのである。大体、それで政宗が変わるわけではない。
 その代わり、いっつもあんな調子ならかわいいのにね、と言った。政宗は落ちそうな瞼を上げて、は?と言った。解説をしてやるつもりはない。水が欲しくてたまらなかった。
「あんたさあ、俺をなんだと思ってるの」
「俺と似たやつ、だよ」
 酒を飲むとなかなか隠し事ができない。
 政宗の言葉を聞くと、佐助は急に眠くなった。普段は浅くしか眠らない佐助であったが、次の瞬間には座ったままぐっすりと夢の中に落ちていた。最後に見た政宗の独眼は、半分閉じられて、寂しげにも、嬉しげにも見えた。

 見た夢の中で、佐助は戦場にいた。戦場にいて、幾人も幾人もその手にかけていく。幸村はそれを褒めるのだった。よくやった、さすがは我が忍だ、と。それを言う幸村は顔と言わず体と言わず、血塗れていない所を探すほうが難しいほどだ。これを独眼竜は求めてやまないのだ。戦場の、この人を、である。
 佐助は慟哭した。泣けて泣けて仕方なかった。幸村に縋った。叫んでいた内容はよくわからないが、幾度か、もうやめてくれ、と唱えた気がする。それなのに、やめないでくれ、と思っていた。
 幸村は佐助の肩を持って抱きしめたかと思うと、呆然とした調子で、むりだ、と呟いた。
「戦はなくならぬぞ、佐助」
「俺がまだいる?まだいるの?旦那、俺はまだ必要?」
 幸村は綺麗に笑う。そうだ、と頷くのである。
 場所は佐助の住む真田屋敷に変わった。燃えている。それでいて、顔を向ければすぐ見える伊達屋敷はきらきら輝く暁光を受けて、政宗が佐助のすぐ傍で死人のような顔をしているのである。
「なんて顔してんのあんた。死んだの?」
 聞けば、首を振る。寂しいんだ、と言った。幸村は燃える屋敷の中で人を刺しては佐助を呼ぶ。戦だぞ!戦だ!と言うのである。
「戦だってさ。俺行くよ」
「そっちは、そうだろうな。俺は、こっちでいい」
 政宗が指すのは伊達屋敷である。佐助は不可思議でならない。あんたもこっちだろ?こっちの人間じゃなかったのか?と問う。また首を振った。
 もうそっちには行きたくない。俺はこっちをとらなきゃならない。お前は向こうに行けばいいさ。俺は、自分を殺してやりたいんだ。体が二つあればなあ。一人は、そっちへ行くのに。
 政宗は消えた。代わりに幸村が手を差し出して、佐助はなんの躊躇もなくその手を取って、燃え盛る炎の中へ飛び込んだ。熱い――と思った途端、全てが消えた。

 何がなんだかわからなかった。頭がとてつもなく痛い。気持ちも悪い。吐きそうだ。
「おはよう。佐助、大丈夫?大丈夫なわけねーか。完全に二日酔いだよな」
 おはよう?
 飛び上がってみようとしたがうまくいかず、のろのろと体が動いただけだった。佐助が入っているのは柔らかな布団だ。その隣で、慶次が湯のみを持って佐助を覗き込んでいる。その中身が水だとわかった瞬間、佐助は一も二もなくそれを奪い取って飲み干していた。
「政宗は?あ、違う、竜のダンナは?」
「さっき小十郎さんが来てね、なんだか怒られながら帰ってったよ。まー政宗の様子もひどいったらないよ。げっそりして、もう酒はいらんとかなんとか言ってたな。まあどうせ一週間もたたないうちに飲みに来るんだけどね」
「ははあ…。え、もしかして俺、爆睡してた?ですよね。布団に入った覚えないもんな…。うわー、俺、忍失格。どうしよう、クビになる。クビになったら、どうしよう。ここで働かせてくれる?」
「おいおい、幸村はそんな薄情なやつじゃないだろ?まあ働きたいってんなら、それは玉川隈八さんに訊かないとね。……っておーい、そんな身体でどっから出て行こうとしてんの?」
 佐助は窓を開けて足をかけていた。空は昨日が嘘のように晴れやかで、憎らしいほどに青い。青くて青くて、本当に青くて綺麗だった。ついでに雨がたんまり降ったおかげで、空気が澄んでいて爽やかだ。
「ああ、ちょっと死にたい気分だ。でも俺様忍だからなあ、こんな所から落ちたくらいじゃきちんと着地しちゃうんだよね。よし、大丈夫。人通りないし。あ、そうだ、前田の旦那、騒ぎ起こさないって約束してくれるなら、今度屋敷に団子でも食べにおいでよ。真田の旦那にはなんとか言っておくからさ」
「ああ、うん。わかった。よろしく」
「そんじゃ、またね」
 そう言って佐助は窓から飛び降りた。慶次が見るに、猫の如くであった。
「猫が空飛んだよ。はは、おもしろいねえ」
 その後、佐助は幸村に団子が遅れたという理由でこっぴどく叱られたそうである。