その昔の話だ。
 俺の実家の辺りには、随分栄えた国があったのだそうだ。時の流れと共に徳川家康の敷いた体制に組み込まれたその国だったが、今でもその栄光の一部は見ることができる。例えば俺の家がそうだ。やたらめったらでかい屋敷に俺は生まれ、伊達政宗という名をもらい、ある意味では蝶よ花よと傅かれ育ってきた。(反面、やたらスパルタ臭い教育も受けた。伊達家の次期当主として生まれた者ならばこれぐらい当然なのだとかで、昔から習い事には事欠かなかった。まあそれはいい。)
 その俺が、都会の大学に行きてえんだけど、と言った時、家は随分ごった返した。一番反対したのはおふくろだ。俺には生まれつき右目がなかったので、その容姿と、自分に似た強気な性格が不安要素だったらしい。都会なんかに出て、順応できるのかと。
 俺も一時はうーんと唸って考えたが、このまま片田舎でお家を継ぐというのが、どうもピンと来なかったもんだから、とにかく今と違う世界を見てみたいんだ、と最初の意見を押し通した。
 親父もおふくろも、揃いも揃って子煩悩なもんだから、一旦行くことを認めてしまうと、やれ学費だやれ仕送りだと、またやかましかった。特に仕送りについては、多分世間一般的に言えばとんでもない額の話をしだす始末で、俺は説得に説得を重ね、なんとか常識的な額に抑えてもらった。
 そうしてめでたく目当ての大学にも合格し、近くの安いアパートも借り、バイト先も決まり、まったく新しい生活が始まった。しかし、学校にも慣れ、さてこの都会で何をしてやろうかと思っていた矢先だ。おふくろから電話があった。
「すぐにこっちに戻っていらっしゃい」
 おふくろはいつも冗談なんだか真剣なんだかよくわからないテンションで喋る。俺も電話だけでは、これが何を意味しているのか判じかねた。とにかく早急に俺に実家に戻ってきてほしいらしく、それならと俺は次の日からのGWを実家で過ごす事にした。その間生活費が浮くから、農作業でも手伝って小遣い稼ぎをしようと思っていた。
 まだ一ヶ月ぶりだというのに、両親から熱烈な出迎えを受け、(精神的に)満身創痍になった俺は、無駄にだだっ広い何も無い自室で、十ほど離れた幼馴染、片倉小十郎と向かい合っていた。というか一息つこうと部屋に逃げてきたら、こいつが恐ろしいほど背筋を真っ直ぐ伸ばして正座していたのだ。
「久し振りだな小十郎、元気か」
「は。政宗様こそ、お元気そうで何より」
 小十郎は代々伊達家を守ってきた片倉家の息子だ。だからと言って最早主従関係なんか無いに等しいというのに、小十郎は堅苦しい言葉遣いをする。
 こいつは地元の高校を卒業すると、やはり片倉家が代々管理している神社に務めはじめた。小十郎の親父は隠居し、今はこいつ一人で管理しているはずだ。(一体神社の仕事というものがどんなものなのかは、よく知らない)
「さぞお喜びでしたでしょう」
「Ah〜…まあな、喜びすぎて死ぬんじゃねえかと思う剣幕だぞ、あれは…」
「政宗様が大事にされている証拠です」
「限度ってもんがあらあな。休みの度これじゃ、身が持たねえ」
「今回は特別です」
「Ha?」
「最近、この辺りで不吉なことが起こっております」
 と、小十郎が話し始めた「不吉なこと」とは、子供がぬかるみにはまって出られなくなっただとか、大根が何者かによって盗まれただとか、小屋が荒らされているだとか、その他もろもろ、不吉というよりは悪戯にしか聞こえないものだった。こいつもおふくろと同じで、冗談と本気の境目がちっともわからない。
「……なるほどな。で?」
「……俺が思うにです、政宗様。これはあなたがこの土地から出た時から起こっております」
「おいおいおい、そりゃあお前、考えすぎだろ……」
「いいえ、政宗様。小十郎はなにも不確かなことを言っているわけではありません」
「じゃあなんだよ。……つーかもしかしてアレか?おふくろが帰って来いっつった理由」
「お察しの通り。政宗様を一旦連れ戻さねば、いつか大惨事になると御前様はお考えになられたのです。……さて、ここで話していても埒のあかぬこと。神社へ、お出でください」
 神社は随分山奥にあると聞いた。訪れたことは無い。どんなわけだかわからないが、小十郎の運転する軽トラックで(これがこいつの悪人面にミスマッチで、俺はいつも笑いを堪えるのに必死だ)向かうことになった。

 片田舎らしく信心深い土地柄だとは思っていたが、まさか本気で祟りを信じているとは思わなかった。小十郎が言うのは、まさしく「あなたが土地から出たから祟りが起きたんですよ」ということに他ならない。
 馬鹿言え。祟り如きでいちいち連れ戻されてたまるか。交通費もかかんだぞ。
 神社の境内は広いが、入り口は山の麓にあった。本殿は頂上付近にあるのだという。麓と言っても多少切り立った場所にあり、下に俺の生まれ育った町を見下ろすことができた。
 大鳥居をくぐると、すぐ右手に立派な大木がある。大人三人が木の周りに両手を一杯伸ばせるほどの幹だ。神木らしく、しめ縄をしてある。枝ぶりも見事なもので、俺が巨木に見惚れていると、小十郎は気付いたらしい。
「狐木と言います」
「狐木?稲荷社だったのか?」
「左様。元は伊達家の……あなたと同じ名、伊達政宗公の遺言で建てられたのだとか」
「ふうん…」
「政宗様、あまり眺めておりますと」
「あ?」
「狐が」
「狐?」
 コン、と鳴き声がした。振り返ると、確かに狐がいる。奇妙な狐だ。尾が幾房もあり、顔に緑の模様が入っている。突然のことに目を丸くしていると、狐はひょいと飛び上がった。
 俺に向かって。
「なっ……!?」
「案じまするな、政宗様。人を害するような真似はせぬはずです」
 淡々と小十郎は言う。こんなに落ち着いてるってことは、この狐はそうそう珍しいモンでもないらしい。だが、ただの狐でもないらしい。身軽そうにしていたのに、めちゃくちゃ重い。害さないかどうか知らないが、これでは動けない。それがわからないわけでもないだろうに、小十郎はただ狐に圧し掛かられて呻いている俺を眺めているだけだ。
 あ、そーか。こいつ俺がちっとも話を信じてないのをわかってて、拗ねてんだな。
「小十郎!」
「なんですかな」
「なんですかなじゃねえ!わかった、信じる!」
「なにをです」
「こいつだろ、悪戯の原因は!真面目に話聞いてやるからさっさと退けろ!」
 ちくしょう、満足そうな顔しやがって。小十郎はこちらに近づいたかと思うと、あれだけ重い狐をひょいと持ち上げた。ようやく解放され、へろへろになりながら立ち上がる。砂地に転がったせいで、服がひどい。
 狐は足をジタバタさせながらもがいている。と思ったら、煙のように消えてしまった。緑の靄が行く筋か小十郎の手のひらから抜けていく。……なんなんだ、一体。

 社務所に入り、小十郎の入れてくれた茶を啜る。当てずっぽうで言ってみたが、どうやらあの狐――化け狐と言ったほうが正しいだろうか――が事の元凶だというのは、どうやら間違いないらしい。
 俺は生まれて初めての怪奇現象に興味が湧いた。
「おい、なんだよあの狐は」
「順を追って話したほうがいいでしょう。なにせ俺も、つい最近あいつの存在を知りましたので。何か手がかりはないかと、社殿の倉庫をしらみつぶしに探してみたところ、おもしろいものが見つかりました」
 小十郎が古びた桐箪笥から取り出したのは、いかにも古めかしい色合いの、手紙、に見えた。広げて見せてくれる。幸い伊達家の英才教育のおかげで、なんとなく意味を取ることができた。
「……遺言状か?」
「そのようで。しかも例の、この社を建てるよう命じたとされる、政宗公のもの。公式の遺言状は博物館に寄贈したとか聞きましたが、なぜそれとは別にこんなものが残っているのか……」
「訳は?」
「ここに」
 さすがに手際のいい小十郎は、懐から(小十郎は濃紺の作務衣だ)もう一枚紙を取り出した。パソコンでプリントアウトしたものらしい。内容はそんなに長いものではなく、ぱっと読んだだけでは、政宗公の真意を測りかねた。大雑把に言うとこうだ。

『遺言。俺の死んだ後は、例の巨木の傍から奴の住処まで、社殿を築け。約束がある。奴は山から出ぬ。境内にある時は、悪さをできぬようにしてある。巨木は神木とし、その下、俺の遺骨の半分を埋めること。危惧が一つ。俺が来世に生まれた時。約束の効果がどうなるか、奴に聞いてもわからぬ』

 俺は首を傾げた。
「……いまいち解かり辛い文だな。脈絡がねえっつうか、指示語が多いっつうか……」
 俺が気になるのは、と、小十郎は二つの単語を指差した。
「奴とは、誰か。約束とは、なにか」
「お前は、これがあの悪戯と何か関係あると思ってんのか?」
「左様。特に不思議なのは、このくだり。『俺が来世に生まれた時』…と。政宗様、政宗公が隻眼であったのは、よく知っておりますな。あなたも生まれもって、右目が無い」
「生まれ変わりねえ。親父もそう思って、俺の名をつけたんだろう。因縁めいてはいるが、それだけじゃまだ確定的とは言えねえな。……奴ってのは、あいつじゃねえのか?あの、狐」
「俺もそう思いまして」
 広げた遺書をしまいながら、小十郎は窓の外を見た。俺もつられて見ると、先ほどの狐が前足をガラスにひっかけて、ガリガリやっていた。

 部屋に引き入れてやると、今度は飛び掛ってくるような真似はせず、狐はすました様子で座布団の上にちょこんと座った。大人ぶっているようでその姿がおかしい。
 尾を数えると、九つあった。よく見ると先が半透明で、所どころにハイライトのように緑の線が入ってい、気持ちよさげにゆらゆら揺れている。妖怪、というものなのだろうか。
「俺がこの狐を初めて見たのは、丁度政宗様が家をお出になられた日の夕方。日課の掃除をしていましたら、こやつが狐木のあたりをうろちょろしていたので、最初は山の野狐かと思って近寄ってみたのです。するとこいつは、『裏切った、裏切った』と言って、」
「言ったのか」
「言いました」
 狐を見る。俺達の話を聞いているのかいないのか、目を細めて、首のあたりを後ろ足で掻いていた。俺は狐の頭へ手を差し出してみた。一瞬ピクリと反応し動きを止めたが、俺の手が撫ぜるために伸ばされたのだと悟ったらしく、すぐに弛緩した。遠慮なくガシガシ撫ぜてやる。
「めちゃくちゃいい毛並みだなお前」
 狐は首をくねらせて、俺の手のひらに押し付けるようにしてきた。犬か。(そういやキツネはイヌ科か。)
「嬉しいようですな」
「……で?言ってどうした」
「消えました」
 消えたのかとは言わない。それはさっき見た。常識というものは時に脆い。
「それからあの悪戯がはじまった、ってことか。そうかなのか、狐?」
 耳の後ろを掻いてやると、狐は身震いして俺の指に食いついてきた。甘噛みだ。
「となると、俺がこいつを裏切って、それでこいつが怒って悪戯してるって話になんのか?」
「相変わらず察しがよろしいようで」
「……しかし辻褄が合わねえな。政宗公の言う『奴』がこいつとして、こいつは実際山から下りて町で悪さしてんだろう。遺言と話が違うじゃねえか。……それにタイミングが一致してるってだけで、俺はこいつに恨まれるような真似をした覚えはねえぜ」
「それは推測するしかありませぬ。……というかそやつが政宗様に随分懐いておられるので、小十郎は驚いているのですが」
「だーかーらー、いつも言ってるだろうが、驚いた時は驚いた顔をしろと。You see?」
「と、言われましても表情筋が固いのは生まれつきでして」
 だめだ、このままいくと小十郎と際限無い戯言を繰り返すことになる。今は(多分)そんなことをしている場合じゃない。俺は狐と向き合った。まどろっこしいのは嫌いだ。
「狐!俺達の話は聞いただろう。てめーのくだらねえ悪戯のおかげで、俺は貴重な休みを潰されてんだぞ。俺が原因ならそれでもいいが、理由がわからねえんじゃこっちも対処の仕様がねえだろう。てめえ喋れんなら言いたいことは言え!つーかこれ以上俺や身内共の生活を妨げるようなら……」
 俺は狐の首根っこを掴まえた。
「狐鍋ってのも悪かァねえなあ?」
 小十郎が脇で、政宗様、お顔が凶悪すぎますとかなんとか呟いている。
(ま…っ)
 と、聞こえた。小十郎ではない。頭に直接響くような声だが、どうやら狐らしい。ま?
(政宗さんのバカーーーー!!!!)
「なんだと!?」
 思わず手に力を込めたが、手ごたえがない。狐は再び煙の如く消えてしまった。なんで俺が狐ごときにバカ呼ばわりされなきゃならねえんだ。
「てンめえ!逃げるな!出てきやがれェ!!こっちは話し合ってやろうって言ってんだろうが!!」
「話し合いではなく脅迫に聞こえましたが」
 黙れ。この性格は母親譲りだ。