佐助の朝は他の同級生たちよりも多分ちょびっとだけ早い。 朝練だとかそういうわけではない。ただ馬鹿みたいに食べる幼馴染を持ったのが悪かった。思い返せば、最初に幸村が佐助のお弁当を食べた時、幸村はそれまで見せた事もないような輝かしい目をしたのだった。それに料理人佐助としての喜びを感じてしまったのだから性質が悪い。 佐助の弁当が食べたい!と我侭を言う幸村に親御さんもほとほと手を焼いて、しかしそれ程我侭を言う事も少なかった幸村だから、そこまで言うのなら叶えてやりたい気持ちもある、というわけで、佐助くん、食費はもちろん払うから、これから作ってやってくれないかね? 怖い顔のお父さん、昌幸さんが言うのはそういうわけだった。佐助十三歳、中学一年の春である。 以来、既に五年間近くも幸村の弁当を作り続けている佐助である。その手つきは手馴れたものだったが、何分幸村が成長期にさしかかった高校一年の頃からは、いくら佐助が器用であったとしても、重箱二段におかずを詰めるのに今まで通りの時間ではとても間に合わなかった。 そもそもなぜ幼い佐助が手ずから弁当を作らなければならなかったのかといえば、別に両親が他界してだとか、将来料理人になりたいからだとか、そんな重い理由があるわけではない。単に佐助のお母さんがものすごくものぐさなだけだった。ある意味反面教師である。 辛いと思ったことはない。辛かったらもう訴えている。ただ、こんなことなら食費をケチらず学食で我慢しておけばよかったなあ、とたまに後悔するだけである。 そんな佐助の今日のおかずは至ってシンプルでスタンダード、甘い玉子焼きにたこさんウインナー、野菜の炒め物にプチトマトを彩り、そしてご飯は巻物にした。それが真田家からお預かりした重箱二段にすっぽり収まり、余った分を無印良品のアルミの弁当箱に詰め込む。そんな作業をしているともう登校時間である。 家を出ると当の幸村が待っている。その後ろには珍しく喪服衣装の昌幸さんがいる。聞けば今日は遠い親戚に不幸があったとかで、朝から新幹線に乗って向かうのだそうだ。こういう時ってどう言えばいいのかなあ、なんて佐助が考えていると、昌幸さんは佐助の持つ風呂敷に包まれた重箱を見て、いつもすまんね佐助くん、この前の、なんて言ったかね?じゃー…じゃー…ま…。ジャーマンポテトですか?そうそう、それだよ。うちでは和食しか作らないからね、幸村が新鮮がっていたよ。おいしいらしいね。なんて言うのだった。 怖い顔でそんなかわいいことを言われると、これまでの苦労が水に溶けるようなのだから、案外佐助も簡単な性格をしている。 そんな佐助と幸村は、特にどちらが言い出したわけでもないが、いつも教室で仲良くランチタイムを過ごしている。最初は佐助が幸村の弁当を作っていると聞いて、ホモだとかお母さんだとかヒモだとか色々勝手なことを言う奴らもいたが、年を重ねた今では極自然な光景となっている。 だから、その日佐助が食堂に行ったのはほんの偶然でしかなかった。うっかりして水筒を忘れたので、幸村を教室に残してお茶をもらいに来たのである。給茶機の前は案の定生徒で込み合っていたが、仕方がないので並んだ。 暇なので何気無しに食堂内を見渡してみたが、特におもしろいものもなく、若干騒がしすぎることを除けば平和そのものの昼休みであった。視界の端に妙なものを見つけるまでは。 (うわ、似合わねえ〜) 配膳の列に、生徒と混じって伊達政宗先生が並んでいたのである。なぜかジャージ姿だ。 何か憮然とした態度で大人しく列に収まっている政宗の前後は女子生徒で、女子特有のひそひそきゃあきゃあした話し合いがなされていた。見るに下級生なので、「あんた話しかけてみなさいよ、」「えー、だって、なに言えばいいの?」「だからあ〜」みたいな事を楽しく言い合っているのだろう。 政宗先生は人気があるが、決してフレンドリーといった感じではないのだ。クラスの連中を除けば、いわば、遠くから眺めて満足するといったタイプのファンが多い。しかしそんなことはどうでもいい。 佐助はそわそわして落ち着かなかった。質問責めしてやりたくてたまらなかったのである。 ようやく給茶機の順番がまわってくると、大急ぎで二人分お茶を注いで、配膳の列の政宗まで早足で辿り着くと、大慌てでこう言った。 「せんせ、俺と一緒にご飯食べない?しゃるうぃーいーとらんち?」 「は?あ、ああ、ya, good, but...」 「じゃ、すぐ戻って席取っておくから、先生も学食もらったらそこに来てよね?んじゃ!」 まだ予約は入っていなかったらしい。両手が塞がっているのでガッツポーズはできなかったが、代わりに気持ちのいい笑顔を返すと、佐助はまた身を翻して急いで教室に戻った。待ちきれなかった幸村が既に玉子焼きをつまんでいるのはご愛嬌だ。 政宗先生と食堂でご飯食べるよ!という佐助の言葉に、幸村も動物のように耳を立てると素直に喜んだ。佐助、よくやった!と言うのはまるで名犬佐助に語りかけるようである。 幸村は手際よく重箱を重ねると、さっさと風呂敷に包み、そして二人して早足に食堂まで戻った。丁度政宗は食事の乗ったトレイを持って給食のおばちゃんから離れた所である。 「先生、こっちこっち」 佐助は込み合う通路を掻き分け、一番奥の柱の影になっている席まで政宗を引っ張っていった。狭くてちょっと湿っぽいのであまり誰も座りたがらない。そんな所に三人して座っているのは、なにか密談をしているようにも見えるだろう。にやにやにこにこして至極機嫌のいい生徒二人を前にして、政宗は怪訝であった。 「なんだお前ら」 「まあまあ、いいじゃない。先生っていつも食堂で食べてんの?」 「いや、今日はたまたま…。……元親がちょっとな」 元親先生即ち長曾我部元親教諭は、今年新しく入ってきた新任教師で、この武田高校の卒業生、OBである。ついでに他の学校から一緒に入ってきた毛利元就先生と至極仲が悪い。また、左目に眼帯をしていることもあって、同じく右目に眼帯をする政宗と並べてパイレーツオブタケダリアンなんて呼ばれたりする。 それはともかく、その元親は喧嘩っ早いことでも有名で、今日も元就先生に喧嘩を仕掛けたのだという。そのとばっちりで、政宗は弁当をおしゃかにされたばかりか、お茶が服にかかって、ジャージを着るハメになって食堂に並んでいたというわけだ。 「悲惨だね」 「佐助、甘く見るでない。政宗先生がそのような仕打ちを受けて黙っているとは思えぬ」 「ああ、今からあいつをどうしてやろうか考え中だ」 無表情でそんなことを言うものだから、なまじ迫力のある顔をしているだけに本気としか思えない。佐助は身震いをして話題を変えた。ジャージの謎も解けたところで、別の疑問が湧いてきたのである。 「じゃあいつもはお弁当なんだね。一体だあれに作ってもらってるのかしら〜?」 幸村がたこさんウインナーを咥えたまま顔をあげた。気になるらしい。 「……真田までなんだよ。ああ、いや、まあ、そうか…。心配すんな、自分で作ってるから。つーかまた高校男児にしちゃあかわいらしいモン咥えてんな。お前の親の趣味か?」 「いひゃ、はふけのひゅみでごはる」 ああん?と首を傾げた政宗に、なぜか佐助はかっと顔が熱くなった。自分が幸村に政宗のいうところのかわいらしい弁当を作ってやっていたことを忘れていたのである。いや、他の誰かなら慣れたことで気にもならないのだが、政宗に指摘されると急に恥ずかしく思えてきてしまったのだ。 たこさんウインナーを飲み込んで、さすけの、と続けようとするのを思わず手で塞いでいた。が、既に遅かったらしく、政宗はまじまじと幸村の重箱を眺めた。 「へえ、猿飛が作ったのか。大したもんじゃねえか」 政宗は二年間佐助の担任をしている。英語の授業も多い。例の告白の件を除いて、そんな中で佐助が政宗について知っていることと言ったら、政宗が人を滅多に褒めることはしない、ということだった。つまり、褒めたとすればそれは本心で言っているのだということになる。 「やあ、旦那のお父さんに頼まれちゃってね、はは、まあ趣味みたいなもんだし、うん、そういうことで」 ふーん、といつものように呟いた政宗は、暫し重箱を眺めていたかと思うと、事も無げに玉子焼きを一切れひょいと摘まんで、そのまま口に放り投げた。これには佐助よりも幸村の方がびっくりして政宗を見ている。 びっくりというよりは、ショックだっらしい。幸村は机を叩いて立ち上がった。 「い…いくら政宗先生といえども、俺の弁当を横取りすることは…許せぬ!先生、お返しくだされ!」 ものすごい剣幕で政宗の両頬をがっしり掴んだ幸村は、一番びっくりしている政宗にもお構いなしに、ものすごい方法で玉子焼きを取り返そうとした。 一番大慌てした佐助は幸村を羽交い絞めにして、これを火事場の馬鹿力というのだろう、思いっきり後ろに引っ張って二人して倒れてしまったが、なんとかとんでもない方法を阻止することはできた。 「なにしてんだあんた!!ばっかじゃないの!!??」 「む、し、しかしだな、玉子焼き、最後の一切れだったのに!」 恐ろしいのは、幸村の言い分がまぎれもなく本気だということである。普段破廉恥だとか言うあんたはどこに行ったの、と言っても通じないことはよくわかっていた。 政宗は文字通り凝固して、自分の身に起きそうだった出来事を想像したのだろう、漫画で表現するなら縦線がびっしり入っていそうな顔をしていた。 その日の放課後、佐助は職員室に向かった。幸村は部活がある。大会が近いのだとかで、最近は一緒に帰ることもない。 職員室の手前に来ると、ものすごい怒声が聞こえてきた。それが元親と元就のものだと認知した佐助は、政宗の惨事を思い出して、収まるまで入るのはよした。そういえば結局元親にはどんな沙汰がくだったのだろう、なんて考えていると、当の閻魔政宗が佐助の肩を叩いた。 「よう、今日も校内留学希望か?」 「ん、いえっさー。バイトないし。まあ旦那は部活なんだけどね。先生今日は暇?」 「ああ。けど今から用事があるんでな、すぐ済むからちょっと待ってろ」 さっさと職員室に入って扉もきっちり閉じてしまった政宗の言いつけ通り壁に凭れて待っていると、すぐにさっきまで聞こえていた怒声が収まり、その代わり元親の叫び声とも言えない途切れるような声がして、ぎょっとした。どうやら神罰はあの不良染みた技術教師が唸るほど恐ろしいものらしい。 しばらくして、どことなくスッキリした顔の政宗が出てきた。その時ドア越しにちらりと見えたのは、床で蹲っている元親と、それを踏んずけてなにかぶつぶつ言っている元就だった。 この学校は何かおかしい。今更そう気付いても、なにもかも遅すぎた。 「Ok, let's go. Anyway, you are good cook. I'd like to eat your cooking again.」 「はっ?あ、ごめん、急に言うから聞き取れなかった」 「料理上手だなっつったんだよ。Sorry, I couldn't hear you. ま、sorryだけでも通じる」 「そーりい、あいくどんとひあゆー。…んで、Thank you.」 政宗は適当な空き教室に入ると、佐助を自分の向かい側に座らせ、一緒に持ってきていた書類を広げた。時には小テストの丸付けをしたりしている。 佐助が言い出した校内留学はこれまでに三回程行われて、佐助はまんまと政宗と放課後を一緒に過ごしたりしている。最初は職員室でやったのだが、なぜか歴史の織田先生と、牧師さんだというなぜ学校にいるのかわからないザビーおじさんが微笑ましそうに眺めてくるので、以来空き教室に移動する事にした。 人気のある先生を独り占めできるのは正直ちょっと気持ちがいい。そんだけだよ、なんて幸村には嘯いている。本当はかなり気持ちいい。例の一件以来政宗も佐助には一目置いてくれているような気がして、ちょっとした優越感を味わっているのも本当だ。 「How did you get your cooking skill?」 「え?えーとね…自己流てなんて言うの?まい…まいせるふ」 「You can say "I'm doing in my own way" or "I tought myself." あの玉子焼き、やたら甘かったな。ダシ使ってねえだろ?」 「あいむどぅーいんぐいんまいおうんうぇい。旦那が甘いの好きなんだよ」 ふーん、真田の好みに合わせてるわけか。と言って、政宗は書類の何箇所かにサインをした。その手元を何気なく眺めていると、ふとあることに気がついた。政宗はまだジャージを着ているのだが、その袖が大分余っているのである。というかよく見ればサイズが一回り大きいらしく、おかげで特に背が低いわけでも、顔立ちが幼いわけでもない政宗が子供っぽく見える。 「ふーずざっつじゃーじ?」 ん、と目を上げた政宗は着ているジャージを見て、余っている袖を見て、ああ、とまたつまらなさそうに書類に目を落とした。Kojuro'sなんて答える。始めて聞く名前だ。誰だそれ、とつい言葉に出ていた。 「Whatever. None of your business. Anyway, I have an idea.」 聞きなれない言葉の意味はわからないが突き放された気がする。佐助はむすっとして両腕を机につけて、その上に顎を乗せた。しかし学校で起こった出来事なのだから、そのコジューロとかいう人物も必ず学校内にいる人物のはずなのだ。佐助はすぐにそいつの正体を突き止めてやる、なんてよくわからない闘志に燃えた。 「ところで考えがあるんだが?なんですか、先生」 「Why don't you bring your cooking tomorrow and exchange with mine?」 「はっ?はっ?ちょ、そんな早く言われてもわかんないからー。クッキング持って来いって?え、なに?交換って言った?もー、意地悪だなあ。あいきゃんとひあゆー。」 「I said, I want to eat your cooking again.」 にこりと笑う政宗は日本語で言ってやる気はないらしく、え?え?と戸惑う佐助にもお構いなしに、書類を書き上げた様子だった。立ち上がってFinish、お疲れさん、と言う。さっさと出て行ってしまうあたりは薄情だ。 なんだか、ちょっと失敗したかなあ、なんて思ってしまったのは、確かに疲れたからである。とりあえず明日はもう一人分お弁当を作っておけば間違いないだろうと思って、帰りはスーパーに寄ることにした。 つまりこれは政宗の指令で仕方なしにすることなのであって、別にいつもはしない下拵えをばっちり夜のうちに済ませておいたり、珍しく早いうちに仕事から帰ったお父さんに、なんだか機嫌がいいなあ、と呟かれたりしたとしても、そこに佐助の意思は働いていないのだ。ということにしておいた。 次の日、幸村と佐助は早いうちに登校した。幸村は今日から始まる朝練に行くためだし、佐助は事務所に行くためだ。事務所にはいつも誰かしらいるはずだが、今までお世話になったことはなかった。 職員室と繋がって隣にある小さな部屋が事務室で、学級委員のいつきなんかはよく備品が足りなくなるとここへ行って、椅子なり画鋲なりを調達したりしているのを知っている。 いわゆる「何でも屋」染みたこの事務所に佐助がやってきた理由は至極簡単だ。先日政宗の言ったコジューロとは何者か?を調べるためである。そのような情報がここならわかるだろうと思ったのである。 ノックをして入ると、そこは学校の教室や廊下とは少し違った匂いがした。教室より大人臭くて、職員室よりは清潔ではない。扉を閉めると最早学校とも思われなかった。あるのは事務机二つを向かい合わせにしたものと、書類棚が三つほど。あとは様々な備品が置かれている。事務机に一人座っていたのは、今まで見たことない人物だった。 佐助が少しぎょっとしたのは、その人物の人相が悪い上に、オールバックに頬に傷があるという、銀座で見かけたのなら間違いなくそのテの人扱いされるような容貌だったからだ。どうしてこの高校にはこう一癖ある人しかいないのだろう。 「なんだ」 しかも柄も良くはなさそうである。この人は学校の事務員さん、学校の事務員さん、と頭の中で魔法の呪文を唱えつつ、佐助は営業用スマイルで笑った。 「おはようございまーす。えっと、ちょっと聞きたい事があるんですけど、この学校に」 「……オレンジのツンツン頭に嘘っぽい笑顔、か。なるほど…。お前、ひょっとして猿飛佐助か?」 「へ?はあ、そうですけど…。なんなんすか?あのですね、俺、コジューロって人探してて」 「こじゅーろ?偶然にも俺の名前は片倉小十郎だが、そいつァ俺のことか?」 目から鱗みたいな話である。少し考えれば、学校内で教師でない大人といえばこの事務員くらいしかいないとわかるのだが。まじまじと小十郎と名乗ったこのヤクザっぽい人物を見れば、体格は政宗よりも一回り大きいから、間違いないだろう。 その小十郎に何の用だと言われても、まさか政宗先生が一体どこのどいつのジャージを着ていたのか気になって、そいつの顔を拝んでやろうと思ったんですよー、とは言えない。というか別にそんな理由ではない。単なる好奇心のはずだ。 それにしても、本人はただ単に佐助を見ているだけのつもりなのかもしれないが、小十郎の顔は怖い。どのくらい怖いのかというと、幸村の父昌幸さんとタイを張るくらい怖い。ちなみに幸村のお兄さん、信幸さんはそれはそれは優しげで温和な顔をしている。遺伝子ってたまに怖い。 佐助はうまい言い訳を考えるつもりが、いつの間にかそんな妙なことを考えていた。 「……おい、大丈夫か?いいからとりあえず座って茶でも飲めや。お前のことは政宗様から聞いてる」 そんなこんなで佐助はなぜか事務所でお茶をいただくことになってしまった。 しかしそれで意外な事実を知った。まず、小十郎と政宗は親の会社やらなんやらの関わりがあるらしく、小十郎は政宗の目付けのような役割を担ってこの武田高校の事務員として働いているのだそうだ。それ以上詳しい事は聞けなさそうだったが、これで政宗にnone of your business、つまり、てめーには関係ねーよ、と言われたわけもちょっとは頷けた。ちなみに佐助はお弁当の下拵えをした後、記憶と勘でこの言葉を探し当てたのである。 そんな都合から、小十郎は政宗と同じマンションに住んでいるのだそうだ。それで、たまに食事を一緒にするのだが、その時最近は佐助や幸村のことが話題に上ることが多いのだという。 それももっともな事かもしれない。佐助は例の一件以来やたら政宗と接触があるし、幸村も相変わらず政宗を慕ってたまに叫んでいる。少しくすぐったい。 「昨日も晩飯をご一緒したのだが、何か気になることを話しておられた…。いつか俺は真田に襲われるかもしれないだとか。お前、真田と仲がいいんだろう。一体どういうわけだ?」 そんなことを言っていたのか。変な所で尻拭いをしなければならなくなって、佐助は苦笑した。 「やだなあ、そんなの冗談に決まってんじゃん?昨日お昼に政宗先生と一緒にご飯食べたんだけどね、その時真田の旦那がちょっとふざけて、その時のこと言ってんでしょ。大体大人しく襲われてくれるタマだと思う、あの先生が?」 「そうか、それならいい。確かに政宗様はお強いし、いざとなったら部下が黙っちゃいねえからな」 部下ってなに。佐助は必死に尋ねたいのを我慢して、ひたすらにこにこ笑っていた。その裏、この小十郎って人も、ちょっとやばいんじゃないかなあ、なんて思っている。大体政宗「様」ってなんなんだ、「様」って。 それで結局俺に何の用だったんだ、と話題を戻されて、佐助はうっかり言い訳を用意するのを忘れていたことに気がついた。えーと、あのですね、と言葉を繋いでいると、タイミングのいいことに職員室側の扉から誰かが入っていた。元親先生であった。 「はよっす。小十郎さん、備蓄倉庫の鍵どこっすかー」 「また行方不明なのか?…ったく、一回あの体育教師しめとけ。ああ、冗談だ。猿飛、悪いが用事はまた今度にしてくれねえか」 願ったり叶ったりである。とびきりいい返事をして佐助は事務所を出た。 昼休みがくるまで、佐助はそわそわしていた。本人は努めてそんな素振りは見せていないつもりだったが、気付かないうちに鼻歌を歌っていたり、意味も無く窓の外を眺めてにやにやしていたり、クラスメイトの前田慶次に指摘されてしまうほどだった。なんか今日気持ち悪いなあ、恋でもしてんの?だそうだ。あんたと一緒にするんじゃねーよ!と言って殴っておいた。 確かに、ちょっと異常かもしれない、とさすがの佐助も思った。思ってはみたが、だからどうだっての?とすぐ考え直してしまったあたり、佐助も人並みに自分のことについては鈍いと言えるだろう。 そんなこんなで訪れた昼休みである。いつも通り幸村と教室で食事していたのはいいが、政宗が来る様子はない。 幸村に、昨日こうこうこういうことを言われて先生の分もお弁当作ってきたんだけど、来ないねー、とさり気なく言ってみたが、すぐに後悔した。いつもより余分にご飯があるのだと認知した幸村は、まだ自分の分が半分以上あるにも関わらず、きらきらぴかぴかした目で佐助を、否、政宗のお弁当を見ていたからである。 聞くに、幸村の中での優先順位は信玄、佐助、政宗、のはずなのだが、(多分同率二位なのだろう)最近どうしても信玄、ご飯、佐助、政宗、のような気がしてならない。政宗の口から玉子焼きを取り返そうとした件にしたってそうである。 結局政宗は来ないまま二人は食べ終わってしまったので、まだ時間もあることだし、佐助は職員室を訪ねてみることにした。幸村を置いていったのは、僻みっぽい目で見られたくなかったからである。 さて、政宗曰く、 「遅かったな」 だそうだ。佐助が職員室に行くことが前提だったようだ。変なところで身勝手な政宗に怒ったりはしない。佐助はいつもそれ以上の身勝手さをいろいろな人から味わっている。 「はい、これ昨日言ってた俺のクッキング。どうぞ召し上がれ」 渡したお弁当箱は予備として買っておいた無印良品の同じものである。その中にはいつもより気合を入れて作ったおかずが入っているわけで、Thanks、と言って政宗がその蓋を開けると、やっぱりちょっぴりドキドキした。むしろ久々に料理人佐助としての血が騒いだのだと言っていい。 政宗は丁寧に箸を持って、いただきます、と唱えると、まずは昨日も食べた玉子焼きを一口食べて、手作りコロッケを食べて、農協でもらってきた五穀の入ったご飯を食べて、特製ドレッシングのかかった、彩りに細心の注意を払ったサラダを食べて、幸村に好評だったジャーマンポテトも食べて、 「うまい」 その一言のために作りました! と、佐助は思いっきりあからさまににっこりした。特に時間を置いてもなおサクサクなコロッケを政宗はお気に召したようで、どうやったんだと事細かにやり方を聞いてきたので、得意になって教えてあげた。 聞き終わると政宗は一旦箸を置いて、引き出しからなにやらごそごそ取り出した。淡い緑色のナフキンに包まれていたそれは、どうやらお弁当のようである。政宗はそれを佐助の方に突き出した。 「え、なんで?」 「なんだ、やっぱりわかってなかったのか?俺が作ったのと交換してやるから、弁当作って来いって言ったんだよ。だから、ほれ」 と言って更に佐助へ押し付けてくる。つまりこれは政宗の手作り弁当というわけで、佐助はとにかく受け取った。ナフキンを解いてみると、小さいお重のお弁当箱はそれでも高そうな漆塗りだ。蓋を開けると、佐助は、わあ、と言うしかなかった。だってすっごく豪華で綺麗でおいしそうで、しかもみんな手作りだというのだから、感動してしまったのである。 煮豆からつまんでみれば、案の定ものすごくおいしい。立って食べているのがなんだかもったいなくて、その辺にあった椅子を引っ張ってきてそのまま政宗の机で夢中になって食べた。 そんな佐助を政宗は満足そうに見ていた。見ながら佐助のお弁当をつまんでいる。 「Hey, What do you think?」 「べりーべりーでりしゃす!おーさむ!」 それを聞いて嬉しそうな政宗を見て、佐助もとびっきり嬉しかった。 既に自分の分を食べ終わってお腹一杯だったはずなのに、結局佐助は全部平らげた。後から幸村に話せば、多分すごい勢いでずるい!と言われるだろうと思った。でも別にそんなことは全然構わないのだ。たまには自分もこれくらい報われていいのだ、と思うくらい今の佐助はちょっと頭がおめでたいことになっている。 まだ政宗が食べ終わらないので、せっかくだしもうちょっと居座ろうと思っていたら、事務員の小十郎が政宗の机にやってきた。どうやら今仕事が一区切りしたらしい。案外事務員も忙しいようだ。 「それは?」 「こいつが作ってきたんだよ。なかなかうまいぜ?食べてみるか?」 勧められて、小十郎は残っていた煮つけを一口食べた。なかなかうまいですな、という。これはこれで嬉しい佐助である。 「なるほど、お弁当を交換していたというわけですか。それは重畳、政宗様もようやく生徒とこのように打ち解けられたというわけですな」 「……余計なこと言うんじゃねえよ、小十郎。弁当取りに来たんだろ?さっさと持って行っちまえ」 と言って政宗が小十郎に渡したのは、佐助に渡したのより少し大きい、水色の風呂敷に包まれたお弁当箱であった。どうやら政宗は毎日小十郎の分も作っていたらしい。 なあんだ、小十郎さんのついでか。とちょっとがっかりした。いや、別に全然がっかりする必要はないのだが、なんとなくぬか喜びしてしまった気がしてならない。優越感が消えてしまったとも言える。 向かいの机(元親先生の机だ)でお弁当を広げた小十郎は、ちょっとおかずを眺めて、佐助を見て、なんだかおもしろそうな顔をしていた。 「気合を入れましたな」 政宗はShit!なんて、食事中に使ってはいけない言葉を吐いていた。 別にいいのだ。佐助は今なにもかも許せる気分だったのだから。 |