佐助はトイレに掛けてあったカレンダーを見てびっくりしていた。 もう冬休みがすぐそこに迫っていたのである。ここのところ日が過ぎるのが早く、あまり実感が湧かない。そういえば制服は冬服に変わったし、肌に感じる風もいつの間にか冷たくなっていた。いつまでも残暑の気分が抜けなかったのだろうか。 現在は十二月九日。文化祭も期末テストもなんとなく終わっていた。テストといえば幸村なのだが、やはり政宗に助けてもらって、なんとか乗り越えた。佐助もちょっと手伝った。なにせ幸村は柔道の秋季大会を乗り越えたばかりだったので、(ちなみに全国まで行った)中間時以上に心配はあったのだが、苦労は時に報われるものらしい。佐助も幸村もほっと一息ついていたら、もうすぐ世間はクリスマス、だったのである。 便器に跨ったまま、佐助は一つ身震いした。たまの日曜の午後、トイレくらいゆっくり済ませたいものだが、生憎佐助には夕方からいつもの如くバイトが入っている。当然冬休みの間も、きっちり稼ぐつもりであった。 しかし信幸は、さすがに高校二年、青春真っ盛りの佐助にそれは気の毒だと思うのか、冬休みの間は来なくてもいいよ、と何度か告げている。忘年会ができるような広さの店でもなし、それほど忙しくもならないだろうし、いざとなれば助っ人は身内から呼べる。年末年始は信幸も店を閉める。だから休んだらどうだ、と言うのだ。佐助は曖昧に頷いておいた。バイトがなかったら、他にすることがないのである。 彼女でもいたら、大分事情は変わってくるだろう。佐助もさすがに健康男子なので、クリスマスを好きな子と過ごしたいという欲求がないことはない。ただ、今それは薄い。好きな子、いや好きな人とクリスマスを過ごすなど、絶望的なことなのだから仕方がない。佐助には昔から諦め癖があった。 「幸」に行こうと鞄を肩にかけながら、習慣で携帯をチェックする。特になにもないので仕舞おうとして、ふと手を止めた。指が勝手にボタンを押す。政宗のアドレス画面が表示される。佐助は携帯をいじるとき、なんとなくこの画面を眺めることが多くなった。 まだ一度も送っていない。毎日政宗には会うのだから、必要ないと言えば必要ない。だがカレンダーを見て、ほんの僅か、焦燥感のようなものが胸を掠めた。 (冬休みになったら、しばらく会えないんだった) そんな簡単なことに、ようやく気付いた。たった二週間程度のことだから、今まで気にならなかったのだろうか。だとしたら、大したことでもないのかもしれない。理屈の上ではそうだが、それとは裏腹に、このことが重大に思えてきた自分に溜息をついた。 (会いたいなあ…) 携帯を閉じて、玄関を出た。空気が澄んでいて冷たい。冬はもう来ているのだ、と思った。道すがら、びゅうと吹く北風が佐助の髪を忙しなく揺らす。「幸」へは、大体徒歩十分という近さだから大した苦でもないのだが、今日は特に寒さが身に染みる。 有り体に言って、自分の気持ちを否定するのは疲れた。ある意味では自然なものなのだから、それを無理に押さえつければ苦しいに決まっているのだ。大体口が勝手に「好きだ」と言ってしまうほどだというのに、なにを否定しろというのか。 会いたいし、二人っきりでいたいし、話したい。触れたいかどうかは、正直微妙だ。自分が本当に男を好きになれる人間だったのかどうか、それはさすがによくわからないのである。 別に大した問題じゃない、と佐助は思う。先生を慕う生徒、この構図自体はなにもおかしくない。自分はそれを保ち続ければいい、ただそれだけであった。なにも行動を起こさなければ日々は平穏に過ぎていくし、それを望んでいる。結果的にそれが自分の気持ちを諦めることになったとしても、それもやはり仕方がない。 自分に政宗を好きになる権利がないことは、身に染みてよくわかっている。 そう思うのだが。 「よう、猿飛」 「佐助くんいらっしゃーい。いつも通りよろしくー」 「あは、ははは……よろしくー。…………なんで先生いんの?」 現実はなかなか理屈通りにはいかないらしい。理解しているからと言って、それがすぐさま実行できるわけではない。喜んでいいのか悲しんでいいのか、政宗先生は店のカウンター(以前座ったのと同じ場所だ)で一杯ひっかけていた。信幸は手際よく開店の準備をしている。 「まだ開店前なんだけど」 「Who cares? たまたまこの辺りまで来たから、寄ったんだよ」 政宗の自宅はここから二駅程の距離だと、以前聞いたことがある。なるほど、そういう可能性もあったのかと、なぜか感心してしまった。苦笑して、ま、ゆっくりしてってよ、と言う。素直に喜んでおこうと思った。 しかし政宗は信幸と二、三談笑して、開店前には帰ってしまった。本当にただ寄っただけなのだろう。別に明日また会えるから今でなくともよかったのかもしれないが、佐助は店の外まで出て見送るとき、何気なく政宗の冬休みの予定を聞いた。 「年末は忘年会。正月は実家に帰る。赤点組みもいねえし冬期講習もねえし、今年は部活動からもはずれてっから、多分学校には出ねえよ」 「んじゃ、結構暇なんだ」 まあな、と言って政宗は笑った。帰国子女という先入観のせいか、正月にはハワイあたりにでも飛んでいるのではないかと思っていた分、案外普通な冬休みを過ごすらしい政宗に、佐助もつられて笑った。が、次に言葉を継ごうとしたら、緊張で顔は強張った。あのさ、と切り出す声は震えていないだろうか。 (それなら冬休み中、一度でもいいから、) 会えないだろうか。別にクリスマスに会ってくれなんて言わない。そんなのはハナから期待していない。一日時間が欲しいとも言わない。ちょろっと会って、例えば買い物に付き合うとか、そういうことだけでいい。 行動は起こすな。そう決めてはいたが、政宗の顔を見ると、そうも言っていられなくなる。二週間も、声も聞かずに過ごすのは、嫌だ。それを押さえつけるのはやはり苦しい。 お前にそんなことを言う権利はない、とやはり誰かが頭の中で叫ぶ。佐助ははっとして、口を閉じた。 政宗は怪訝な顔をしていた。しかし佐助が何も言わないらしいとわかると、しばらく何事かを考えていたようだが、突然思い立ったように、佐助に尋ねた。 「お前、冬休みも毎日バイトか?」 「え、あ、うん、どうしよっかなって。信幸さんは、休めって言うんだけど、そうするとやることなくなっちゃうから」 「ふーん…。お前最近洋画観てるか?」 何の話だろうか。洋画はバイトの無い火曜日に、できるだけ観るようにしていた。なるべく字幕を見ないように、というのは他ならぬ政宗の教えだ。が、最近はイベント続きで慌しいこともあって、ご無沙汰している。 それを聞くと、じゃあ、と政宗は言う。携帯を取り出して、何か確認している様子だった。 「二十二日、空けとけ」 「……デートのお誘い?」 心臓がうるさい。政宗は悪戯っぽく笑った。 「Yeah.ちょっとツテがあってな、余った映画のチケットをいつもまわしてもらってんだよ。ついでに飯も奢るぜ?幸村も誘って……て、あいつは部活か。どうだ、猿飛」 どうだと言われても、めちゃくちゃ嬉しいに決まっている。権利?知るか。佐助は一も二もなく承諾した。その様子を見て、政宗は満足気に頷くと、佐助の頭にポンと手を置いた。 「やっとまともに笑ったな」 と言って、政宗は去った。佐助は、もしかして自分は明日死ぬんじゃないか、なんて思っている。盆と正月が同時に来たとはこういうことを言うらしい。 そうなると、時の流れが意地悪く思えるほど遅くなった。佐助は携帯のカレンダー画面を見て、二十二日までの日数を指折り数え、なぜまだ遠いのだろうかと、それはそれは不思議に思った。本当に政宗と二人で出かける日がやってくるのか、はっきりとした実感も湧かない。休暇を前にして多少ざわつくクラスで、相変わらずカリスマ染みたオーラを放ちながら教鞭を取る政宗を見ても、なにか佐助だけにわかる合図をくれるわけではない。 なぜ自分を誘ったのだろうか、とも思う。別に相手が生徒である必要はなかったはずだし、それこそ部活さえなかったのなら幸村も一緒に連れて行ってなんら支障はない風だったから、たまたま佐助が都合良かっただけで、そこに特別な理由はなにもないのだろう。 (でも、理由が、欲しい) 少しでも、自分が政宗にとって「他の生徒とは違う」のだという、確証が欲しい。佐助はそれがとんでもない我侭だということを知っていたし、現状以上のなにものも望んではいけないこともわかっていた。 結局どう転んでも苦しい。それに気付くといつも佐助は苦笑した。自分がこんなにも人に対して執着する人間だとは、これまで思ってもみなかったのである。 十二月十四日、金曜日、二時間目。なんだか身体がだるい。あまりに考え込みすぎて普段使わない場所を使ってしまったのか、頭も痛い。幸村じゃあるまいしとは思いながら、本気で体調が悪いので、佐助は保健室にお世話になることにした。 なんにでも特徴のある武田高校のこと、保健室も例外ではない。保険医は性別不詳の上杉謙信先生、そして佐助のクラスの保健委員は金髪美人のかすがだ。かすがは謙信が猛烈に好きだ。どのくらい好きかというと、休み時間は呼ばれもしないのに保健室に詰めかけ、放課後は部活動もせずにずっと謙信の手伝いをしているくらい好きだ。 これは余談だが、佐助はかすがに淡い恋心を抱いていたことがある。中学生で、まだかすがが謙信に出会う前のこと、少しの間「俺達もしかしていい雰囲気なんじゃないの?」なんて思っていた時期もあった。束の間の、切ない思い出だ。 保健室に入ると、消毒液の匂いが鼻にツンとした。キャスター付きの椅子に座った謙信がくるりとこちらを向き、佐助の姿を認めると、涼やかな笑みを浮かべた。 「おや…めずらしいせいとがやってきましたね」 「ども…。頭痛いんで、ちょい休ませてもらっていいですか?」 「おすきになさい。いちばんおくのべっどがあいていますよ」 ベッドは全部で三つある。どうやら他にも使用者がいるらしい。佐助はもたもたした足取りで真っ白なシーツの上に寝転がり、頭を抑えた。こんな調子でバイトに行けるだろうか、と考える。窓際を覗いてベッド周りを全てカーテンで覆ってしまうと、そこは学校とは違う異空間に感じられる。 眠ろう。そう思って目を閉じると、か細い声に名前を呼ばれた気がして、目を開ける。カーテンの隙間から、いつきが顔を覗かせていた。驚いたのだが、頭が重いせいでうまくリアクションできない。 「いいんちょー…。隣で寝てたの?」 いつきは頷き、遠慮がちに、カーテン開けて、ちょっと喋っていいか?と尋ねるので、どうぞと答えた。お互いのベッドカーテンを適当な幅開けて、横になりながら喋れるようにした。いつきも心なしか顔色が悪い。聞けば、風邪気味なのだそうだ。 「寒さには強いつもりだったのに、ちょっと落ち込んじまった」 笑った。普段なかなかいつきのハイパーな元気さにはついていけない佐助なのだが、それが今は半減されているので、丁度いい。 謙信がなにやらパソコンでタイピングしている音が、保健室に柔らかく響く。病人に優しい音だ。 それにしても、こんな場面を、あからさまにいつきが好きな蘭丸あたりが目撃したら、多分佐助は殺される。そんな可能性など意にも含んでいないであろういつきは、微笑んだまま言った。 「さるとび、先生のことが好きなんだべ?」 むせた。あまりに不意打ちだ。 「……いいんちょ?あの……何言ってんの?」 「男子は、隠し事すんのが下手なんだな。……おらいつも言ってたべ?先生は、素敵な人だって」 確信に満ちた言い方に、佐助は何も言い返すことが出来ず、曖昧な笑みを浮かべたまま、なぜいつきがこんなことを言うのだろうかと、必死に考えた。そんなにわかりやすかったのか。 「なあ、好きなんだべ?」 「いやあ、……あっははは〜……」 自分を見つめる、なんの淀みもない綺麗な瞳に、吸い込まれそうな心地がした。 いつきに隠し事をしようと思えない。佐助は、いつきの大切な秘密を知っているのだ。 「……うん、そうです。ごめんなさい」 保健室は暖房が効いているので暖かい。謙信と、もう一つのベッドで寝ているはずの人に聞こえないように小声で認めてみると、なぜかその暖かさがじんわり胸のあたりに染みてくる。同時に刺す様な痛みも伴う。小気味よい音楽のようなタイピングと、暖房の機械的な音だけがしばし室内を支配した。 唸るような音が止んだ。 「……なんでわかったのかなあ〜……とか……聞いていい?」 「見てればわかるべ」 即答されて困った。穴があったら入りたい。 言わねえのか、と聞かれた。その気持ちを、である。佐助が、これのみを考えなかったわけはない。いくらでも想像した。政宗がなんと言うか。きちんと、こういう意味で好きなのだと伝えたら、どう受け止めるのか。そして、言えるわけが無い、という答えに帰結する。自分が傷つくのも怖いし、ありがちな理由だとは思いながら、今の関係を壊すのはもっと怖い。だからこのままでいいと思う。だがこのままも苦しい。頭が痛い。 「……言えねえのか?」 「うん、俺、思ってた以上に、臆病者みたいで」 「男だから?」 「……それもある、かな」 「ずるいな」 「……うん、そだね」 「先生は、さるとびを傷つけたりしねえだよ」 「うん、知ってる」 「……ずるい」 いつきは佐助の向こう側に、政宗を見ているらしい。政宗を見ながらずるいと呟くいつきは、自分が女であるということにどうしようもなく苛立ちを感じているようにも、男である佐助に対して優越を感じてるようにも思える。どういう意味の、ずるい、なのか。 (……でも、ほんとに、ずるいなあ、俺……) 政宗を、「ちょっと苦手な担任の先生」としか思っていなかった頃に戻りたい、そういう風に思うことすら、今の佐助にとっては至難の技であった。ほんの数ヶ月前のことだというのに、政宗を意識しない生活が、なんとも味気なく思える。どうして今まで平気で暮していたのか、その方法すら、もうわからないのだ。 情けない。 「条件を全部持ってるくせに、動かねえのは、許さねえだよ」 見るといつきはシーツを頭まで被って、丸くなっていた。そして、気付いた。 (……委員長は、言ったんだった) 小さな身体の中にある勇気をありったけ振り絞って、帰り道、政宗を待ち、言ったのだった。佐助は直接政宗から聞いた。それは全てのおわりと、はじまりの出来事だった。佐助はなんとなく、自分が今まで勘違いをしていたことがわかった。 (……ああ、俺になかったのは、好きになる権利なんかじゃなかった) 本当は、事実から逃げる権利がなかったのだ。 「わかった、委員長。じゃあ、もう、止めても無駄だからね」 せめてもの強がりでそう言った。途端に佐助の心は、晴れ晴れとした。 いつきは小さな声で、うん、がんばれ、と言った。 晴れ晴れしたはいいが、それから佐助は酷く体調を崩した。土日はバイトも出られず、週が明けても体中に鉛をまとったような重たさが付きまとい、だらだらとずっと熱が出続けるので、そのまま三日休んだ。そうこうするうちに十二月二十日、終了式になってしまい、その時には大分調子が戻ってきていたのだが、どうせ式だけなのだからと、結局行かずじまいであった。 その日の午後、幸村が見舞いに来た。手には通知表を含めた、諸々のプリント類が入っている。 「これが、教科ごとの課題メモだ」 「ありがと」 下手くそな字がやたら左側にひっ詰めて書かれているメモを受け取る。ひたすら読みにくいが、幸村の気遣いが身に染みる。 佐助は布団にこそ入っていたが、もう熱は殆どなく、頭痛も今は遠ざかっていた。しかしさすがに三日間寝込んだおかげでやつれたしく、幸村はそんな佐助の顔を心配そうな顔を浮かべて覗き込み、額に手を当てた。幸村の手は、子供のように湿っぽくて暖かい。むしろ佐助の額の方が冷たかった。幸村は手を離すと、安堵した様子で、今度は鞄の中から風呂敷包みを取り出した。すみれ色の布を幸村が不器用に解くと、出てきたのは重箱で、中には水饅頭が入っていた。佐助の好物の一つである。 「うわ、すごいじゃん。どうしたのこれ」 「兄上が、佐助を心配して作ってくれたのだ。これなら病身でも食べられるだろうと」 「うわー…俺ほんとあの人に頭上がんないなあ…。ごめんね、旦那にも心配かけちゃって」 旦那も食べなよと勧める前に、幸村は艶やかな水饅頭を手に取っていた。ぐっと何かを飲み込んで、佐助も一つ手に取り口に含むと、ひんやりして気持ちのよい舌触りと、こし餡の甘さが身体に優しかった。 「そういえば、政宗先生から言伝を預かった」 「え」 「『さっさと連絡しろこのアホ、パソコンに打ち込む前なら成績変更できんだぞ』……だそうだ」 「あっはは……そらまたきっつい……」 久し振りに笑った気がした。 全部で四つ入っていた水饅頭を仲良く二つずつ分け合って食べ終え、幸村はこれから部活だというので、玄関まで出た。お母さんが居間で見ているテレビの音が微かにする。幸村はもう一度佐助の額に手を当てて、うん、と頷いた。 「しっかり寝るのだぞ、佐助」 「あらら、いつもと立場が逆になってんねえ…」 幸村が出て行こうとすると、佐助は呼び止めた。なんだ佐助、という幸村の顔は屈託ない。自分とは両極端な位置にいるこの幼馴染が、佐助はなにより大切だった。あるいは幸村が本気で政宗を好きだと言うのなら、佐助は手助けする側にまわっていただろう。しかしその芽は他ならぬ佐助が摘んだ。 佐助は幸村の手を攫うように取ると、じわりと汗が滲むまで握った。幸村の瞳が僅かに見開かれる。 「ごめん。俺、どうも先生のことが好きらしいんだよね」 おどけた調子で言ったつもりだったが、幸村は笑わない。その代わりきょとんとして、知っている、と答えた。参った。続けて、俺も政宗先生が好きだ、と言うので、果たしてきちんと意味を理解しているのか不安になったのだが、仕方がないので意を決して伝える。 「でも、旦那はやめたろ。俺は、やめられなかった。だから、ごめん。旦那にあんなこと言っといて」 そんなつもりはなかったのに、嗚咽が漏れた。幸村は、政宗への気持ちより、佐助を選んだ。佐助との、長く、深く、穏やかな日々の重さを選んだ。それと同じことをできない自分が、佐助はなにより憎らしい。せめて言い訳はしたくないと思う。 幸村は黙って佐助の身体を引き寄せると、抱きしめた。佐助は驚いたが、項垂れて、身を委ねた。 「……なにやってんのあんたら?青春?」 という草加せんべいをくわえたお母さんの声が聞こえる。佐助にもいろいろあるのでござる母上殿、と幸村が大真面目に言う。やたら間抜けだ。 その夜、佐助は布団に寝そべったまま携帯のボタンをぷちぷち押した。 『件名:猿飛 本文:連絡遅くなっちゃってごめんなさい☆明後日の時間と場所指定お願いしまっす。返事待ってるね。成績落としたりしないでよね!あなたの佐助より♪』 別にセンスは気にしない。気にしたら終りだ。案外あっさり送信ボタンを押すことがでたので、なぜもっと早くこうしてしまわなかったのかと思った。三十分後、ようやく返信が来た。 『件名:(non title) 本文:午後二時、○△駅 風邪大丈夫か?』 記念すべき、政宗からの初メールだ。あんまりに味気ないので、ちょっぴり悲しくなった。でも待てよ、と思いなおして、寝返りを打つ。最後のクエッションマークが、やけに輝いて見える。 「……これ、もっかい返せってことだよね?」 手早く返信ボタンを押し、慎重に言葉を選んで入力した。Re:を消そうかどうか随分迷った。 『件名:Re: 本文:了解!身体はもう全然大丈夫だよ♪ちょっとフラフラするくらいかなー。俺に会えなくて寂しかった?(笑)』 悪ノリしすぎだろうかと思ったが、メールだとどうもずけずけ言ってしまうタイプの佐助は、勝手にこれくらい許容範囲だろうと定めて送信した。すると今度は意外な程早く返って来た。 『件名:Re:Re: 本文:アホ。 番号よこせ』 「ひどっ!」 噴出しながらご要望どおり番号を送ると、ものすごい早さで電話がかかってきた。嬉しいを通り越して怖い。数秒置いて、なんとか通話ボタンを押す。 「……せんせ?」 『……よう』 政宗の声を聞くのが、やたら久し振りに感じられた。電話越しだと少し違って聞こえる。今なにしてんの、と聞くと、案の定と言えば案の定なのだが、お前と電話してる、なんて返って来た。そんなことはわかっている。改めて言われると恥ずかしい。というか、声を聞いたら顔が見たくなるのは、人間の性なのだろうか。 『元気、出たな』 「……うん。俺、今まで自分のことは全部わかってると思ってたんだけどさ」 『そうでもなかったか』 「うん。俺は、自分が考えてるより、全然ガキだった。……知らないフリしてんのが、いいことだと思ってた。でも、だめらしいんだよね。そんなに出来た人間じゃないから」 こんな抽象的な言葉でわかるはずもないのに、案の定政宗は詳しい事を何も聞こうとしなかった。そうか、頷くだけである。興味がないのではない。政宗は、自分から尋ねるのを禁じているのだ。だから佐助は安心して勝手なことを呟ける。 「明後日、先生にも言うよ」 『ふうん?……随分と素直になったなァ、猿飛』 「そお?んじゃさ、先生もちょっと素直になってよ。――俺に会えなくて、寂しかったでしょ?」 しばらく間があった。笑いを含んだ声が聞こえてくる。 『アホ』 十二月二十二日、土曜日まで、あと二日。 |