佐助は頭一つ分高い男を見上げながら、呆然としていた。
 言うまでもなく、佐助は今日という日を待ちに待った。「なにコレ俺って乙女?」と思うくらい待った。どんな服を着て行こうかなとか、先生はどんな服で来るかなとか、映画を見終わったらご飯って言ってたな、一体どこに連れてってくれんのかなとか、我ながら生娘のような心持ちでいろいろ考えた。もちろんそこにいるのは政宗のみで、ヤクザばりに怖い顔をした政宗のお守りの姿など、微塵も想像しなかった。なのに実際佐助が駅に向かうと、改札口で黒のジャケットを羽織って待っていたのはその小十郎だったのだ。
 心なしか小十郎の顔はいつもより険しい。政宗に何かあったのだろうかと思った。
「……なんで小十郎さんがいるんでしょーか?」
「心配するな、政宗様ももうすぐ来られる」
 いや、そうだけどそうじゃなくて、とツッコむ間もなく政宗も現れ、平気でいつもどおり「よう」とか手を上げる。茶系のダッフルコートに、映画を観るからだろうか、縁無しの眼鏡をかけている。
(先生って目悪かったんだ。うわ、ていうか似合ってるかわいい)
 それはともかく。もしかして最初から小十郎も行く事になっていただろうかと佐助が自分の記憶を疑い始めた時、ようやく政宗が説明してくれた。曰く、政宗は元々小十郎と映画を観に行くつもりだったのだが、仕事で都合がつかないというので、佐助を誘ってみた。が、今朝になって急に小十郎は自分も行くと言い出したのだという。
 え、お仕事はいいんですかと佐助が尋ねると、何食わぬ顔で、元親に押し付けてきた、と言う。そんな哀れな、と佐助が思っていると、小十郎は急に眉間の皺を増やし、佐助の首根っこを掴み、
「ちょっと来い」
 と言って、トイレへずるずる引き摺って行った。
「えっ、ちょ、ちょまっ小十郎さん!?先生、せんせーい!」
 剣幕が普通でないので、縋る思いで政宗に手を伸ばしたが、政宗はガンバレと言ったきり切符売り場へ行ってしまった。一体どういう状況なのか、把握できない。
 小十郎は個室に佐助を押し込むと、自分も入って鍵を閉めた。はっきり言って、こんな密室でこんな顔の怖い人と二人っきりでいるのは、凡人には恐ろしすぎる。佐助は、ああ俺ここで死ぬんだなと思った。というのも、普段学校でジャージに近い格好をしている小十郎に比べ、今黒のジャケットに中はワイシャツという出で立ちの小十郎は、迫力が三倍増しになっており、知り合いでなければ恐らく避けて通る部類の人間に見えるのだ。しかもなぜか怒っているというオプション付きで、怖がるなと言うほうがおかしい。
「あ、あ、あの、俺、なんかしましたっけ……?」
「いいや、まだしてねェ。これからするらしいと俺は踏んだ」
 佐助は便器の上に座らされている。小十郎は上から圧し掛かるような形で佐助を見下ろしていた。ああ、きっとアレだ、ヤクザも借金を取り立てる時はこうするんだ。一つ学べてよかったね俺。恐ろしさのあまり佐助は思考を明後日の方向に飛ばしていた。
「これからって、まだしてないことに対して怒られても」
「前に言わなかったか。政宗様になにかあれば、部下が黙っちゃいねえと」
 確かに言ったかもしれない。佐助はその時、この人やばいんじゃないかなあと思ったものだ。小十郎の矛先ははっきり自分に向いている。あの時の会話を思い出す。確か、幸村が政宗を襲うとかなんとか、そんな話しをしていたのではなかったか?
(え?てことは俺警戒されてる?ん?てことはアレか?え?えええええ!?)
 困惑して何も口に出せずにいると、小十郎がまた佐助にぐっと近づいた。有無を言わせないつもりか。
「一つ聞く。本気か?」
 本気かと言われましても。佐助は引き笑いしか返すことができなかった。
 少し考えてみる。佐助は幸村といつきにしか、政宗に対する気持ちを告げていない。幸村から漏れることはまず有り得ない。そもそも今日だって部活で忙しくしている。だとするといつきだが、これも無い。これは無根拠だが、それだけ佐助はいつきに対してある種の信頼を持っている。だが、いつきの口からではなかったとしても、もしかして保健室には、他に二人の会話を聞いていた人物がいたかもしれない。
 すなわち、保健室に三つあったベッドのうち、一番手前側に寝ていた人物、これが小十郎だったとしたら、辻褄は合う。しかし、さすがにこれを確かめる雰囲気ではない。
(ああもう、こんなところにでっかい伏兵がいた……)
 なんと答えても、自分に待っているのは血生臭い運命なのではないか。
「おい」
「ほっ」
「ああ?」
「ほんきですけど!?なんだよ好きで悪いかよ!!」
「ほほう……」
 ちなみにこの時彼らの篭る個室の外で用を足していたおじさんは、背後から聞こえてきた怪しげな会話にびっくりして少し零した。それはともかく、佐助が思っているのは、なんで本人以外の人間にこうやたらめったら告白しまくらなければならないのだろうかということである。
 どっちにしても不幸しか待っていないのなら、正直になるに限る。後は野となれ山となれ、佐助は小十郎を精一杯の力で睨んだ。歯を食いしばっている。次に小十郎が発する言葉が想像できたからである。
「よし、歯ァ食いしばれ、猿飛……」
 ちなみにこの直後、さっさとこの怪しい男子便所から出てしまおうと、慌ててベルトを締めていたおじさんはチャックを上げる段になって手を滑らし、ちょっと口では言いにくいことになった。なぜなら個室から壁を叩く音が聞こえたかと思うと、そこから突然細身の青年がすごい勢いで飛び出してきたからだ。
 命からがら小十郎から逃げ出し、なんとか政宗のもとまで辿り着いた佐助はとりあえず政宗の左側をがっちりキープし、同じく政宗の右側のやや後ろから佐助を睨み続ける小十郎をなるべく見ないようにして、先生ってたまにひどいよね!?と叫び声をあげた。さすがの小十郎も、公共の場(トイレだって一応公共だが)で暴挙に出るようなことまではしないらしい。
 肝心の政宗は、ひどいって何がだ、ととぼけた様子である。

 電車で二駅、降りて徒歩五分の所、無理矢理しきつめたように立ち並ぶビルの一角が映画館である。
「先に行ってるから適当に食いもん買ってこい、小十郎」
 と、政宗は命じた。素直に従う小十郎は意外にも佐助が何を食べたいか聞いてくれた。無難にポップコーンを頼むと、小十郎は館内の売店へ並びに行った。案外混んでいる場内でも、長身の小十郎は目立つ。佐助はシアターへの狭苦しい階段へ進む政宗に、こそっと耳打ちした。
「俺、小十郎さんがよくわかんないんだけど」
「……わかる必要は無いんじゃねえか?」
「そんな投げやりな。さっき俺殺されかけたんだよ?」
 そりゃあ多分お前が悪いんだろう、とわけのわからない信頼を小十郎に寄せる政宗は、券の番号を確認すると、迷わず座席を見つけ、佐助に先に奥へ進むよう、顎で指示した。政宗もすぐに続いて、佐助の隣にどっかと座る。かと思うと、今度は政宗が佐助に耳打ちした。
「小十郎がいたら、俺の隣には座らせなかったろうぜ」
 まだ明るい館内で、佐助は絶対に顔が赤らんだのを悟られたと思った。政宗が顔を離しても、耳朶に息が残っているようで、佐助はしばらく身体を硬直させたまま、まともな反応を返すことができなかった。
 しばらくして小十郎が戻り、キャラメルポップコーンを渡された。その時やはり苦い顔をされるのも気にならないほど、佐助の意識はある一点に集中されていた。
(……知って、る?)
 そういう意味を持った言葉ではなかったか?
 考えてみればおかしい。小十郎の行動に、政宗がなぜなんら咎めをかけないのか。普段の政宗を思うなら、いくら相手が小十郎とはいえ、自分の生徒に乱暴など働かせはしない。もっと言うのなら、仕事を放棄させてまで映画を観るなど、案外几帳面で責任感のある政宗が、易々と許可するものだろうか。
 館内が暗くなる。長ったらしいCMを、佐助はただの動きとしてしか捉えることができない。
 知っているのならわかる。小十郎の言葉の通りだ。小十郎はストッパーであり、政宗はだから小十郎の同行も、佐助への追及も、認めたのだ。
 スクリーンの光に照らされた青白い政宗の顔を、ちらりと横目に盗み見た。
(……知られて当然か)
 もし保健室での会話を聞いた小十郎がそれを政宗に告げていなかったとしても、態度や言葉に出ていなかったと断言する自信は無い。
(なんでショック受けてんだろう……)
 随分長い間政宗を見つめていた気がする。しかし政宗が佐助を見ることは終ぞなかった。ようやく映画本編が始まるらしく、一瞬スクリーンが真っ黒になる。佐助の視界にいた政宗も暗闇に包まれて見えなくなった。すぐにぱっとセピア色の題字が明るく表示され、甘ったるい女の声が聞こえてくる。

(うわーすげー、内容なんにも頭に残ってない…)
 呆然として、佐助は数週間ぶりのような心地で外の空気を吸った。字幕を追う気力が無く、英語をただ右から左へ聞き流しただけであった。政宗はメガネをはずし、伸びをしながら、感想を一言二言小十郎に述べていた。小十郎は簡単に頷いている。いつもこんな感じなのだろう。
「で?お前はどうだったよ」
「え、俺?いや、えーと…」
 口八丁手八丁、でまかせが得意の猿飛佐助!と、半ば暗示をかけながら無難に答えておいた。その代わり大した反応も返ってこない。連れて来た甲斐が無いと思われたかと思うと、少しく胸が痛んだ。
 食事にはまだ少し早いので、寒空の下の街を三人で歩くことになった。少し行くとウィンドウショッピングを楽しんでいるカップルの多さが目立つ。あとはサンタクロースの格好をしたお姉さんやお兄さんが頑張ってケーキを売っている。そういえばもうすぐクリスマスだったのだ。
 なんとも思われていないんだろうということは、当然わかっているはずのことだった。しかし政宗の態度がショックだったのは、わかっていてもやはり期待を捨て切れなかったからだ。
 佐助は自嘲気味な溜息をついた。
(でも、まあ、いっかなあ。……仕方ないもんね。こうやって並んで歩けるだけ儲けもん……)
「おい、少し見ていいか」
 気になったものでもあったのか、政宗がこじんまりした古着屋を指して言った。佐助にはなにやら見覚えのある店だ。しかし二人が店内へ入っても、小十郎は道に立ち止まったままだった。どうやら携帯に電話がかかってきたらしく、二人で見ているよう手で合図される。小十郎は道の脇に消えた。
「小十郎は?」
「電話みたい。先に見てよ。…ていうか先生って古着とか着るんだ?」
「いや?」
 政宗が小首を傾げると、店の奥から酷く聞き覚えのある声がした。そこでようやく佐助ははっとした。
「いらっしゃーい!あれ、先生じゃん!ひっさしぶりー!あれ?佐助じゃん!二人してなにしてんの?」
 派手な黄色地に銀糸の花模様が入ったパーカー、高く結い上げられた髪、申し訳程度の店員バッジ、腰にじゃらじゃらさせた羽のアクセサリーに陽気な笑顔は、間違いなくクラスメイトの前田慶次であった。
「よう、相変わらずめでたいツラだな」
「先生は相変わらず凶悪なツラだねえ。それじゃモテないよ。ほら笑って笑って」
 と言って政宗の頬に手を伸ばそうとするので、佐助は反射的に二人の間に割って入った。
「そっか!ここ慶次のバイト先だっけ!俺一回旦那と来た事あると思うけど、覚えてる?」
 慶次はにやりと笑うと、伸ばしかけた行き場のない手で、佐助の頬を摘んだ。と思うと、佐助の耳元に口を寄せて、おもしろそうに囁いた。
「相変わらず先生が好きだなあ。今日、デート?」
 佐助は今度こそ泣きたくなった。小十郎にも本人にも、その上たかがクラスメイトにまで、どうしてこうも知れ渡っているのか。慶次がどういう意味で言っているのか知らないが、その認識自体は間違っていないのだから仕方が無い。
「いっそ殺せよ…」
「え?なんで?よかったじゃん、二人でお出掛けなんかしちゃって。あ、ほら、この辺佐助の好きそうな感じの服だろ?見てって見てって!」
(二人じゃないんですけどね…)
 本当はすぐにでも店を出て泣き寝入りしたいくらいの佐助だったが、なぜか政宗が上機嫌で佐助に服を見立てはじめたので、複雑な気分で喜ぶしかなかった。慶次とあーでもないこーでもないと次々服を合わせて話し合う様子はとても楽しそうだった。そういう顔を見ているとなにもかもどうでもよくなってくる。
 バイト先に訪れることも、出かけることも、特別でなくていい。別にいいのだ。
 小十郎が戻ってきたのは、なんだかんだと政宗と慶次が話し合って決めた佐助の服を会計した直後であった。カードをさっと出した政宗を見て慶次は佐助に目配せして、よかったね!みたいな顔をした。恥ずかしいからやめてほしい。
「長かったな」
「……ええ、……元親が」
 心底鬱陶しそうな小十郎の呟きに得心したらしく、政宗は乾いた笑いを漏らした。
 曰く元親の言い分はこうだ。
『ひでーだろ!俺技術教師!高校教師!それをなんで事務員の仕事押し付けられなきゃいけねーんだ!?ああ!?畑違いってやつだろうがよ!小十郎さんだって野菜育ててんならわかるだろ?土壌が違えば育ち方だってまるで変わってくるじゃねーか。よく考えろよ。俺がいつもあんたのしてるわけのわからん作業を滞りなくできるとでも思ってんのか?ああ!?違えよ!俺はやればできる!俺は問題ねえが、もしあんたが次回他の奴にも同じことをしたら、そいつは困っちまうだろ?それは可哀想だろ?資料の位置がわかんねーとか、そもそも切手やら住所録どこだよとか、そういうことになったら居た堪れねえだろ?そう思うんならさっさと学校に来い!な!待ってるからな!つーかどこに行ってんだか知らねーけど携帯の電源切るのやめろな!?』
「要するに、『やべー安請け合いしたけどわけわかんねー助けて!』ってことか」
 慶次が頬杖を付きながら言った。ああうんそういうことだねと、一同も頷いた。
「……というわけで学校に顔を出しに行こうかと」
 この時政宗は軽い笑みを浮かべて小十郎になにか呟いたのだが、佐助は聞き逃した。丁度客が入って店内が賑わしくなったのである。小十郎は佐助と、佐助が手にしていた紙袋を見比べ、大真面目な顔でこくりと頷いた。
「では後ほど連絡いたします。……じゃあな猿飛、学校が始まったら、また事務所に遊びに来い」
「ああ、うん、行くよ!行く行く。……ええと、今日はなんか色々……」
「気にするな。一応警告はしておいたからな。……まあ後は好きにやれ」
 好意なのか敵意なのか、判断し辛い言葉を残して小十郎は店を出てタクシーを拾った。ちっとも急ぐ気のないあたりは小十郎らしい。政宗はひらひら手を振っている。
(やっぱり小十郎さんてわかんねえ……)
 わからないだけに背中のじっとりする恐ろしさが拭えない。基本的にはいい人だと思って問題ないのだろうが、好きにやったらもしかして東京湾に沈められるのかもしれない。
「さて…。んじゃ、俺らも行くか」
「どこ行くの?」
 慶次が聞いた。佐助はなんとなく、本当になんとなく、「ご飯食べにね」と素直に答えてしまった。次の瞬間慶次の目が尋常でないくらい輝いて、しまったと思った佐助が政宗を見ると、あーあバカと言いたげな眼差しが待っていた。
「あのさっ、俺っ、もう上がりなんだけどさ!腹ぺこぺこで!今日利とまつ姉ちゃん出かけてて!」
 なんだかそれは懇願のようでもある。それもそうかもしれない、そこまで必死でなければ常々恋の大切さを謳うあの慶次が佐助の邪魔をしたりはしないだろう。政宗は静かに舌打ちした。
「バカ」
「あっ、本当に言った…!」
 店を出るとすでに日が暮れていた。バイトから上がった慶次も引きつれ、政宗はタクシーを拾い、二人を後部座席に乗せ、自分は助手席に座った。運転手に店名を告げてからは喋ろうとしない。その様子に、さすがの慶次も罪悪感が募るらしい。眉を若干下げて、
「先生、ひょっとして怒ってる…?」
 と尋ねた。よしんば本当に怒っていたとしても、恐らく降りる気は無い所が慶次の前田一族である由縁であろう。が、政宗の返事は案外あっさりしたものだった。
「可愛い生徒が腹減らしてるのを、この俺に見逃せって言うのか?」
 きょとんとした慶次に、怒ってないってさ、と佐助がフォローした。
「よかったね。でもさ、」
 と言って、佐助は慶次の耳を引っ張ると、自分の口元に近づけた。佐助らしからぬドスのきいた声が静かに慶次の鼓膜に響く。貸しだよ?と。慶次は口を真一文字に結んで黙ったまま、凄い音を鳴らして唸るお腹を押さえた。何か言ったら佐助の鉄拳が飛んでくると本能的に悟ったのだ。
 お前ら仲いいなあと、政宗がボリボリ頭を掻きながら言った。

 慶次の目に太陽が宿ったようだった。これ以上ないくらい、さんさんと輝いている。その眼下にあるボリュームたっぷりのハンバーグステーキすら、慶次に照らされてきらきら光を帯びて見えた。ついでに佐助の怒りゲージもまたたくまにゼロになった。消沈したと言っていい。これくらい喜ばれるのなら、もし佐助が牧場の食用牛だったとしても、きっと本望だ。
「えーと…先、食べていいよ?ね、先生」
「……ああ、食えよ前田」
 いやいやっ!と首を振り、あたかも歌舞伎役者のように手を突き出し、慶次はぐっと堪えた風だった。
「お二人さんの邪魔した上に、先に食べちまうなんてえ野暮は…!」
「あーうるさいうるさい!!さっさと食べろよこのバカ慶次!!殴るよ!?」
「お待たせいたしました、フィレステーキとサーロインステーキでございます」
 客の怒鳴り声にもビクともしない笑顔を貼り付けた店員が料理を運んできた。浮きかけた腰を下ろして、佐助は小さく礼を言った。なんて素晴らしく教育されてたウェイトレスさんだろう。
「よしっ、揃ったな!うすら寒い空の下、捨てる飯ありゃ拾う飯あり、間近に迫ったクリスマス、男三人切なく楽しく!そんじゃこの素晴らしき夜に乾杯して!先生愛してるよ!いっただっきまーす!!」
「だから声がでかいって言ってんでしょーが!あと毎回一言余計なんだよ!!」
「……元気なのはいいからよ、二人ともちいと黙れ」
 あまり騒ぎまくってよいという雰囲気の店ではないのだから仕方がない。生徒は二人揃って「はあい」と素直に言う事を聞き、目の前に出された上等の肉を黙々と食べた。が、佐助に負けず劣らず口のまわる慶次がいて、そんな沈黙が長く続くはずもなかった。口一杯に頬張ったハンバーグをごくりと飲み込むと、慶次は次の分を切り分けながら言った 。
「そいやさ、佐助って結構長い間学校休んでたよなあ?」
「ああ…冬休み前の話?風邪こじらしてねー。頭痛くて眩暈するわでもう大変……それが?」
 慶次はちらりと政宗に目配せした。政宗の顔が僅かに険しくなる。なんだろう、と佐助が勘繰る間もなく、慶次はにっと笑って、成績どうだった?と聞いた。
 別に悪くはなかった。なんでもソツなくこなすのが佐助の得手であったし、特に英語は頑張った甲斐あって最高評価だった。というか、教師の前でする話題なのだろうか、これは。佐助の代わりに、政宗が答える。
「仲間を探そうとしたって無駄だぜ。猿飛は成績優秀者だからな」
 政宗はぱくりと分厚い肉を口に収めた。なんだか政宗がものを食べていると、料理の方を「獲物」と名づけたくなってくる。佐助は頭の片隅でそんなどうでもいいことを考えていた。
「いやあ、俺体育と国語はよかったんだけどさ〜」
 慶次は口をもぐもぐさせながら言う。
「え、体育はわかるけど、国語得意なんだ。意外」
 佐助は肉とマッシュポテトを一緒に口にいれた。なんとなく食べているが、相当おいしい。さすが美食家の政宗が選ぶだけはある。守銭奴としては、値段もちょっと気になるところであった。(恐ろしいのはメニューに値段が書いていなかったところだ)続いて政宗が獲物を飲み込んで言う。
「物語に死ぬほど感情移入しちまうんだとよ。だから選択問題も記述も軒並み満点」
 へーえ、そうなんだ。え、じゃあ結構文学少年?という佐助の問いから、話題は慶次の読んだ新書のラブストーリーを経て映画へ、そしてなぜか政宗のお料理ワンポイント講座にまで発展した。今日一日さんざ煮え湯を飲まされ続けてきた佐助はといえば、案外普通に会話を楽しんでいた。
 結局三時間も店に居座ってしまい、慶次を駅まで送り届けるともう八時をまわっていた。慇懃な、というよりはただひたすら空腹を満たしてくれたことに対する礼を尽くした慶次は、それでも最後にちょっと申し訳なさそうな笑顔を佐助に浮かべた。
「借りはいつか返すよ、佐助。一飯の徳ってやつだ」
「いや、奢ったのは先生だしね…。まあ楽しかったからそれでチャラにしといてあげるよ。今度は旦那も一緒に食べに行かない?俺金だけは無駄にあるから奢るし」
 いいねえ、でも俺幸村に毛嫌いされてっからなあ、と笑って、慶次は改札口に消えて行った。
 政宗が腕時計を確かめ、佐助に振り返った。
「お前はどうすんだ?帰るんなら確か前田とは反対の車線だったろ」
「ん?」
(あ、そうか。映画観て食事して、楽しかったね、さあそろそろお開きの時間ですか。教師があんまり遅くまで生徒を連れまわすのも問題かもしれないね。でもちょっと待て)
 まだ肝心のことを言ってないじゃないか。
 覚悟ならとうに出来ているのだ。佐助はぎゅっと拳握り、意を決して言った。
「あの、まだ帰りたくないなー…なんて…」
 あれ、なんだこの台詞?俺は送り狼を待ってる女の子か?と佐助は脳内でものすごい勢いで突っ込んだが、言ってしまったものは仕方がない。無下にされないことを祈るばかりだ。
 が、政宗の言葉は思ったよりも全然軽いものだった。
「なら腹ごなしに少し歩くか」

 クリスマスを前にして浮き足立った繁華な通りは、まだ時間が時間だけに賑やかな活動を続けていた。風が少し出ているので、まだ完全には本調子でない佐助の身体にはその冷たさがより堪えるはずなのだが、いかにも恐ろしいのは身体よりも心の作用である。暑い、いや、熱い。多分緊張しているのだ。
 ようやく本当に二人っきりになれたのだから、この機を逃す手はない。頑張れ猿飛佐助、これが本当に当たって砕けろの精神なのだ。頑張れ猿飛佐助、とひたすら自分を応援する。
 が、なかなか話題を切り出せない。さっきから無言が続いている。気まずい沈黙ではなかったが、いい状態ではない。佐助はちらりと政宗を見た。佐助には、政宗が何を考えてここまで佐助に付き合っているのかわからない。政宗には果たして佐助の考えていることがわかっているのだろうか。
 ふと政宗が、道路を挟んで通りに面している公園を指差した。何かのイベント中らしく、中央の広場にステージが設置され、人も集っている。豊かな木々にイルミネーションがふんだんに装飾され、どうやら屋台も出ているようだ。
「見ていくか?」
「うん」
 公園内は思ったよりも人の笑い声やステージ上で演奏をしているバンドで盛況していた。チャリティーコンサートらしい。二人は中央ステージから少し外れた所にある、公園に常設されているベンチに腰掛けた。ここからでも充分ステージが見れる。
「あ、飲み物買って来るよ。ここで待ってて。コーヒーでいい?」
「ああ」
 小走りで駆けながら辺りをキョロキョロ見回すと、丁度屋台で飲み物も販売しているらしかったので、少し割高だろうとは思いつつも、そちらを使った。紙コップに入ったコーヒーを受け取り、戻ろうとして遠目にベンチを見たら、政宗は一人ではなかった。なんかもう辛い。
「おお、佐助!身体はもう大丈夫んそかい!」
 島津さんだった。政宗にコーヒーを渡しながら、こんばんはー、大丈夫だよー、と挨拶を交わす。島津さんはその体格に見合ったLLサイズのジャージを着ている。いつも大工の繋ぎ姿ばかりを見ていたので、少しばかり新鮮だ。ジャージの背には、ステージの背景ロゴと同じマークが入っていた。あれ、と首を傾げる。
「このイベントの出資者の一人なんだとよ」
「ああ、なるほど…。なかなか盛況してて、すごいじゃないすか。俺達たまたま通りかかったんだけどさ」
「ほうかほうか。楽しんでいってくいやんせな。わしもこんな所でおまはんらに会えるとは思っとらんかったわい」
 いつものように豪快に笑い声を上げて、島津さんは政宗に向き直った。
「ほいじゃあ政宗、また飲みもそやね。地元にも遊びに来んしゃい。それこそほれ、佐助も連れてきたらよか」
「うるせーよ。…またあんたの武勇伝を聞くのを楽しみにしてるぜ。じゃあな」
 島津さんは片手を軽く挙げて答え、さっさと帰ってしまった。島津さんには悪いと思いつつも、佐助はほっと息をついてしまった。
「島津さんの地元って鹿児島…だったよね。連れてってくれんの?」
「さあな」
 へらりと笑った佐助に、政宗も軽く笑った。佐助はベンチに座り、コーヒーを一口飲んだ。身体に染みる熱が心地よい。鼻の奥が圧縮されたみたいにツンとした。なんだか幸せだ。
「前、島津のじーさんが俺に聞いた事覚えてるか?」
 不意の質問の意味がわからなかった。前というのは、政宗が佐助のバイト先で宴会をおっぱじめたあの時だろうか。なんだったろうか。佐助は首を振る。政宗は横目に佐助を見た。その目を見て、佐助ははっとした。そういえば、島津さんは、久し振りに再会した政宗に、右目を一体どうしたのかと尋ねたではないか。佐助が気付いたと見て、政宗はステージに目を戻した。ボーカルが綺麗な響く声で、お決まりのクリスマスソングを歌っている。
「病気、だっけ」
「ああ。ガキの頃…島津のじーさんちに滞在後すぐに症状が現れてな。親父も医者も八方手を尽くしてくれてなんとか命は助かったんだが、この通り目玉は潰れて、まわりが爛れた。それから俺はおふくろに嫌われた。仕方ねえから、冷却期間を置こうってことで、俺は親父にくっついてアメリカに行った。……けど冷めなくてな。俺が家業継ぐのをおふくろは反対した。だから俺は降りて、代わりに教師やることにした」
「……せんせ?」
「けど教師も反対された。親父や、俺に期待してた奴らからな。……まあ小十郎は例外だけどな。ただし俺の行動は逐一チェックされてるし、何か不祥事があればすぐにでもやめさせられる」
 そこで政宗は言葉を切った。俯き加減になり、頭をガシガシ掻いて、こんなもんか、と小さく呟く。たまらず佐助は、なにが?なんで?と、困惑を隠せない。
「俺が背負ってるもんだよ。話しといてもいいかと思ってな。今日は小十郎が悪かった。過保護なやつでね」
「別に悪いとか…小十郎さんの言うのももっともだったし。あ、いや、つーか…えーと…」
「悪いだろ。そりゃ、最初は小十郎と行こうと思ってたし、真田も誘ったってよかったが、曲がりなりにも」
 デート、だろ?
 と、政宗は薄い笑みを浮かべながらも、大真面目に言った。佐助は思わず生唾を飲み込んだ。反則だ。
(……あ、そうか、今か)
 佐助は自分の膝に目を落とした。政宗がこちらを見ているのがわかる。とても目を合わせていられないのは勘弁してほしい。BGM付きなのがせめてもの救いだ。
「えと、そのことなんだけど……あのさ…俺まず謝らないと…」
 耳が痛い。寒さのせいだろう。
「知ってると思うんだけど、その………………すき、になっちゃいまして、」
 幸い空気は変わらない。佐助は内側に小さくなってしまう心地を味わいながら、続けた。
「いや、わかってるよ?気持ち悪いし、先生俺のこと好きなわけないし、つーかそもそも男同士だし、」
「教師と生徒だしな」
「そうそう、それ俺が言ったことだしね。だからなんていうか、玉砕するのが前提ってーか…。まず言おうと思ったこと自体ごめんなさいっていうか、わかってんだよ。いや、でもこれにはちゃんと理由があってね?話すとものすごい長くなるんだけど、俺も俺ですっげーぐるぐる悩んだというか…そもそもほら、旦那とか委員長とか…」
「猿飛」
 段々整合性のなくなる佐助の言葉を、政宗の真剣味を帯びた一言が遮った。なぜだか佐助はこの時殴られると思った。が実際は、政宗の手が佐助の首にまわり、思い切り引き寄せられたのだった。何が起こったのかよくわからない。手放してしまったコーヒーが芝生に落ちて軽い音を立てる。顎が表面は柔らかいなにかにぶつかった。
 それが政宗の肩だとわかったのは、数秒してからだった。抱きしめられている、という言葉が浮かぶのには、さらに数秒かかった。政宗のもう片方の腕は、佐助の背にまわっていた。
「ちょ、せ、せんせ…?俺の話聞いてる…?あ、あの、てーか、すごい恥ずかしいんですけど。人…」
 ステージから外れてはいるが、人通りがないわけではない。政宗はゆっくり佐助を解放した。
「お前の話なんかばかばかしくて聞いてられるか」
「ばかばかしいって、あんた……そりゃあんたにとっちゃばかばかしいかもしれないけど、でも…………あれ?」
 佐助は泣きたいような笑い出したいような奇妙な気持ちになった。おそるおそる政宗の手に自分の掌を重ねると、おどろくほど冷たい。それとも自分が熱いのか。政宗は捕まえるようにして佐助の手を掴み返した。
 なんで、と言い出すのをやめておいた。もう一言でも喋ったら泣くのを堪え切れなかったのである。
 その代わりもう一度、今度は佐助から政宗の肩に顔をうずめた。歌が聞こえる。奇跡はきっと起きるよ、と。

 冬休みが明け、知ったことがいくつかあった。
 まず一つに、なぜやたらめったら「佐助が政宗先生を好き」という認識が広まっていたのかということだ。小十郎や幸村はまだしも、慶次がなぜ知っていたのか。改めて尋ねると、こんな答えが返って来た。
「いやあ、佐助がなんか恋してんな〜みたいなのは、俺ほら雰囲気でわかってたし?んでも相手までは知らなかったんだけどさ、佐助が冬休み前に休んでから噂が流れてたんだって。誰がどっから流したのかはわかんないけど、数日のうちにあっという間に広がってさあ。んでも当人休んでるし、そのまま休暇入っちゃうしで、もうみんな忘れてると思うよ。俺はさ、ほら、現場に出くわしたから確信に変わっただけのことで」
 まさか噂は小十郎が流したのではないかと一瞬疑ったのだが、政宗にもデメリットになることをするとは考えにくかった上、本人曰く、小十郎自身噂を聞いて、是非を確かめるためわざわざ元親に仕事を押し付けて出てきたのだという。小十郎でないとしたら誰なのか、さっぱり検討もつかなかった。大事にならなかったからまだしも、性質が悪い。しかし政宗にも確かめたら、それで確証を持った部分も、なかったとは言い切れないそうだ。とかなんとか聞いてまわっていたら、どうやら幸村も噂を聞いて「なんだ、佐助もか」と思ったのだそうだ。ガクリと力が抜けた。
 もう一つ。小十郎の「部下が黙っちゃいない」という言葉の本当の意味だ。政宗の話から自ずとわかったことだが、政宗になにかあれば、政宗派の部下たちが教師をやめさせようとするのは当然であり、そういう意味での警告だったのだ。お前のせいで政宗様が教師をやめることになってもいいのか、と。だが警告はしても、大概のことは小十郎一人でカバーできることと思っていたのだろう。でなければ、あの日の小十郎の行動に整合性がなくなってしまう。本当に危険なら、何が何でも佐助を近づけさせなければよかったのだ。
(うまくやれってことなんだろうな。バレないように)
 ただし小十郎の鉄拳の脅しだけは、私的なものだったろうと思っている。
 これで小十郎のことはよくわかったが、肝心の政宗のことはまだわからずじまいだった。
(でもまあそれはいいや)
 と、最近は思っている。結果が良ければ気にする必要もないのだし、あんまり知りすぎても先が怖い。
 変わったこともいくつかある。佐助は毎週火曜日にバイトを休んでいたが、最近は日曜も休みにしてもらっている。俺様もいろいろ忙しくなっちゃったんでね、とかなんとか。あとはお弁当を作る量がたまに増えたり減ったりする。
 幸村は相変わらず英語が苦手で部活動に精を出しまくって、また補習を受ける羽目になったのだそうだ。佐助も付き合ってやるつもりである。
 そういう普通の日々のある昼下がり、佐助は職員室にいた。課題提出のためである。政宗はパラパラ原稿を見ながら、そういえばな、と切り出した。
「帰りに教室でも言うけどな、そのうち三者面談の日程組むからそのつもりでいろよ」
「三者面談……うわー、なんかふっくざつ〜…」
「そりゃこっちの台詞だ。お前、進学は考えてねえのか?今の成績ならいいとこ行けるぜ」
「えー?俺の希望は変わらないですよ〜、最初っから。そのための進学だったら考えないこともないけど」
 政宗はいつかのことを思い出したのか、含みのある笑いを零した。
「英語を喋れるようになって、海外をまわりたいってか?」
「そうそう。あのさー、俺この前雑誌で、英語を喋れるようになる一番手っ取り早い方法っての見たんだけどさー。それが前思ってたのと違ってね。本当は現地の人とこいび…」
「Shuttup fuckinboy!おら、誤字見つけたからさっさと直してこい」
 原稿をつき返すついでにわき腹を殴られ、佐助は呻いた。なんだか表面的な関係自体は悪化してないか?と思うことはしばしばだが、気にしたら負けだ。仕方なく原稿片手に職員室を後にしようとして、佐助はふとあることに気が付いた。
「あ、そうだ。その希望さ、最近ちょっと変わった」
 あのね、と佐助はちょっと屈んで、政宗に聞こえる程度まで声を落とす。多分とびきりの笑顔をしていた。英語を喋れるようになって、海外をまわる。それさ、俺、
 先生といっしょがいいな。



おわり